明治天皇の逸話。落馬で「痛い」とうめいた天皇を叱った明治の大物政治家は誰なの?
●●●●●★歴史★●
問題:明治天皇は、嘉永(かえい)5年9月22日、西暦でいえば1852年11月3日に生まれ、大正元年(1912年)7月30日に崩御されました。満59歳です。まだ若かったんですね。その日に明治時代が終わったようです。
■慶応から明治へと時代が変わったとき、つまり1868年9月8日にはまだ満15歳です。若い天皇は、明治維新に貢献した荒々しい若武者たちに取り囲まれて、青春を過ごしたようです。
■明治天皇は乗馬と和歌がお好きだったようです。ある日、明治の大物政治家と一緒に馬場で練習していたとき、落馬してしまいます。思わず「痛い」とうめいた明治天皇に、馬上から天皇を見下ろして、「痛いなどという言葉は、どんな場合でも男はいってはいけません」とたしなめた人物がいます。それは次の誰でしょうか?
[い]山縣有朋
[ろ]伊藤博文
[は]板垣退助
[に]大久保利通
[ほ]西郷隆盛
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[ほ]西郷隆盛
説明:ふつう、天皇が落馬すれば、一緒に馬に乗っていた者は下馬して駆け寄り、お怪我は、お痛みはなどというものだそうです。さすがは西郷隆盛です。正しい言葉を正しい態度で申し上げました。
■明治天皇は最後の病床にあられたときも、いっさい苦痛を訴えなかったそうです。2回ほど総理大臣をつとめた西園寺公望(きんもち)は、明治天皇から「西郷からそう教えられた」と聞いたらしい。
■明治天皇が相撲がお好きだったことは以前に弊クイズでも触れました*2。明治17年(1884年)に明治天皇の天覧相撲が行なわれて以来、相撲人気は復活しました。同様に、明治天皇が散切り頭にしたことが影響し、一般国民にも散切り頭が普及したともいわれます。
■明治天皇は、「わし一代は日本趣味で通す」といっていたようです。洋服は実は大嫌いだったらしい。天皇であると同時に大元帥なので、どうしても着なければならないといわれ、諦めて着ていたようです。
■伊藤博文が御前に和服で現れたことがあったそうです。「伊藤は、わしに洋服を着せて、自分は和服を着るのか」と仰せられたとのこと。伊藤博文は恐懼(きょうく、恐れかしこまること)して一言も申し上げず、ただ頭を低く垂れて引き下ったそうです。
■女官だった下田歌子(うたこ)が、酷暑の日に洋装の天皇に「お暑いことでございます」とご挨拶したらしい。天皇は凉しい顔で、「夏暑くなくてどうするか」と仰せられたとのこと。
■初代文部大臣をつとめた森有礼(もり ありのり)という人物が大嫌いだったそうです。森有礼は伊藤博文から「日本産西洋人」とからかわれるぐらい、西洋崇拝が強く、なんでも西洋流にしたがる人だったようです。日本語を廃し、英語で生きていこうなんていったらしい*3。そりゃ、ほとんどの日本人に毛嫌いされるでしょう。明治天皇が嫌悪してやまなかったのも当然ですね。
◆参考*1:書籍「明治人物夜話」文庫初版10~24頁、森銑三(せんぞう)著、ISBN4-00-311533-3、岩波書店
◇*2歴史は繰り返す大相撲の大ピンチ。相撲廃止論を聞くのは何年ぶりなの?
http://blog.q-q.jp/201006/article_26.html
◇*3HP「初代の文部大臣はあまり人格者ではなかった? 」
http://blog.q-q.jp/200609/article_66.html
◇*4HP「明治天皇 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧
問題:明治天皇は、嘉永(かえい)5年9月22日、西暦でいえば1852年11月3日に生まれ、大正元年(1912年)7月30日に崩御されました。満59歳です。まだ若かったんですね。その日に明治時代が終わったようです。
■慶応から明治へと時代が変わったとき、つまり1868年9月8日にはまだ満15歳です。若い天皇は、明治維新に貢献した荒々しい若武者たちに取り囲まれて、青春を過ごしたようです。
■明治天皇は乗馬と和歌がお好きだったようです。ある日、明治の大物政治家と一緒に馬場で練習していたとき、落馬してしまいます。思わず「痛い」とうめいた明治天皇に、馬上から天皇を見下ろして、「痛いなどという言葉は、どんな場合でも男はいってはいけません」とたしなめた人物がいます。それは次の誰でしょうか?
