哲学者山鹿素行の命日。吉田松陰や大石内蔵助、昭和天皇にまで影響を及ぼしたの?

画像
★歴史★
問題:西暦1685年の今日、10月23日。和暦では貞享(じょうきょう)2年9月26日。儒学者にして軍学者として知られた山鹿素行(やまが そこう)が亡くなりました。満63歳と1か月でした。
■おなじ時代に生きた人々を眺めると、山鹿素行が没した貞享(じょうきょう)2年(1685年)、徳川綱吉(つなよし)は39歳ぐらい。将軍に就任して5年ほど経過しています。松尾芭蕉(ばしょう)は41歳ぐらい。「奥の細道」の旅に出る4年前でしょうか。近松門左衛門(もんざえもん)は32歳。その2年前に竹本義太夫(ぎだゆう)の竹本座が「世継曾我(よつぎそが)」という近松の作品を演じて大好評。近松は浄瑠璃作者としての地位を築いたそうです*7。そして大石良雄(よしお、内蔵助(くらのすけ)とも)は26歳。すでに赤穂藩の筆頭家老だったようです。
■山鹿素行は、江戸時代前期を代表する学者だそうです。元和(げんな)8年(1622年)に会津に生まれ、6歳で林羅山(らざん)の門下に入ります。幼いころから優秀な子だったらしい。
■林羅山は、朱子学の大親分です。慶長(けいちょう)10年(1605年)、わずか満22歳ぐらいのとき、家康の相談役となっています。2代目将軍秀忠、3代目家光に教えたこともあります。徳川幕府御用達ですね。寛永(かんえい)12年(1635年)には武家諸法度の制定にも携わったらしい。
■山鹿素行は、15歳からは小幡景憲(かげのり、甲州流軍学者)やその高弟の北条氏長(うじなが)らに軍学を学び、さらに神道、歌学なども学んだそうです。長じてからは、「太平の世に適した武士道倫理」を体系化して一家をなしたとのこと。
■寛文(かんぶん)2年(1662年)を境に古学に転じています。古学というのは「朱子学・陽明学などの解釈を批判し、『論語』、『孟子』などの経書(けいしょ)の本文を直接に研究してその真意を解明しようとするもの」だそうです。方針変更を決めたのは満40歳ぐらいでしょうか。
■寛文(かんぶん)6年(1666年)に「山鹿語類(やまがごるい)」という書物を脱稿したあとで、江戸を離れます。しばらく中国地方にいたらしい。そこでも志ある人たちに教え、軍学書や歴史書などを執筆したとのこと。このころから尊皇思想に傾斜していったそうです。
■寛文(かんぶん)9年(1669年)に「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」という書物をまとめます。「中国と北朝鮮の驚愕の事実!」という本ではありません。日本についての歴史書です。天皇の系統を論じたものらしい。「万世一系」を強調したとのこと。その著書は、後世に大きな影響を残したようです。脱稿当時、満47歳ぐらいだったのかな。
■10年ほど中国地方に滞在してから江戸に戻り、貞享(じょうきょう)2年(1685年)に亡くなります。お墓は東京新宿弁天町の宗参寺(そうさんじ)というお寺さんにあるそうです。200年ほどあとに、その近所の馬場下町で夏目金之助(きんのすけ、漱石)が生まれています。哲学者のお寺さんも文豪の生家も現在の早稲田通りに面しているようです。
■では、江戸初期の偉大な学者の命日にちなみ、山鹿素行についての雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]「山鹿」の名前は、信奉する山中鹿之助の字を一字ずつもらって命名した
[ろ]朱子学を批判して林羅山と仲違いしている
[は]討ち入りをした赤穂浪士たちは山鹿流の陣太鼓を鳴らした
[に]紀州侯の屋敷で由井正雪(ゆいしょうせつ)に会った後、紀州侯に「つきあわないほうがいい」と忠告している
[ほ]吉田松陰(しょういん)や乃木希典(まれすけ)にも影響を与えた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[に]、[ほ]が正しい
説明:[い]「山鹿」の苗字は、信奉する山中鹿之助(しかのすけ)の字を一字ずつもらって命名した(×)
■山鹿素行の苗字は、お父さんから譲られたごくふつうのものらしい。山鹿貞以(さだもち)という浪人だったそうです。自分が職業で苦労したせいか、山鹿貞以氏は、息子の山鹿素行を幕府に就職させるのに異常な情熱を抱いていたとのこと。山鹿素行は早くから学問に秀でていたので、売り込みにも力がこもったのかな。慶安(けいあん)4年(1651年)。山鹿素行が満29歳のころ、コネを使って、もうすこしで幕府に出仕がかなうというところで家光が亡くなり、話はそれなりけりになったようです*3。お気の毒なことでした。
□山中鹿之助は、戦国大名尼子騒兵衛(そうべえ)に仕えた武将ですね。おっと失礼、尼子義久(よしひさ)、勝久(かつひさ)に仕えた武将でした。尼子十勇士の1人らしい。講談では「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったことになっています。鹿之助という名前も講談に由来するとのこと。実際には鹿介(しかすけ)だったらしい。勘違いした尼子騒兵衛は現代の人です。アニメ「忍たま乱太郎」の原作を描いている女流漫画家ですね。
