篤姫の旦那、13代将軍家定。パティシエだったというのはホントなの?

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★歴史★
問題:江戸時代も終わりに近づいた嘉永(かえい)6年11月23日、西暦では1853年12月23日。13代将軍家定(いえさだ)が就任しました。安政(あんせい)5年7月6日、西暦1858年8月14日に亡くなるまでの5年に満たない短期政権でした。家定は満35歳ぐらいで死んでいます。
■家定は、徳川歴代将軍の中でも地味な存在です。初代家康や3代目家光、5代目綱吉、8代目吉宗などの知名度とは比べものになりません。むしろ正室の天璋院(てんしょういん)、いわゆる篤姫(あつひめ)のほうが知られているぐらいですね。
■本日はやたらと地味な篤姫の旦那についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか? (正解は複数かも)
[い]趣味は菓子作りでカステラなどもよく作って周囲に食べさせていた
[ろ]身長が150cmに満たなかった
[は]ペリー提督を謁見し、「両国の親しき交わりは幾久しく続くであろうと大統領に伝えよ」とペリーにいっている
[に]家定将軍の手がついた大奥の女性には、年間500両の現金が支給された
[ほ]家定将軍のきまぐれのおかげで火災をまぬがれた町家がある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[に]、[ほ]が正しい
説明:[い]趣味は菓子作りでカステラなどもよく作って周囲に食べさせていた(○)
■Wikipediaには菓子作りが趣味でカステラを作っていたと記されています。煮豆やふかし芋も作り、自分で味わうだけでなく、家臣たちにも振る舞っていたらしい。そのためか、イモ公方(いもくぼう?)という悪口を浴びていたようです*2。カミサンが薩摩藩出身だったことも影響しているのかな。犬公方(いぬくぼう、綱吉の悪口)もひどいけれど、イモ公方もひどいですね。
□毒殺されることを恐れていたという話もあります。自分で料理をしたのも、安心して食べたかったのかもしれません。そうだとすれば、なんとなく気の毒ではあります。
[ろ]身長が150cmに満たなかった(△)
■三河の岡崎には、大樹寺(だいじゅじ)という徳川家の菩提寺があるとのこと。今川義元側にいた家康が、桶狭間の戦いで親分の死去を知ったあとに入った寺といわれます*5。
□大樹寺には歴代将軍の位牌があるとのこと。位牌は各将軍の身長にあわせてあるという言い伝えが残されてるようです。家定の位牌は149.9cmだそうです。かなり小柄だったことは間違いないらしい。ちなみに家康は159.0cmとのこと。
□現代まで残されている将軍の遺骨もあり、比べてみると位牌の高さには若干の誤差があるとのこと。150cmに満たなかったと断言することはできないようです。
[は]ペリー提督を謁見し、「両国の親しき交わりは幾久しく続くであろうと大統領に伝えよ」とペリーにいっている(×)
■正しくは、「公使タウンゼント・ハリスに謁見し…」だそうです。「遥か遠方より使節をもって書簡の届け来ること、ならびにその厚情、深く感じ入り満足至極である。両国の親しき交わりは幾久しく続くであろう合衆国プレジデントにしかと伝えるべし」と述べたらしい。
□タウンゼント・ハリスの日記には、引見した際、「言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動をとった」とあるそうです。Wikipediaの徳川家定の項には「脳性麻痺の典型的な症状らしい」と記されています。ひょっとしたら上の挨拶は当人が直接述べたのではなく、おつきのものが代理で伝えたのかもしれません。ハリスの日記には細かいことは記されていないのかな。
□ただし、Wikipediaの「脳性麻痺」の項によれば、「生後4週までに受けた脳の損傷によって引き起こされる運動機能の障害」だそうです。それ以降に発症した病状は脳性麻痺とは呼ばれないらしい。カステラを1人だけで作ることができる人が脳性麻痺であるという可能性は低いような気もします。勝手な憶測ですが、甘い物を食べ過ぎて糖尿病の気が出ており、足が吊りやすくなっていただけなのかも。
[に]家定将軍の手がついた大奥の女性には、年間500両の現金が支給された(○)
■参考資料*3によれば、家定の手がついた中老(ちゅうろう、武家の奥女中)の女性は1年で300俵の米と500両の現金が貰えたそうです。1俵が4斗ですから300俵は1200斗=120石ぐらいでしょうか。
□500両は1両を10万円として換算すると5000万円です。ただし、幕末にはインフレが起こって両の価値はだんだん下がってくるという話も聞きます。
□「廊下に足音が忍んでやってくる。曲者かと思い、唐紙をあけて誰じゃというと、13代将軍だった。その場にしゃがんで恐れ入っていると、そちの部屋はここかとお入りになる。手習い机の前にすわり、「手習いをはげみおるか」と仰せになり、手ずからすらすらとなにやら認(したた)められた。見ると、「今夜はここにとまるぞ」と記されていた」という話が参考資料*3にありました。気ままな人なのかな。この話からも脳性麻痺説はやや怪しいですね。
[ほ]家定将軍のきまぐれのおかげで火災をまぬがれた町家がある(○)
■家定将軍は、病弱気味で政務はあまり熱心でなく、大奥にひっこんでいることが多かったようです。でも、家来たちに促されることもあり、たまには鷹狩りに出たりもしたそうです。駕籠は窮屈で嫌いらしい。おひろい(徒歩)で浅草あたりまで帰ってきたらしい。警護の者が制止するまもなく、上州屋という商家にふらっと入っていったとのこと。気ままな人のようです。
□供の者は、「これ町人! なにを致しておる、お敷物をお出し申せっ、早く致せ!」と大騒ぎですが、将軍は座布団に座り、湯を一杯飲んだらまたふらっと出て行ったようです。「亭主、上様のお座りあそばされたお座布団、お口をつけられたお茶碗、決して粗略に扱っては相成らんぞ」といわれた上州屋には、公儀から「御成先御用」と書かれた大堤灯が下賜されたらしい。
□その後、町役人はしょっちゅう見回りにくるし、町奉行の同心も顔を覗かせたりして、上州屋としては飛んだ災難だと嘆いていたようです。
□ある年の師走に近所から出火したそうです。上州屋も危ないと思ったとき、火事装束で身を固めた南町奉行、池田播磨守頼方(はりまのかみよりかた?)という武士がやってきて、町火消したちを激励します。「火消ども! あれなるは恐れ多くも上様御成先御用の上州屋なるぞ、かの家、消亡さするにおいてはその分に捨ておかぬぞ!」 「おう!」てなもんで、未だ火のついていない周囲の家を遠慮無くみんな叩きつぶして片付けたようです。
□火がおさまったときには、上州屋だけがポツンと残っているという状態だったらしい。将軍のきまぐれで苦労をさせられてきた上州屋の主は、少し元をとり返せたような気がしたらしい*1。ただし、隣近所からは恨まれたでしょうけどね。
◆参考*1:書籍「大江戸かくれ話事典」初版13~14頁、平田公(ひらた こう)著、ISBN4-7947-0288-4、叢文社
◇*2HP「徳川家定 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%AE%9A
◇*3書籍「幕末明治風俗逸話事典」初版152~153頁、紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)著、ISBN4-490-10338-7、東京堂出版
◇*4HP「大樹寺 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A8%B9%E5%AF%BA
◇*5HP「今川義元桶狭間に死す。義元は死ぬ前に敵の指を食いちぎっていた?」
http://blog.q-q.jp/200806/article_22.html

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