[い]山縣有朋
[ろ]伊藤博文
[は]板垣退助
[に]大久保利通
[ほ]西郷隆盛
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[ほ]西郷隆盛
説明:ふつう、天皇が落馬すれば、一緒に馬に乗っていた者は下馬して駆け寄り、お怪我は、お痛みはなどというものだそうです。さすがは西郷隆盛です。正しい言葉を正しい態度で申し上げました。
■明治天皇は最後の病床にあられたときも、いっさい苦痛を訴えなかったそうです。2回ほど総理大臣をつとめた西園寺公望(きんもち)は、明治天皇から「西郷からそう教えられた」と聞いたらしい。
■明治天皇が相撲がお好きだったことは以前に弊クイズでも触れました*2。明治17年(1884年)に明治天皇の天覧相撲が行なわれて以来、相撲人気は復活しました。同様に、明治天皇が散切り頭にしたことが影響し、一般国民にも散切り頭が普及したともいわれます。
■明治天皇は、「わし一代は日本趣味で通す」といっていたようです。洋服は実は大嫌いだったらしい。天皇であると同時に大元帥なので、どうしても着なければならないといわれ、諦めて着ていたようです。
■伊藤博文が御前に和服で現れたことがあったそうです。「伊藤は、わしに洋服を着せて、自分は和服を着るのか」と仰せられたとのこと。伊藤博文は恐懼(きょうく、恐れかしこまること)して一言も申し上げず、ただ頭を低く垂れて引き下ったそうです。
■女官だった下田歌子(うたこ)が、酷暑の日に洋装の天皇に「お暑いことでございます」とご挨拶したらしい。天皇は凉しい顔で、「夏暑くなくてどうするか」と仰せられたとのこと。
■初代文部大臣をつとめた森有礼(もり ありのり)という人物が大嫌いだったそうです。森有礼は伊藤博文から「日本産西洋人」とからかわれるぐらい、西洋崇拝が強く、なんでも西洋流にしたがる人だったようです。日本語を廃し、英語で生きていこうなんていったらしい*3。そりゃ、ほとんどの日本人に毛嫌いされるでしょう。明治天皇が嫌悪してやまなかったのも当然ですね。
2010年のクイズは本日12月25日(土)で最後です。
2011年は1月4日(火)から始めます。
一年間のご愛顧に感謝します。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
m(_ _)m
2011年は1月4日(火)から始めます。
一年間のご愛顧に感謝します。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
m(_ _)m
◆参考*1:書籍「明治人物夜話」文庫初版10~24頁、森銑三(せんぞう)著、ISBN4-00-311533-3、岩波書店
◇*2歴史は繰り返す大相撲の大ピンチ。相撲廃止論を聞くのは何年ぶりなの?
http://blog.q-q.jp/201006/article_26.html
◇*3HP「初代の文部大臣はあまり人格者ではなかった? 」
http://blog.q-q.jp/200609/article_66.html
◇*4HP「明治天皇 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
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この記事へのコメント
英語が世界共通語だからだそうです。
外国人の意見を聞くと、日本の会社なんだから日本語でいいんじゃあないの?という意見が大半でしたね。
(^_^.)
最近、こうした会社が出現しているようですね。どうなるのか。見ものです。
言葉に気をつかいすぎると本業がおろそかになりはしないかと、素人は心配しますけど。
(^_^;)