「製糞器(せいふんき)」という言葉を造語した幕末の有名人は誰なの?

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★歴史★
問題:明治の流行語「製糞器」をご存じでしょうか。ネットを検索してみると、ウサギを飼っている人のHPで愛称として使われていたりします。でも、最初に作られたときには、「糞を製するだけで何の役にも立たない人間」を意味したそうです。不肖素町人も「御通じ」はいいほうです。毎日着実に便器を汚しつつ製糞器の末席を汚しております。尾籠(びろう)な話で失礼。
■製糞器という言葉は、上方落語の「口入屋」では、次のように使われていました。「…ここらにゴロゴロしてる連中、こらカカシ同様。上からもの食て下から出す、まぁ人間の製糞機みたいなヤツばっかり、そぉいぅことは店を預かる番頭のわたしやないと、でけません……。ウォッホン!」*1。
■美人の新入社員に自分を売り込もうとしている番頭の台詞です。あなたの待遇をよくすることができるのは店を仕切っている自分だけ…と言っています。だから、自分に夢遊病の発作が出たときに(夜這いに行ったときに)、騒いだりしないでくれという虫のいいお願いをしているようです。
■Wikipediaによると、「製糞器」という言葉は、幕末に活躍したある人物が、役人の頭の固さに対して悪口として造語したとのこと。当時、「器械」という言葉が流行しており、そこから思いついた言葉らしい。
■では、「製糞器」という言葉の製造元は次の誰でしょうか?
[い]福沢諭吉
[ろ]小栗上野介(こうずけのすけ、忠順(ただまさ))
[は]勝海舟
[に]坂本龍馬
[ほ]榎本武揚(たけあき/ぶよう)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]小栗上野介(こうずけのすけ、忠順(ただまさ))
説明:小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)は、小栗忠順(ただまさ)が本名らしい。江戸時代末期の幕臣で、勘定奉行、外国奉行をつとめたそうです。
■安政(あんせい)7年/万延(まんえん)元年(1860年)冬に、勝海舟、福沢諭吉らは咸臨丸に乗って、太平洋を横断しています。このとき、同行したアメリカ軍艦ポーハタン号には新見正興(しんみ まさおき)を正使、小栗忠順を目付とする遣米使節団一行が乗っていたそうです。咸臨丸はポーハタン号のバックアップ用の船だったらしい。遣米使節団には、日米修好通商条約の批准書を交換するという大切な役目があったようです。
■余談です。ポーハタン号と咸臨丸に乗り込んだ遣米使節団の長は小栗忠順であるという表記を時々目にします。何を隠そう弊ブログも、「正使小栗忠順(ただまさ)」という表現を使ってしまったことがあります*4。いま調べてみると実際には小栗忠順は正使ではなかった可能性が高いらしい。
■新見正興をはじめとする他の人物は外人との接触・折衝に慣れていなかったようです。小栗忠順は海防・警備の実務を担当したことがあり、外国語を介した交渉の経験があったらしい。ひとり落ち着いていたので米国側が正使と勘違いしたという話がWikipediaの小栗忠順の項に記されていました(101218現在)*2。語学は堪能ではなかったらしいのですが。
■遣米使節の目的の1つに通貨の交換比率の見直しがあったそうです。日米修好通商条約で定められた通貨の交換比率が日本に不利だったようです。小栗忠順は小判と米国金貨の分析結果を認めさせるところまではこぎつけたものの、交換比率改定までは至らなかったとのこと。でも、米国の新聞はその交渉姿勢を高く評価したらしい。単なる野蛮人と思っていたら、科学的な主張をしてきたので驚いたのかな*2。
■小栗忠順は戊辰戦争に際しては主戦論だったといわれます。慶応(けいおう)4年(1868年)に幕府を退職して上野国に引退し、学問塾で生徒を教えたりしています。2か月後に新政府の命を受けた高崎藩兵らに捕縛されたらしい。さらにその2か月後、取り調べもないままに斬首されたとのこと。満40歳と10か月ぐらいだったでしょうか。処刑の理由は武器を隠していたこととか、農兵を訓練していたこと、あるいは徳川の埋蔵金を隠していたことなど、いろいろな説があるようです。どれもあまり証拠らしきものはないらしい。明治新政府は、能力が高い小栗忠順を恐れていたのかもしれません。
■小栗忠順は幕府を近代化するために奔走した人だそうです。海軍・陸軍を洋式化し、横須賀に製鉄所・造船所を建設し、近代経営を持ち込んだそうです。口絵は横須賀造船所を描いたものらしい*5。職務分掌(ぶんしょう、仕事を手分けして受け持つ)、雇用規則、残業手当、社内教育、洋式簿記などは、ここから始まったとのこと。のちに大隈重信(しげのぶ)は、「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」と評しているそうです。
■小栗忠順は、幕臣なのに自宅は西洋式の石造りだったそうです。しかも柱の多い建物で、地震に強くできていたらしい。安政(あんせい)2年(1855年)の大地震を経験したために柱の数が増えたのかな。設計には忠順自身の考えが反映していたとのこと。戊辰戦争のときには、皮肉にも官軍側の本部が置かれたそうです。ひょっとしたら、忠順は自宅を要塞化し、反幕府軍に抵抗することも計算していたのでしょうか。
■小栗忠順の提案で建てられた横須賀造船所は、幕府に多大な費用を強いることになりました。しかし、日本の近代化に大きな役割を果たしたそうです。のちに、バルチック艦隊を破った東郷平八郎(へいはちろう)は、自宅に小栗忠順の子孫を招き、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」とし丁重に礼を述べたらしい*2。
◆参考*1:HP「【上方落語メモ第1集】その27 / 口入屋」
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo27.htm
◇*2HP「小栗忠順 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A0%97%E5%BF%A0%E9%A0%86
◇*3書籍「明治百話」初版118~119頁、篠田鑛造(こうぞう)著、角川書店
◇*4HP「幕末に活躍した咸臨丸の基礎知識。勝海舟は船酔いでいつも不機嫌だった?」
http://blog.q-q.jp/200701/article_25.html
◇*5HP「横須賀造船所建設(東善寺)」
http://tozenzi.cside.com/zousenzyokensetsu.htm

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2010年12月18日 09:42
いまも製糞器と呼ぶしかない政治家や役人が大勢いますが・・・
小栗の徳川埋蔵金と言えば、TBSの番組で糸井重里さんらが赤城山で掘り返していたのを思い出しますね。
結局、出土しませんでしたけどね。(^_^.)
造船所などを作るのに使っちゃたのかもしれませんね。(^^♪
ねこのひげ様<素町人
2010年12月18日 10:30
コメントをありがとうございます。

 そういえば、テレビで埋蔵金を探す番組をやっていましたね。埋蔵金を見つけたら面白かったでしょうに。

 いまの埋蔵金は、鉄建機構の利益剰余金だったりするそうです。なんでも1兆5000億円もあるらしい。今日現在で1gあたり4000円弱ですから、金にすると375トン以上もあるようです。すごい。
 でも、これも年金支払いの不足分に回すとか新聞には書かれています。なんだか自転車操業みたいで不安ですね。

 政官界の製糞器さんたちにもう少し頑張ってもらわないと、立ちゆかなくなりそうです。
(^_^;)

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