鉄の塊の戦車が初めて近代戦に投入された日。戦況をガラッと変える戦果を挙げたの?

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★歴史★
問題:大正5年(1916年)の今日、9月15日。兵器の歴史に新しい一歩が刻み込まれたそうです。第一次世界大戦のまっただなか、ソンムの会戦でイギリス製の戦車が最前線に投入されました。
■ソンムの会戦は、ドイツとの国境に近いフランス北部ソンム県でおこなわれた戦闘だそうです。いわゆる西部戦線のひとつらしい。ここでも「異状なし」の日々が続いたのかな。
■大正5年(1916年)の7月1日から11月19日ぐらいが戦闘期間だそうです。英仏軍対独軍ですね。両軍あわせて100万人以上の損害を出したといわれます。英仏軍の死者・行方不明者は14万6431人。ドイツ軍は16万4055人。大きな差がないぐらいの接近戦、肉弾戦だったようです。
■では、9月15日に戦車が投入されたあと、戦況にはどのような影響があったのでしょうか?
[い]速度が遅かったたため、ドイツ軍の精確な砲撃の標的になり、戦車隊はほどなく全滅。たいした影響はなかった
[ろ]塹壕に落ちたり砲弾の穴で移動不能になったりして使い物にならなかったので戦況はいっさいかわらなかった
[は]一部は効果をあげたものの、全体としてはほとんど効果がなかった
[に]大量投入されたのでドイツ軍は初めてみる光景に恐怖を覚え、最初の日には戦わずして前線を進めることができた
[ほ]無敵の強さを誇り、戦車が投入された箇所では諦めて投降するドイツ兵が数多く現れた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]一部は効果をあげたものの、全体としてはほとんど効果がなかった
説明:Wikipediaの戦車の項によれば、「世界初の実戦参加であったソンム会戦でMK.I戦車は局地的には効果を発揮したものの、歩兵の協力が得られず、またドイツ軍の「野戦砲の直接照準射撃を受けて損害を出した」とのことです*1。
■戦車は、大量に投入して集団で戦うことが想定されていたそうです。どんな事情があったのかわかりませんが、イギリス軍は最初には50両弱しか投入できなかったらしい。「西部戦線異状なし」という膠着状態に大きな変化は与えられなかったようです。ドイツ側の野戦砲の砲撃で損害も出たらしい。英仏軍の戦線は11kmほど進んだそうですが、これはめざましい戦果と呼べるほどではないらしい。
■ちょうど1年後、大正6年(1917年)11月20日のカンブレーの戦いでは、300両あまりの戦車を投入し、成功を収めたそうです。戦車の有用性を世に知らしめた最初の事例となったようです。カンブレーはソンムよりさらに仏独国境に近い北部の町とのこと。
■余談です。戦車も他の新兵器同様に秘密裏に開発されたらしい。「陸上軍艦委員会」というのが開発担当者たちの呼称だったそうですが、最初の暗号名は「Water Carrier(水運搬車)」だったそうです。でも途中から「Tank Supply(水槽供給)」と変わっています。水運搬車では略称がW.C.です。ちょっと臭いそうです。検討する専門家の集まりが「便所委員会(W.C. Committee?)」ではあんまりなので、「水槽供給委員会」に呼び名を変えたとのこと。この「Tank」が言葉として残り、戦車の一般的な呼びかたになったそうです*1。
◆参考*1:HP「戦車 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E8%BB%8A#.E7.AC.AC.E4.B8.80.E6.AC.A1.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E6.88.A6
◇*2HP「ソンムの戦い - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

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