明治政界最大の巨星、伊藤博文の誕生日。維新後に名乗った"本名"は源朝臣博文なの?

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★歴史★
問題:明治政界最大の巨星、伊藤博文は1841年の今日、10月16日に生まれたそうです*1。和暦では天保12年9月2日とのこと。奇しくも本日とおなじ土曜日だったようです*2。まぁ、江戸時代の日本には七曜日はなかったようですけど。
■幼名は利助(りすけ)と呼ばれたらしい。お父さんは林十蔵(じゅうぞう?)というお百姓さんだったそうです。利助が誕生したあとで、お父さんは水井武兵衛(みずいぶへえ?)という中間(ちゅうげん)の養子になったそうです。中間というのは「武士に仕える雑用係」らしい。大名行列で荷物を持ったり背負ったりして歩いている奴さん(やっこさん)も中間の人らしい。武士との間は主従関係というよりは雇用関係だと聞いたことがあります。
■水井武兵衛は、安政元年(1854年)に伊藤弥右衛門(やえもん?)という足軽の養子となり、伊藤直右衛門(なおえもん)と改名しているそうです。そのため、十蔵と利助の親子も伊藤姓の足軽になったらしい。なんだかややこしいですね。なお、足軽は、「江戸時代には諸藩の歩卒(ほそつ)をいい、士分と区別された」とのこと。武士に近いけど武士ではないのかな。
■吉田松陰(しょういん)の松下村塾に学んだそうです。でも利助は身分が低いため、塾の外で立ち聞きしていたらしい。長州出身の明治の大立て者、山縣有朋(やまがたありとも)もやはり似たような境遇だったそうです。
■伊藤博文は、維新のあとで名乗った名前らしい。維新の後では、多くの志士たちは、お金を出して系図を創作し、由緒正しき家柄である風をよそおったそうです。現代から見れば、馬鹿げたことと思われます。でも当時の連中は真剣だったようです。「どこの馬の骨かわからない」ということは、新政府内での活動にも影響すると考えたのかな。明治天皇と会う機会が多いので、あまりに低い身分では失礼だと考えたのかも知れませんね。例外は岩倉具視(ともみ)や三条実美(さねとみ)などです。この人たちはもともと貴族だったので、あえて系図を再構成する必要はなかったらしい。
■では、明治の大元勲の149回目の誕生日をお祝いしつつ、伊藤博文の名前に関する問題です。維新後に名乗ったとされる伊藤博文のもうひとつの名前は次のどれでしょうか?
[い]菅原朝臣(すがわらのあそん)博文
[ろ]藤原朝臣(ふじわらのあそん)博文
[は]越智宿禰(おちのすくね)博文
[に]源朝臣(みなもとのあそん)博文
[ほ]平朝臣(たいらのあそん)博文
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]越智宿禰(おちのすくね)博文
説明:伊藤博文の父親の苗字だった「林」氏は、本姓越智河野氏の支流といわれているとのこと。越智氏は古代日本の伊予国の豪族だそうです。
■宿禰は天武天皇が684年(天武13年)に導入した八色(やくさ)の姓(かばね)で制定された身分制度8段階のうちで真人(まひと)、朝臣に次ぐ3番目の姓だそうです。真人は天皇の名前にも使われるらしく筆頭です。伊藤博文は、あえて朝臣にせず宿禰でとどめたらしい。謙虚なのかな。
■なお、次の高官たちは朝臣を名乗っています。
---山縣有朋(やまがた ありとも、総理大臣など)=源朝臣有朋
---西郷従道(つぐみち、海軍大臣、内務大臣、隆盛の弟)=藤原朝臣従道
---大隈重信(しげのぶ、総理大臣など)=菅原朝臣重信
---大木喬任(たかとう、文部大臣、司法卿、元老院議長)=藤原朝臣喬任
---川村純義(すみよし、海軍大将)=平朝臣純義
---井上馨(かおる、外務大臣、大蔵大臣など)=源朝臣馨
---松方正義(まさよし、総理大臣など)=源朝臣正義
---大山巌(いわお、陸軍大将)=源朝臣巌
---山田顕義(あきよし、司法大臣など)=源朝臣顕義
---前島密(ひそか、郵便制度の父)=藤原朝臣密
(参考資料*3より)
現在のわれわれから見れば、冗談のような名前です。でもけっして朝臣でいる、失礼、遊んでいるわけではないらしい。
■余談です。伊藤博文の幼名利助は「としすけ」とも読まれたらしい。その発音から「俊輔」と書かれることもあり、「しゅんすけ」とも読まれたそうです。さらにその発音から「春輔」と書かれることもあったとか。昔の人は、姓というか苗字のほうにはこだわりがあったようですが、名前のほうについては大らかなんですね。
◆参考*1:HP「伊藤博文 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87
◇*2HP「新暦と旧暦の変換計算(長期)」
http://koyomi.vis.ne.jp/9reki/9rekicgi.htm
◇*3書籍「幕末明治風俗逸話事典」初版377~379頁、紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)著、ISBN4-490-10338-7、東京堂出版

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2010年10月16日 08:24
人間、高い地位について権力を握ると、身を飾りたがるようですね。
徳川家康は最初、藤原家の家系と言っていたのが、途中から清和源氏に変わりましたよね。
これは、源氏の頭領でなければ征夷大将軍になれないという不文律が合ったためとか?
これは俗説だそうですけどね。
家系図を人に見せたとき、よりかっこいいほうを選んだのかもしれませんね。(^^♪
ねこのひげ様<素町人
2010年10月16日 08:54
コメントをありがとうございます。

素町人も今後は源朝臣町人と名乗り、インチキ系図を作ろうかなと考えています。けっして高い地位についてはいませんし権力もありませんが、何かの間違いで征夷大将軍になれといわれたときの準備はしておこうかと。
(^^;)
それにしても、なんとなく見苦しいこの行為、坂本龍馬が生きていたらなんと評したでしょうね。


sadakun_d
2010年10月16日 20:29
伊藤博文の誕生日ですか。「系図買い」は江戸時代から明治になったころが盛んになったんでしょうね。現代なら行政書士が代行してくれる。

徳川家康が御指名されたけど、織田信長・豊臣秀吉も、疑問符が多々あるようで。

そうそう。テニスに伊藤博文選手います。
sadakun_d様<素町人
2010年10月16日 21:34
コメントをありがとうございます。

 テニスに伊藤博文という名前の選手がいるのですか。知りませんでした。学校時代は名前でからかわれたでしょうね。
 伊藤竜馬という名前のテニス選手もいるそうです。Wikipediaによれば、読みは「たつま」のようですけど。この人も名前でからかわれた口かな。
(^^;)

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