鶴屋南北(つるや なんぼく)の命日。日本で一番有名な幽霊、お岩さんの生みの親なの?

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★歴史★
問題:1829年の今日、12月22日。和暦では文政(ぶんせい)12年11月27日。狂言作家、現代風にいえばシナリオライターの鶴屋南北が亡くなりました。宝暦(ほうれき)5年(1755年)生まれですから、満73歳ぐらいでしょうか。
■死の床に集まった者に、「枕元の箱に大切な物が入っている。死んだら開いてくれ」と言い残して亡くなったらしい。箱を開いてみると、中から「寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)」という小冊子が出てきたそうです。南北自身の葬式を、めでたい萬歳(まんざい)の文句で茶化した台本だったとのこと。一同は呆れ果てましたが、これを刷って葬儀の際の配り物にしたそうです*2。どこまでも洒落を忘れない人のようです。
■余談です。落語に登場する嘘つきにも似たような話があります。最期に、「死んだら根太板(ねだいた、床板)をはがして下の土を掘ってくれ。わずかだが金が埋めてある。葬儀用に使ってくれ」と言って目を閉じます。生涯をつうじで嘘ばかりついた人だったが最後に始末をつけるのは偉いじゃないか。掘り返してみると壺が埋まっています。蓋を開けてみると紙が1枚入っており、「これが嘘のつきじまい」と書かれていたというのですが。
■鶴屋南北という人物は5代目までいるようです。初代から3代目は歌舞伎役者です。本日が命日なのは4代目です。3代目の娘さんをカミサンとしたので4代目を継いだらしい。4代目は大南北と呼ばれ、一番有名だそうです。「東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)」、「櫻姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」など、現在でもよく演じられる歌舞伎を書いた人だそうです。Wikipediaには20ほどの代表作が記されています*1。なお、息子の5代目鶴屋南北も歌舞伎作者で、幕末から明治にかけての超大物、河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の師匠筋に当たる人だそうです。
■4代目の大南北には、歌舞伎の贔屓(ひいき)でなくても知っている物語があります。たとえば四谷怪談はお岩さんの話ですね。「この恨み、晴らさでおくべきか~」と成仏できずにさまよっている魂です。日本で一番有名な幽霊かもしれません。「皿屋敷」のお菊さん、「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」のお露さんとあわせて3大幽霊とする人もいるらしい。
■「東海道四谷怪談」では、ダンナに毒を盛られたお岩さんが鏡に向かって梳(す)くと髪がどんどん抜けるという怖い場面があります。朝晩の整髪・洗髪のたびに髪が抜ける恐怖を味わっている者としては、それだけで共感してしまいます。なお、口絵は葛飾北斎が「百物語」という連作の中で描いたお岩さんだそうです。灯籠というか堤灯(ちょうちん)にお岩さんの顔があらわれるという芝居中の場面を描いたものらしい。
■落語の「蛙茶番(かわずちゃばん)」には、鶴屋南北の作品といわれる「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」が登場します。天竺徳兵衛は偶然にも天竺(インド)まで行くという稀な体験をした船乗り。この人物が、国家転覆を謀る怪人として妖術を使ったり、蝦蟆(がま)の化け物が出てきたりする奇想天外な物語だそうです。この世の物とは思われぬ人や物を登場させ、観客を恐怖させる「怪談物」の嚆矢(こうし、初物)と呼ばれる作品らしい。
■本日は、江戸文化の爛熟期に花を咲かせた脚本家の命日にちなみ、4代目鶴屋南北の逸話に関するクイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?(正解は複数かも)