□余談です。江戸時代大坂の豪商鴻池家は、山中鹿之助の息子さんが源流だそうです*2。戦国末期から江戸時代にかけて、軍事・経済の面で足跡を残した一家らしい。
[ろ]朱子学を批判して林羅山と仲違いしている(○)
■林羅山のもとで朱子学を学んだ山鹿素行でしたが、古学に転じてからは林家とは次第に対立するようになったようです。江戸時代には学問の自由はあまり認められていません。寛文(かんぶん)6年(1666年)に赤穂藩に配流され、蟄居を命じられます。林家の権力は、学界では絶対のものだったようですね。
[は]討ち入りをした赤穂浪士たちは山鹿流の陣太鼓を鳴らした(×)
■赤穂藩の浅野家には10年ほど身を寄せていたらしい。延宝(えんぽう)3年(1675年)にようやく許されて江戸に戻っています。
□そのあいだ、赤穂藩の人々にさまざまに影響を与えました。元禄15年12月14日(1703年1月30日)に赤穂浪士47人の先頭に立って主君浅野長矩(ながのり、内匠頭(たくみのかみ)とも)の仇吉良上野介(きらこうずけのすけ)を討った大石内蔵助も、若いころに薫陶を受けたそうです。一分の隙もない緻密な計画のもとに仇討ちが実行されたせいでしょうか。山鹿流の兵法は、赤穂浪士たちによる復讐劇のあとで、さらに高く評価されたとのこと。
□ただし、Wikipediaによると、「山鹿流の陣太鼓」というのは芝居や講談の世界の話らしい。山鹿素行の著作のなかに打楽器の活用法は記されていないようです*1。
[に]紀州侯の屋敷で由井正雪(ゆいしょうせつ)に会った後、紀州侯に「つきあわないほうがいい」と忠告している(○)
■由井正雪は慶安(けいあん)4年(1651年)に慶安の変を起こした軍学者です。紀州侯は、徳川家康の10男坊、紀州藩主徳川頼宣(よりのぶ)という人物です。徳川吉宗の祖父にあたるらしい*5。
□由井正雪は山鹿素行より10歳以上も年上だったようです。でも、頼宣の屋敷で出会ったとき、あえて時候の挨拶以外はいっさいしなかったようです。別の日に頼宣に面会し、「由井正雪は何を考えているかわからない人物だから近づけないほうがいい」と忠告したらしい。頼宣は無視します。
□のちに由井正雪は倒幕をもくろみ、武装蜂起を企てます。このとき、徳川頼宣の文書を偽造して使ったらしい。頼宣は一味との容疑をかけられます。疑いが晴れて、地元紀州に戻れたのは10年後だったらしい。助言に耳を貸さなかったのは失敗でした。
[ほ]吉田松陰(しょういん)や乃木希典(まれすけ)にも影響を与えた(○)
■吉田松陰は山鹿流兵法を学んでいたそうです。そのわりには権力への対応には油断があり、事をなしとげられぬままに処刑されてしまうわけですけど。
□乃木希典は日露戦争で陸軍を指揮した長州出身の軍人です。203高地の攻防戦は、長く語り継がれています。戦後、幼いころの昭和天皇の教育係に指名されます。大正元(1912)年9月13日。明治天皇の大喪の日。その夕方に妻と共に殉死しています。満62歳でした。
□殉死の数日前、乃木希典は自ら写本した「中朝事実」と「中興鑑言(ちゅうこうかんげん)」という山鹿素行の著書を当時10歳の親王、のちの昭和天皇に与えたといわれます。熟読するようにと強くいいわたしたらしい。子供ながらただならぬ雰囲気に気づいた親王は、「閣下はどこかに行ってしまわれるのですか?」と尋ねたそうです。
◆参考*1:HP「山鹿素行 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C
◇*2HP「天下の大富豪、鴻池善右衛門(こうのいけ ぜんえもん)が新選組のユニフォームを作ったの?」
http://blog.q-q.jp/201006/article_14.html
◇*3HP「大成建設 | ライブラリー - 祖心尼と 山鹿素行 済松寺」
http://www.taisei.co.jp/about_us/library/column/tower/2006/1168584049756.html
◇*4HP「曹洞宗雲居山 宗参寺|新宿区」
http://www.e-ohaka.com/detail/id1213173643-890430.html
◇*5HP「徳川頼宣(よりのぶ)氏の命日。徳川家康の10男坊は吉宗の祖父にあたるの?」
http://blog.q-q.jp/200802/article_17.html
◇*6HP「乃木希典 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8#.E6.97.A5.E9.9C.B2.E6.88.A6.E4.BA.89.E3.83.BB.E6.97.85.E9.A0.86.E6.94.BB.E7.95.A5.E6.88.A6
◇*7HP「道頓堀に竹本座が開かれた日。近松門左衛門の脚本が大きな富を生んだの?」
http://blog.q-q.jp/201003/article_21.html

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック