赤穂浪士討入の日。ところで山鹿流の秘法隠し筆に使われるのは砂糖なの醤油なの?

画像
★科学★
問題:本日12月14日は年に1度、復讐・私刑が許される討ち入り記念日です。今日に限っては、殺人事件の被害者三親等までの遺族は加害者を殺しても罪に問われません…なんてね。そんな日があったら一億総草食系で攻撃性の低すぎる日本もおおいに活気づくでしょうね。活気づくというよりは、殺気づくのかな。スリルがあるだろうな。
■冗談はともかく、本日は、主君浅野内匠頭(たくみのかみ)の無念を晴らすべく、もと国家老大石内蔵助(くらのすけ)以下47浪士が吉良上野介(きら こうずけのすけ)の屋敷を襲い、見事本懐を遂げた日だそうです。元禄15年12月14日というのは講談や芝居などでいわれているとおりらしい。西暦に直すと1703年1月30日とのこと。いちばん寒いころですね。実際に吉良の首をちょん切ったのは31日の未明のことだったようです。
■大石内蔵助は山鹿流の兵法を学んでいたといわれます。同時代を生き、江戸を逐われて赤穂藩に滞在した山鹿素行(やまが そこう)という軍学者の編み出した兵法だそうです。ただし、「山鹿流の陣太鼓」というのは実際にはなかったとWikipediaには記されています*2。「…これにて由良之助、太鼓を打つを、柝の頭(きのかしら、最初の拍子木の音)、あと山鹿流一鼓陸足(いっこりくそく、1度鳴らす間に6歩進む)の陣太鼓とともに皆々討ち入る科(しぐさ)のうちに…」という「仮名手本忠臣蔵」の記述は、歴史上の事実とは異なるようです*3。
■本日は、307年前の赤穂浪士たちの義挙を記念し、山鹿流兵法についての科学クイズです。山鹿流の兵法のなかには、隠し墨(かくしずみ?)と呼ばれる秘法があったとのこと。敵に知られずに味方にのみ情報を伝える方法だそうです。では、隠し筆の秘法には、次のどんな化学物質が利用されたでしょうか? 参考資料*1に記されていたもののみを正解とします。
[い]砂糖
[ろ]塩
[は]酢
[に]醤油
[ほ]味噌
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★科学★
正解:[い]砂糖
説明:参考資料*1には次のように記されています。「案外なのは、大石内蔵助も学んだという山鹿流の兵学書の中にまで、この隠し墨の秘伝が記されているということでして、『唐胡麻(とうごま)の油で黒い紙に書き、後で白砂糖を振りかけると文字が現われる』ということです」。
■唐胡麻の油というのは下剤などに使われたヒマシ油だそうです。ヒマシ油は不乾性油として知られているとのこと。なかなか乾かないらしい。秘密の指令書などが敵の手に落ちても、敵にはただの黒い紙としか見えないので情報が漏れにくいのかな。白砂糖を振りかければ筆跡の部分だけに砂糖の粉がつくので、内容が読み取れるらしい。
■塩でもおなじじゃないかと思われるかもしれません。たしかに、現代のようにサラサラの塩があれば、ひょっとしたら塩でも読み取れるのかな。ただ、昔の塩は苦汁(にがり、塩化マグネシウムや塩化カリウムなど)を含んでおり、空気中の水分を吸い込んでベタッとしていたという話もあります。素人の勝手な推測ですが。「焼き塩」にして水分を飛ばし、細かく突き砕けばできたのかな。なお、白い紙の場合には炭の粉か煤(すす)を振りかければ同様の効果が得られるそうです。
■秘法とか秘伝というわりには単純な方法ではあります。でも現代のスパイ諸兄諸姉も、単純な方法を利用しているという話もあります。やはり参考資料*1に記されていた方法では、東欧圏の隠密たちは、ウォッカに砂糖を飽和させた溶液で内緒の文書を書くらしい。あぶり出しなのかな。ごくありふれた素材を使うので身体検査や家宅捜索などでも怪しまれにくいようです。余ったら飲んでしまえばいいとのこと。でもねぇ。飽和するほど砂糖をいれたウォッカの味はいかがなものかな。
◆参考*1:書籍「化学マジック・タネ明かし」新書初版55頁、山崎昶(あきら)著、ISBN4-06-132755-0、講談社
◇*2HP「山鹿流 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E6%B5%81
◇*3書籍「名作歌舞伎全集2 丸本時代物集1」戸板康二他監修、東京創元社
◇*4HP「哲学者山鹿素行の命日。吉田松陰や大石内蔵助、昭和天皇にまで影響を及ぼしたの?」
http://blog.q-q.jp/201010/article_19.html