[い]実家は染物屋だったが生来の芝居好きがこうじて狂言作者に入門し、わずか1年で出世作「東海道四谷怪談」を書いた
[ろ]漢字の使いかたが不正確で、閉演するときの口上、「まず今日はこれぎり」を「松京はこれぎり」などと書いた
[は]作者仲間と料亭で筋を練っていて、店の者に怪しまれ、奉行所配下の者が確認しに来たことがある
[に]「天竺徳兵衛韓噺」初演の際、PRのために「早替わりはキリシタンの妖術」という噂を町に流したら奉行所にとっちめられたことがある
[ほ]亀戸に住んでいたころ、「南北」という表札だけだしておいたら、村の者に医者と間違われ、大歓迎されたことがある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]と[ほ]が正しい
説明:[い]実家は染物屋だったが生来の芝居好きがこうじて狂言作者に入門し、わずか1年で出世作「東海道四谷怪談」を書いた(×)
■染物屋の伜(せがれ)として日本橋で生まれたのは事実のようです。芝居好きで桜田治助(じすけ)、金井三笑(さんしょう)、並木五瓶(ごへい)、中村重助(しげすけ?)、増山金八(きんぱち?)らに師事したとのこと。漫画家でいえば、アシスタントのような役目を果たしていったのでしょうか。30年間も下積み生活を送り、49歳のころに立作者(たてさくしゃ)となります。立役者が役者の中心人物であるように、立作者は作者グループの中心人物のようです。出世作は、「天竺徳兵衛韓噺」だそうです。
□参考資料*5によれば、「天竺徳兵衛韓噺」は正式な題名ですが、通称としては、「音菊天竺徳兵衛(おとにきくてんじくとくべえ)」という題名が使われることが多いそうです*6。「音に聞く(有名な)」という意味と、「尾上菊五郎(歌舞伎屋号音羽屋)が演じるよ」という意味をかけた駄洒落らしい。
[ろ]漢字の使いかたが不正確で、閉演するときの口上、「まず今日はこれぎり」を「松京はこれぎり」などと書いた(△)
■漢字の使いかたはかなりいい加減だったという話があります。「松京はこれぎり」ではありませんが、「待ツ今日はこれぎり」とは書いていたらしい。「その旗、渡せ」というところを「その畑、渡せ」と書いたという話も残されています*1*2。漢字を表音文字としてのみ利用するという万葉仮名以来の伝統によったのかな*7。
□現代には、役者のほうがいい加減で「故郷に錦」を「こきょうに『わた』」と読んだ大物俳優の逸話があります。書くほうも読むほうも、多少いい加減でも、客を感動させることはできるようですね。
[は]作者仲間と料亭で筋を練っていて、店の者に怪しまれ、奉行所配下の者が確認しに来たことがある(○)
■料亭で何人かが話していたそうです。「宝刀をどこで盗むか、それをどう質入れするか」。「いやその前に大殿を毒殺しておいて、御近習に罪をなすりつけ、御用金を盗んで女郎買いで費消し、それから刀を奪いとる段取りがよかろう」。「それよりも贋物を質入れして、本物の宝刀は別のところへ埋めておく手はどうだ」。「いえ、あの女房をたくらみでおびきだし、女郎に売って稼がせる、それでもとでができるという工夫がいい」。「そのあげく、亭主をバラして消える寸法だ」
□こんな会話を耳にしたら、つい警察に連絡してしまいますよね。料亭の主人もそうしたらしい。部屋を訪ねてくる男があり、南北の顔を見るなり、「おや、この連中はあんたのお仲間ですか」。たまたま顔見知りだったらしい。「ここはあんたの店か」と尋ねると、実は男は町奉行所配下の者だったとのこと。岡っ引きなのかな。ちかごろ名うての盗賊団が江戸に乗り込んできたという噂があったので、警戒していたようです。料亭から通報があったので様子を探りに来たとのこと。一同は唖然とし、呑んだ酒も冷めてしまったので、改めて男と一緒に飲み直して別れたそうです*2。
[に]「天竺徳兵衛韓噺」初演の際、PRのために「早替わりはキリシタンの妖術」という噂を町に流したら奉行所にとっちめられたことがある(×)
■「天竺徳兵衛韓噺」の初演時に、座の者たちと相談して「早替りはキリシタンの妖術」という噂を江戸に広めさせたのは事実だそうです。町奉行所が取り調べに乗り出すという騒ぎになったらしい。結局はおとがめなしとなり、奉行所の役人から称賛を受けたとWikipediaに記されていました。何て褒められたんでしょうね。「お主もなかなかの知恵者じゃのう」とか言われたのでしょうか。認知度はあがり、興行は大入りとなったそうです*1。
