せっかく初ガツオが供されたのに、怒り出した文豪とは誰なの?

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★歴史★
問題:カツオの季節です。脂ののったカツオで一杯やりたいですね。
■江戸時代の江戸っ子にとっては、初ガツオは一種の儀式だったようです。1両とか1分なんてすごい金を払って初ガツオを争って買ったらしい。1両を10万円と乱暴に換算すると、1分は2万5000円です。
■宵越しの銭は持たないなんて粋がっている連中です。当然、借金をすることになります。場合によってはその時に着ている服を売って購入資金としたらしい。「初鰹(はつがつお) 袷(あわせ)を殺す 毒魚かな」という川柳が残されているとか。袷というのは綿入れと単衣(ひとえ)の間、春とか秋に着る服らしい。もうじき夏だし、袷はいらねぇや。売っちまえ。単衣ではさすがにまだ寒いんでしょうね。銭湯での会話では、「昨日の初ガツオは旨かった、なぁ」、「うん、寒かった」なんてのがあると落語の枕で紹介されています。
■「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」という山口素堂(そどう)の俳句もよく知られています。川柳子は、「目と耳は ただだが口は 銭がいり」ともじった句を残しているそうです。
■これほど目の色を変えて初ガツオを賞味した江戸っ子に対して、明治時代のある文豪は、料理屋で初ガツオが供されたら怒りだしたという話です。では、その文豪は次の誰でしょうか?
[い]幸田露伴(ろはん)
[ろ]山田美妙(びみょう)
[は]坪内逍遙(しょうよう)
[に]尾崎紅葉(こうよう)
[ほ]二葉亭四迷(ふたばてい しめい)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]幸田露伴(ろはん)
説明:幸田露伴は、食通でなかなかうるさい人だったそうです。気に入った店でしか飲食しなかったらしい。
■ある店を贔屓(ひいき)にしていましたが、春のある日、いつもどおりに酒を飲み始めると、初ガツオが供されたとのこと。露伴は、
「何だい、こいつは。こりゃあ半月早かねえかって、板前にそう言いな」
といったらしい。あわてて板前さんがあやまりに来たそうです。
「今日、はじめて河岸に入ったもんですから」
■いいわけをするように頭を下げる板前さんに、露伴は盃を渡して酒をつぎながら、でもはっきりと言いたいことを言ったらしい。
「いくら初ものか知らねえが、いけないね、旬じゃなくちゃ、いけねえ」
■幸田露伴の主張は、「初ものを出すのは、まずいものを食わせるだけで料理じゃない。料理じゃないものを客に出すなんて失礼だし、板前の恥」というものらしい。
■幸田露伴は現在の台東区下谷(したや)の生まれです。下谷は旧東京市15区制下では下谷区として独立した区だったらしい。神田の生まれよ、というほどではないにせよ、下谷で生まれていれば江戸っ子には違いありません。父親が下級の幕臣だったらしい。職人気質とはやや違う気質があるのはそのせいかもしれません。
■なお、父親は江戸城に勤務する茶坊主だったという説もあるようです。茶坊主を辞書で引くと、「室町・江戸時代の武家の職名。来客の給仕や接待をした者。剃髪(ていはつ)していた」とあります。坊主という名前はついていますが、宗教人ではなく、武人だったのかな。
■余談です。幸田露伴の代表作は明治26年(1893年)に発表された「五重塔」です。その後も小説を発表し続け、尾崎紅葉や夏目漱石、森鴎外と並んで、明治の文壇の代表でした。
■明治41年(1908年)には、京都帝国大学で教鞭をとっています。学長が昔の友人だったらしい。幸田露伴は単身赴任したそうです。「なぜ家族を連れてこない」と問われて、「子供に京都ことばだけは覚えさせたくないから」と答えたそうです。この話を人づてに聞いた上田敏(びん)は、深く同意を示したらしい*4。上田敏もたまたま京都帝国大学で教えていたようです。上田敏は築地の生まれとのこと。
■なお、子供に京都弁云々はホンキで言ったのではないのかもしれません。カミサンが病気勝ちで連れてこられなかったということも考えられるようです。1年も経たないうちに幸田露伴は教職を辞したらしい。京都は山ばかりで釣りができないというホンキでない退職理由を述べているそうです。夫人は翌年に亡くなったそうです。
◆参考*1:書籍「頭にやさしい雑学読本4」文庫初版97~99頁、竹内均編、ISBN4-8379-0966-5、三笠書房
◇*2HP「「女房子供を質に入れても」食べたという初鰹(はつがつお)はいくらだったの?」
http://blog.q-q.jp/200611/article_27.html
◇*3書籍「世界人物逸話大事典」初版132頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店
◇*4HP「上田敏の名著「海潮音」の読み問題。「円」の詩的な読み方はなんなの?」
http://blog.q-q.jp/200907/article_2.html

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年05月11日 07:25
ねこのひげは、谷中に事務所があるのですが、昼食の後などに散歩をしていて幸田露伴邸跡の碑石を見つけたことがあります。
あと、森鴎外の屋敷跡、樋口一葉の生誕碑と住居とか、元正岡子規邸とか、あのあたりは明治の文豪が住んでいたようですね。
ねこのひげ様<素町人
2011年05月11日 10:03
コメントをありがとうございます。

谷中には明治の大物たちが住んでいたという話は、テレビ番組でも紹介されていました。由緒ある町でうらやましい。

素町人が住む町の誇りは、関東大震災のあとでまだ売れていない五代目古今亭志ん生が移り住んできたことです。5年ほどいたらしいのですが、貧乏すぎてその間家賃は1回も払ったことがないという伝説があります。
(^^;)

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