ぬけられます→科学雑学クイズ一覧

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

ねこのひげ
2010年12月14日 08:51
子供の頃、ミカンの汁で書いたのを、火であぶると文字が浮かび上がるというのをやってましたね。
今から見ると単純すぎて秘伝というほどではなくても、昔は通用したのかもしれませんね。
ちなみに、山鹿流の陣太鼓を打ちならしたのは、ウソだそうで、芝居で派手に見せるための創作だということになっていますが・・・・
「遠からん者は、音にも聞け!・・・われこそは」とやっていた侍ですから鳴らしていたのではないかという気がしないでもないですね。
ねこのひげ様<素町人
2010年12月14日 11:06
コメントをありがとうございます。

 大石内蔵助らがいちばん恐れたのは、せっかく討ち入ったのに吉良に逃げられてしまうことだったようです。2度目はないでしょう。せっかくの労苦が水の泡となり、自分たちは不名誉で間抜けな犯罪者として処罰され、肝心の先君の恨みも永遠に晴らすことはできなくなります。
 屋敷の外に逃げられぬよう最大限の注意を払ったともいわれます。となれば、邸内の者にはなるべく長く気づかれずに寝所に迫りたいでしょう。あえて大きな音を立てて気づかせるというのは、やらなかったような気もしますけど…ただし、これはあくまでも素人の見方です。正しいという保証はまるでありません。
m(_ _)m

 ミカンの汁のあぶり出し。何度もやりました。早く文字を出そうと焦ってコタツの火に近づけ過ぎ、気がつくと端から少し燃やしてしまったり。じつに懐かしいですね。
(^^;)
sadakun_d
2010年12月25日 02:29
12月14日は愛知県幡豆郡吉良町では吉良義央第308忌でしたね。菩提寺には毎年観光客やテレビカメラが入ってひとつの名所。

中日新聞には住職や地元の名士(市町長さん)が写ります。

毎年忙しくなければ吉良忌には出掛けますよ。

来年は吉良町がなくなって西尾市に吸収合併。そのため地元メディアによく登場
「吉良町のラーメン」などが紹介されていたので食べてみた

うまーい!(笑)

来年も吉良ラーメンいきたいぞ
sadakun_d 2
2010年12月25日 02:34
赤穂事件は吉良翁が60歳を越えた時に「松の廊下」

約2年後に討ち入りだけど…

当時としては異様に吉良翁は長生きしてしまった。「約2年」のインターバルでコテンと老衰や病死なりしたらねぇ

まあ吉良翁は名君の誉れ高き地元の大名さん(高家筆頭)ですからね
sadakun_d様<素町人
2010年12月25日 22:04
コメントをありがとうございます。

 落語の枕で、「吉良の地元で忠臣蔵の噺をしてしくじった芸人がいる」と聞いたことがあります。領民たちは、吉良上野介を敬愛していたようですね。
 
 吉良町は、吉良上野介・吉良の仁吉など、ゆかりの全国区級著名人がいるのに、合併でなくなってしまうわけですか。残念ですね。
(^^;)

この記事へのトラックバック