将軍暗殺劇の主役赤松満祐。何が赤松を犯行に駆り立てたの?

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★歴史★
問題:赤松満祐(みつすけ、まんゆうとも)は、南北朝時代の南朝弘和(こうわ)元年、北朝でいえば永徳(えいとく)元年、西暦1381年に生まれたそうです。この年の2月ごろから南北朝ともにそれぞれの元号に改元されています。3代目の将軍、足利義満の治世ですね。
■実家の赤松家は鎌倉時代には播磨(はりま)の地頭だったとのこと。足利尊氏に呼応して室町幕府の成立に寄与したらしい。功臣として播磨・備前(びぜん)・美作(みまさか)の守護に任じられたそうです。室町幕府の中では、細川・斯波(しば)・畠山の三管領と並ぶ四職(ししょく/ししき)として中央政治に参与したとのこと。四職は赤松氏を含め、一色(いっしき)・京極・山名らだそうです。
■嘉吉(かきつ)元年(1441年)6月24日。満60歳になっていた赤松満祐は自邸に6代将軍足利義教(よしのり)を招いて宴会を催します。「嘉吉記」という本によれば、「鴨の子がたくさんできたので、泳ぐさまをご覧下さい」といって招いたそうです。2か月ほど前に結城氏朝(ゆうき うじとも)の乱が幕府軍により平定されています。結城氏朝は足利持氏(もちうじ)の遺児を擁して叛旗を翻したそうです。結城合戦と呼ばれるらしい。赤松満祐邸での宴会は、結城合戦の祝勝会という名目だったという話もあります。
■ともあれ足利義教は西洞院(にしのとういん)二条にあった赤松満祐の屋敷に到着します。現在の二条城の近く、わずかに東に行ったあたりらしい。赤松満祐は顔を見せませんでしたが、息子の教康(のりやす)らが出迎え、宴が始まります。音阿弥(おんあみ)の能などを楽しみ、ご馳走に舌鼓をうち、美酒に酔っていたようです。突然、赤松満祐の手下が完全武装で宴席になだれ込みます。安積行秀(あさか ゆきひで?)という武士が義教の首を刎(は)ねてしまいます。
■宴席は大騒ぎです。居並ぶ守護大名たちの多くは抵抗することもなく逃げ惑ったとのこと。刀を手にした少数派も多くは斬り殺されたらしい。将軍や大名に随行してきた武士たちと赤松側はチャンチャンバラバラもあったようです。でも、「将軍を討つことが目的であり、他に狙いはない」と赤松側が叫ぶと騒ぎはおさまったらしい。それぞれ死者・負傷者を運び出して帰っていったとこのと。
■本日は、赤松満祐の大胆な将軍暗殺についてのクイズです。赤松満祐は、なぜ足利義教の殺害を思い立ったのでしょうか? 動機として囁かれている理由を次の中から選んで下さい。(正解は複数かも)
[い]所領を取り上げられることを恐れたから
[ろ]妹が義教に殺された恨みから
[は]自分の容貌について日頃からさんざん馬鹿にされ、強い恨みを抱いていたから
[に]幕府の公金に手をつけており、その事実が露見するのを恐れていたから
[ほ]息子教康が足利義教の衆道(しゅどう)の相手をさせられるのが忍びなかったから
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[ろ]、[は]が正しい?
説明:足利義教は、いわゆる「籤引き将軍」です。第5代将軍義量(よしかず)が早世したあと、お父さんの元第4代将軍義持(よしもち)が出家したまま政務を担当していましたが、3年ほどで死んでしまいます。義持には義量以外に子供がいなかったため、義持の弟たちの中から籤引きで義教が選ばれたわけですね。義持も義教も第3代将軍足利義満の息子たちだそうです*3。
■籤引きで選ばれた義教氏は最初はネコをかぶっていたようです。有力大名たちの指示に従っていたらしい。徐々にワンマン将軍になっていったようです。幕府の要職を占める大名たちの家督相続に介入したりしたとのこと。反抗する多くの大名・公家たちが殺され、「万人恐怖」と恐れられる将軍に変身していたらしい。暗殺されたころには、将軍にたてつく力のある大名は数えるほどしかなかったそうです。赤松家はそのひとつだったようです。
■事件の前には、義教が赤松満祐の所領を取り上げるという噂が広まっていたらしい。永享(えいきょう)9年(1437年)ごろにもそんな噂が都で流れていたようです。実際、赤松一族の中で義教に所領を没収された者が出たらしい。
■赤松満祐には、苦い思い出があります。応永(おうえい)34年(1427年)、自分が家督を相続したとき、足利義持は播磨を取り上げて寵臣赤松持貞(もちさだ)に与えようとしたらしい。怒った赤松満祐は、京都の屋敷を焼き払って領国に引き上げ、幕府に対抗する意志を見せたそうです。このときは幕臣たちがはからってなんとか事態を収拾します。赤松は赦免されて守護職を相続することができたらしい。でも、義教の専横を見るにつけ、赤松満祐が危機感を募らせたとしても不思議はありません。
■また、Wikipediaによれば、赤松満祐はとても背の低い人だったそうです。参考資料*4によれば、日頃から満座の中で義教に嘲笑されていたらしい。さらに、赤松満祐の妹は、妾として召し上げられていたそうですが、義教に斬り殺されたという噂があります。こうした日頃の鬱憤がたまり、義教に対する殺意になったという話もあります。
■将軍を暗殺したあと、赤松満祐は地元に帰ります。幕府は大軍を差し向けて赤松満祐を攻め、自殺に追い込みます。息子の教康は逃亡しましたが、結局伊勢で自殺したらしい。その子孫は第8代将軍足利義政の時代に功をあげ、赤松家は再興されています。
■赤松満祐は幕府に殺されましたが、江戸時代になって鶴屋南北の歌舞伎「音菊天竺徳兵衛(おとにきくてんじくとくべえ)」などで蘇りました。さらに落語「蛙茶番(かわずちゃばん)」でも取り上げられ、21世紀になってもその名前は滅びないようです*5。
◆参考*1:HP「嘉吉の乱 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E5%90%89%E3%81%AE%E4%B9%B1
◇*2HP「赤松満祐 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E6%BA%80%E7%A5%90
◇*3HP「くじ引きで将軍になったのは誰?」
http://blog.q-q.jp/200707/article_71.html
◇*4書籍「日本史人物逸話事典」文庫初版31~32頁、鈴木亨編著、ISBN4-05-901109-6、学習研究社
◇*5CD「朝日名人会ライブシリーズ20『蛙茶番/御血脈』」十代目桂文治、SICL-60、CBS Sony
◇*6書籍「名作歌舞伎全集9 鶴屋南北集1」戸板康二(やすじ)他編、東京創元新社

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