室町幕府で2度目の将軍職をつとめた人って誰だっけ?

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★歴史★
問題:鎌倉幕府や室町幕府という反面教師があったからでしょうか。徳川幕府は安定した政権でした。権力の維持法を細かく検討したといわれます。3代将軍家光までのあいだに基礎を固めたそうです。
■室町幕府はずいぶん不思議な政権でした。いちおう将軍は足利家の人間がつとめました。でも実権は管領とか有力な守護大名が握っていたりします。時には日野富子(とみこ)のような女性が世の中を動かします。そうかと思うと、くじ引きで将軍を決めちゃうという不思議な出来事もありました。
■室町幕府のもうひとつの不思議は、1人の人間が名前を変えて2回将軍職をつとめたことですね。本日の問題はそれが誰だったかということです。学校で習ったはずです。でも、地味な人です。名前は忘れていますよね。頑張って思い出しましょう。次の中から選んでください
[い]義詮(よしあきら)と義持(よしもち)が同一人物
[ろ]義持と義量(よしかず)が同一人物
[は]義量と義教(よしのり)が同一人物
[に]義教と義材(よしき)が同一人物
[ほ]義材と義稙(よしたね)が同一人物
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]義材と義稙(よしたね)が同一人物
説明:足利義材は10代将軍です。明応(めいおう)3年(1494年)~永正(えいしょう)5年(1508年)につとめています。足利義視(よしみ)の息子さんですね。
■応仁の乱のときに将軍だったのが8代目の義政(よしまさ)です。銀閣寺をつくらせたことで知られます。義政が弟の義視(よしみ)に将軍を譲るといいながら、カミサンの日野富子とのあいだに息子義尚(よしひさ)ができたため、約束を反故にした。それも応仁の乱の原因の一つと聞きます。
■結局、9代目将軍は実子の義尚がつぎます。でも延徳元年(1489年)に満23歳で早世してしまいます。延徳(えんとく)2年(1490年)には義政も死に、10代目は義材が継ぐことになります。義材は満23歳だったようです。
■でも明応(めいおう)3年12月27日(1495年2月1日)には、有力大名細川政元(まさもと)と対立して将軍職からおろされ、幽閉されたそうです。なんとか脱走して越中に逃れたらしい。その後、各地で亡命生活を送ります。なんだか最後の将軍義昭(よしあき)に似ていますね。
■そのあいだの将軍は11代目の義澄(よしずみ)です。背が高くて眉毛の太い気象予報士の人ではありません。
■永正(えいしょう)5年7月1日(1508年8月7日)に、周防の大内義興(よしおき)の支援を受け、京都に上り、将軍職に復帰します。満41歳でしょうか。実に13年半ものブランクです。義稙(よしたね)と改名しているそうです。でも、大内氏が引き上げるとまた政権は不安定になります。細川政元の養子の高国(たかくに)と対立します。大永(だいえい)元年12月25日(1522年2月1日)に再び将軍職を奪われたそうです。満55歳かな。翌年、大永(だいえい)3年4月9日(1523年5月23日)に亡命先の阿波で死んでいます。満56歳と8か月ほどの人生でした。
■8代目以降の足利将軍は、次のようになっているらしい
---8代目義政(日野富子の旦那、9代目義尚の父親、義視の兄)
---9代目義尚(義政の実子)
---10代目義材(義視の実子)
---11代目義澄(義政の異母兄の実子)
---10代目再登板義稙(元の義材)
---12代目義晴(よしはる、義澄の実子、13代目義輝の父親)
---13代目義輝(よしてる、義晴の実子、剣聖将軍)
…と続いています。
■13代目将軍足利義輝(よしてる)は、剣の名人塚原卜伝(ぼくでん)の弟子だったそうです*2。松永久秀(ひさひで)と三好三人衆に襲われ、暗殺されたとき、義輝はずいぶん奮戦したらしい。チャンバラでは勝てないと悟った寄せ手の兵は、畳を盾にして4方から突きかかってきたらしい。衆寡敵せず。あえない最期を遂げたのはお気の毒でした。
■本日の主役、義稙(義材)もまた、修羅場を経験しています。再登板のとき、前将軍義澄は、刺客を放って義稙の暗殺を企てたそうです。永正(えいしょう)6年(1509年)12月26日の深夜。円珍(えんちん?)という殺し屋が3人の手下を連れて室町御所に侵入したらしい。義稙の寝所を襲います。3人の部下とともに刀をふるって防戦しますが苦戦です。義稙は着物も烏帽子も切られ負傷しましたが、灯りを消し回って隠れたそうです。昔は月や星の見えない晩には真の闇です。あらためて灯りをつけるのもたいへんです。両手を使って火打ち石でカチカチやっていたら、「ここに無防備な者がいます」と宣伝しているようなものかもしれません。殺し屋たちは部下の死体を義稙と勘違いしたのか、あるいは諦めたのか。引き上げていったらしい。義稙は九死に一生を得たそうです*3。
■平安時代に天台宗の有名な僧侶で円珍(えんちん)という人がいるらしい。義稙暗殺の刺客は、名前はおなじですが、もちろん縁もゆかりもない人と思われます。
◆参考*1:HP「足利将軍一覧 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%86%E8%BB%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7
◇*2HP「剣聖塚原卜伝(つかはらぼくでん)の命日。武蔵の太刀を鍋ブタでかわしたのはホント?」
http://blog.q-q.jp/200803/article_7.html
◇*3書籍「日本史こぼれ話200」新書初版124頁、二木謙一著、ISBN4-537-25453-X、日本文芸社

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この記事へのコメント

2010年08月31日 14:37
いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
履歴書の添え状様<素町人
2015年02月06日 09:03
コメントをありがとうございます。
御礼が遅くなり申し訳ありません。
m(_ _)m

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