丸腰の一般人が複数の武士を殺傷する事件。江戸時代にそんなことがあったの?

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★歴史★
問題:落語の「たがや」をご存じでしょうか。川開きの花火が打ち上げられる日。江戸の両国橋は見物人が押しかけ、大賑わいです。「上がった、上がった、上がった、たぁまぁやぁ~」という掛け声もそこここで聞かれます。
■善男善女がひしめく中に、供を連れ、馬に乗った武士が「どけどけっ、町人ども」と強引に通ろうとします。迷惑の限りですが、相手は完全武装の二本差し集団です。みんな苦々しく思いながらもなんとか道をあけて通していきます。そこへ道具箱をかついだたが屋がやってきます。桶(おけ)のたがを修繕する商売ですね。運の悪いことに、たが屋と武士たちが接近遭遇したとき、竹のたがを巻いた輪がはじけ、馬上の武士の笠を弾き飛ばします。
■武士たちは怒り、手討ちにするといってききません。たが屋は言葉を尽くして謝りますが、どうしても許してくれません。ついに頭にきたたが屋は、啖呵を切り始めます。斬れるものなら斬ってみろ。二本差しなんか恐くねぇぞ。気の利いた鰻なら3本も4本も差していらぁ。貴様ら貧乏侍なんか、そんな上等の鰻は喰ったことがねぇだろ。俺も最近はあまり喰ってねぇけど。
■怒った馬上の武士に命じられ、供の侍が斬りかかります。刀は手入れ不足、腕は稽古不足らしく、敏捷で力の強いたが屋に簡単に刀をたたき落とされ、拾われて逆に斬られてしまいます。もうひとりの供侍もたが屋に斬られ、残るは馬上の武士だけです。馬から下りた武士は供奴から受け取った槍を構え、たが屋を追い詰めます。さすがにこいつは少し腕がたつようです。たが屋もじりじりと後退します。ヤバいぞ。こうなったらと捨て身の作戦。わざと隙をつくってみせると、案の定、武士が突きかかってきます。きわどく刃先をかわしたたが屋は思い切りよく刀を横に払います。刃は第3頸椎と第4頸椎のあいだを見事にすり抜け、スポンと斬れた武士の首が宙に飛びます。周囲から高らかに掛け声がかかります。「上がった、上がった、上がった、たぁがぁやぁ~」。
■意味もなく町人をいじめる武士が最後には逆襲され、殺されてしまう。町人の末裔としては、とても溜飲の下がるお話です。ところで、江戸時代の江戸では、このように武器を持たない一般人が複数の武士を殺傷するという事件が実際に何件か起こっているそうです。「街談文々集要(がいだんぶんぶんしゅうよう)」とか「藤岡屋日記(ふじおかやにっき)」という当時の文書に記されている事件もそのひとつらしい。では、その事件現場は、どんな場所だったのでしょうか?
[い]江戸城内
[ろ]北町奉行所
[は]吉原
[に]浅草の奥山(盛り場)
[ほ]銭湯
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]北町奉行所
説明:文化(ぶんか)7年4月20日。西暦では1810年5月22日。大安吉日だったようです。空は五月晴れ、雲雀が天高く舞っていた…かどうかは知りませんが、北町奉行所に百姓某が呼び出されていたらしい。当時の北町奉行は小田切土佐守直年(おだぎり とさのかみ なおとし)という人物です。名奉行という評判があったらしい。
■参考資料*1と*2の話を総合すると、百姓某は年貢の納入にかんして問題を抱えており、江戸払いを命じられていたようです。江戸払いは追放刑の一種らしい。「罪人を品川・板橋・千住・四谷大木戸および本所・深川の外へ追い払うこと」だそうです。江戸以外の者の場合は、自分の村にも立ち入ることはできなかったらしい。場合によっては田畑・家屋敷も没収されるようです。
■話の途中で、担当の与力が便所に立ったそうです。不用意にも、刀を置いていったらしい。百姓某の心に魔が差します。その刀をつかみ、そっと抜いてみます。そこに戻って来た与力は、しまったと思ったでしょうがもう遅い。刀剣を愛好する人のお話によると、刀という武器は、いったん抜かれたら人を斬るという目的を遂げるまで、鞘におさまろうとしないものだそうです。自暴自棄になっている百姓某は、刀を振り回しながら奉行所内を暴れ回ります。武士が2名斬られて死亡した模様です。さらに奉行所勤務の武士の居住区域に入り込み、奥方2名が斬り殺されます。子供を含めて死傷者は全部で15名も出たらしい。
■百姓某が暴れているあいだ、役人たちは逃げ回るばかりだったようです。百姓某は下男たちが取り押さえたとのこと。百姓某はもちろんお仕置きにあいました。公開処刑かな。連座が適用され、出身の村も罰を受けたらしい。
■逃げ回っていた役人たちも多数が処罰を受けます。刀を奪われた与力は命は助かったものの改易されて町人に格下げになったらしい。事件後に狂歌がつくられています。「百姓に 与力同心 小田切られ 主も家来も まごついた土佐」 。小田切土佐守直年の失敗を、見事に読み込んでいますね。
■江戸時代も中ごろ以降では、武士は剣道の練習に身が入らなかったようです。逆に経済力を得た町人・百姓などが護身術と趣味を兼ねて剣道を練習したりすることもあったとか。百姓某もひょっとしたら農作業のあいまに鍬を振り回し、ヤットォーとやっていたのかもしれませんね。
◆参考*1:書籍「江戸のアンダーワールド」初版63頁、太陽編集部編、ISBN4-582-63387-0、平凡社
◇*2HP「小田切直年 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%88%87%E7%9B%B4%E5%B9%B4
◇*3HP「新暦 ←→ 旧暦 変換」
http://koyomi.vis.ne.jp/cgi/9reki_f.cgi
◇*4HP「藤岡屋日記 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%B2%A1%E5%B1%8B%E6%97%A5%E8%A8%98

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2011年03月30日 07:49
江戸時代の文献を見ると、暴れん坊将軍吉宗のころから、武士と農民や町人の立場が逆転したようで、お米も、武士が6割を年貢として取り4割が農民の取り分というのが戦国時代からの慣習だったのが、逆転したようで、年貢の取立てに苦労したようですね。
一揆も食べれないからではなく、年貢の割合を下げさせるために行われていたようで、下げるのを渋ると、村総出で逃げ出していなくなったそうです。
時代劇の映画やテレビドラマとはずいぶん違うようです。(~_~;)
ねこのひげ様<素町人
2011年03月30日 08:36
コメントをありがとうございます。

 江戸後期の武士は経済的には大変だったようですね。お気の毒です。
 時代考証の人たちの意見によれば、時代劇の映画やドラマはずいぶん現代風のアレンジがなされているようですね。
 江戸時代の既婚女性は眉を落としてお歯黒をつける習わしだったようです。未婚でも吉原の遊女はお歯黒だったという話もあります。古老の話では、地方では大正時代ぐらいまでお歯黒の習慣が残っていたとのこと。テレビの時代劇ではお歯黒の女性はあまり見かけませんよね。
(^^;)

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