[ほ]亀戸に住んでいたころ、「南北」という表札だけだしておいたら、村の者に医者と間違われ、大歓迎されたことがある(○)
■本所亀戸(ほんじょかめいど)村に引っ越ししたことがあったそうです。当時は、亀戸は江戸市中ではなかったんですね。いま、東京スカイツリーが建設されている押上(おしあげ)から南北へ、失礼、南東へ2kmほど行ったところかな。
□表の小門に表札を出し、「南北」とだけ書き記しておいたそうです。近所の人たちは、「南北」の表札を見ててっきり医者かと思ったらしい。現代の我々にはわかりませんが、当時の人には医者風の名前に見えたのかな。
□当時の亀戸村は無医村だったらしい。亀戸橋を渡って遠い町の医者にかからねばならないところ、今年は流行風邪(はやりかぜ)でも大丈夫だと、勝手に大喜びしたそうです*2。事実が判明したときには、さぞ落胆したでしょうね。村八分にされなかったのかな。
□ちなみに、Wikipediaの「江戸時代の医師」の項を調べると、末尾に「庵」がつく人は少し多めですね。70人余りの中、緒方洪庵(こうあん)を初めとする8人がいました。杉田玄白(げんぱく)のように、名前に「玄」がつく人も8人。末尾に「斎」がつく人は渋江抽斎(しぶえ ちゅうさいなど5人。あとはとくに名前に特徴は見られないような気もしますけど*4。
(^_^;)
◆参考*1:HP「鶴屋南北 (4代目) - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%B1%8B%E5%8D%97%E5%8C%97_(4%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
◇*2書籍「世界人物逸話大事典」初版639~640頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店
◇*3HP「葛飾北斎『百物語』:カイエ:So-net blog」
http://lapis.blog.so-net.ne.jp/2009-04-03
◇*4HP「Category:江戸時代の医師 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8C%BB%E5%B8%AB
◇*5書籍「名作歌舞伎全集09 鶴屋南北集1」監修戸板康二他、東京創元新社
◇*6HP「江戸人の「異国」 「音菊天竺徳兵衛」」
http://homepage3.nifty.com/inumaru/newpage80.htm
◇*7HP「暴走族の「夜露死苦!」は日本語の伝統を守った表記なの?」
http://blog.q-q.jp/201009/article_14.html

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2010年12月24日 12:29
鶴屋南北が5人いたとは知りませんでした。
お岩稲荷には行ったことがありますが、実際のお岩さんは、良妻賢母だったそうで、芝居はいい迷惑だったそうですね。
「は」と似たような話は、一番最初の『ゴジラ』のときにもあったそうで、銀座数寄屋橋交差点で、円谷さんと映画のスタッフが「ここを火の海にして・・・」「こっちを壊して・・・」とやっていたら、警視庁にひっぱっていかれたそうですね。(>_<)
ねこのひげ様<素町人
2010年12月24日 17:12
コメントをありがとうございます。

 お岩稲荷は四谷三丁目の近くなんですね。知りませんでした。年に数十回はそばを通っています。今度寄ってみます。お岩さんが良妻賢母だったというのも知りませんでした。

 円谷監督のお話はとても面白い。昔の日本ですらそうなんですね。現在はテロに敏感な時代です。世界中のフィクション作家連中は小さな声で囁きながら、「このあたりを火の海にして」なんてやっているのかな。内緒話にするとさらに疑われたりするのかな。
(^_^;)

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