織田信長の誕生日。あだ名では「青鬼」と呼ばれていたの?
●●●●●★歴史★●
問題:天文(てんぶん)3年の今日、5月12日は織田信長の誕生日だそうです。西暦でいえば1534年6月23日らしい。五月雨、現代でいう梅雨のさなかに生まれたのかな。
■織田信長は、日本史の上でも一、二を争うほどの有名人です。実績も多ければ逸話も多い。「口数の少ないホトトギスには死を」という意見をもった乱暴な人だったともいわれますね。
■本日は、500年ほど前に生まれた戦国の英雄とその周辺人物の名前についてのクイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]「大うつけ」とか「青鬼」といった渾名(あだな)があった
[ろ]武田信玄への手紙に第六天魔王と署名したことがある
[は]母親は米屋夫人と呼ばれていた
[に]正室は濃姫(のうひめ)だが、側室には、原田直子という現代風の名前の女性がいた
[ほ]神様としての号をもっていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[に]と[ほ]が正しい
説明:[い]「大うつけ」とか「青鬼」といった渾名(あだな)があった(×)
■正しくは、「…『赤鬼』といった渾名があった」だそうです。よく見る信長の肖像画(口絵参照)によれば、赤ら顔の人ではありません。武骨な雰囲気も伝わりません。赤鬼というのは、どんな様子から生まれた渾名なのかな。下戸の明智光秀に「俺の酒が飲めないのならこれを飲め」と刀の刃をつきつけたことがあるようです。酒で紅潮し、パワーハラスメントをするので「赤鬼」なのでしょうか。
□「大うつけ」の「うつけ」は「空け」、あるいは「虚け」と書くらしい。「愚かなこと。ぼんやりしていること。また、そのような者。まぬけ」という意味だそうです。関東地方でいうところの馬鹿者です。ただし、スケールは大きいらしい。
□「馬鹿」のつく言葉でいちばん程度の強い蔑称は「うすら馬鹿」だと聞いたことがあります。リアルです。逆に「大馬鹿者」は蔑称ではありますが、本気でさげすんでいるわけではないらしい。同様に「大うつけ」も、ホントに間抜けと思って呼んでいるのではなさそうですね。内心では一目置いているのかな。あるいは畏怖しているのかもしれません。
[ろ]武田信玄への手紙に第六天魔王と署名したことがある(△)
■武田信玄からきた手紙に「天台座主(ざす)沙門(さもん/しゃもんとも)信玄」という署名があったそうです。「天台宗僧侶の首席である信玄」という意味なのかな。信玄めは宗教界の親分を名乗っている。生意気な。信長は負けずに「第六天魔王」と署名して返信したといわれます*1。
□第六天魔王は、「欲界六天の第六で欲界の最高所」の魔王だそうです*2。6番打者ではなく、4番打者らしい。仏道の妨げをなす最大の敵なのかな。
□このお話は、フロイスという宣教師の記録だけに登場するらしい。現代の歴史家からは、「信長に焼打ちされた比叡山の僧侶、天台座主をかくまったといわれる信玄が自ら天台座主を名乗るのは不自然」という批判もあるようです。
[は]母親は米屋夫人と呼ばれていた(×)
■正しくは「花屋夫人」だそうです。お父さんの信秀さんの再婚相手らしい。信長や弟の信勝、妹のお市の方を生んだ女性のようです。法名は「報春院花屋寿永大禅尼」*3。ここにも「花屋」という言葉が含まれています。
□土田下総守政久という人物の息女だったそうです。実名はわかっていないらしい。土田御前と呼ばれていたらしい。「つちだ」ではなく、「どたごぜん」と呼ばれていたようです。
□なぜ花屋夫人と呼ばれたのかはわかりませんでした。浅草花屋敷のミニジェットコースターが大好きでよく乗りに行っていたからそう呼ばれたという説もあります。う~ん。だいぶ無理がありますね。
[に]正室は濃姫(のうひめ)だが、側室には、原田直子(はらだ なおこ)という現代風の名前の女性がいた(○)
■信長の正室は、美濃の斎藤道三(どうさん)の娘で濃姫と呼ばれていたようです。側室は生駒吉乃(いこま きつの)、お鍋の方、原田直子の3人がいたらしい*1。濃姫には子供ができなかったようです。
□生駒吉乃が信忠、信雄、徳姫を産みました。信忠は本能寺の変で亡くなっています。信雄は江戸時代まで生き残り、大和宇陀松山(やまとうだまつやま?、現奈良県)藩の初代藩主になったそうです。徳姫は家康の長男信康に嫁ぎましたが不和となり、実家に戻っています。信康が切腹させられ、その生母築山殿(つきやまどの)が殺される原因を作った女性かもしれません。
□生駒吉乃は花柳界の人みたいな名前です。お鍋の方は台所の守護神みたいな名前です。でも原田直子は、現代にもいそうな名前ですね。織田信正(のぶまさ)という信長の次男かもしれない人物を生んだとされています。残念ながら信正氏についてはあまり確かな記録が残されていないらしい。原田直子についても、あまりはっきりしたことがわかっていないようです。
[ほ]神様としての号をもっていた(○)
■Wikipediaの信長の項には、「神号(しんごう)」として「建勲(けんくん/たけいさお)」とありました。京都には建勲神社というのもあり、織田信長が祭神だそうです。
□神号というのは、「神の格式や性質を示すものとして、神名に付加する呼び名。皇大神・大神・明神・天神・権現・新宮・今宮など」だそうです。大明神などというのも神号のようですね。信長は神様としてあがめ奉られているようです。宗教を否定したともいわれる合理主義者が神格化され、条理を越えた存在にされているというのは一種の皮肉かな。
◆参考*1:HP「織田信長 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7#cite_note-dairoku-0
◇*2HP「http://www8.ocn.ne.jp/~betukasa/page121.htm」(第六天魔王の話)
http://www8.ocn.ne.jp/~betukasa/page121.htm
◇*3HP「土田御前 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%B0%E5%BE%A1%E5%89%8D
◇*4HP「生駒吉乃 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%A7%92%E5%90%89%E4%B9%83
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問題:天文(てんぶん)3年の今日、5月12日は織田信長の誕生日だそうです。西暦でいえば1534年6月23日らしい。五月雨、現代でいう梅雨のさなかに生まれたのかな。
■織田信長は、日本史の上でも一、二を争うほどの有名人です。実績も多ければ逸話も多い。「口数の少ないホトトギスには死を」という意見をもった乱暴な人だったともいわれますね。
■本日は、500年ほど前に生まれた戦国の英雄とその周辺人物の名前についてのクイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]「大うつけ」とか「青鬼」といった渾名(あだな)があった
[ろ]武田信玄への手紙に第六天魔王と署名したことがある
[は]母親は米屋夫人と呼ばれていた
[に]正室は濃姫(のうひめ)だが、側室には、原田直子という現代風の名前の女性がいた
[ほ]神様としての号をもっていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[に]と[ほ]が正しい
説明:[い]「大うつけ」とか「青鬼」といった渾名(あだな)があった(×)
■正しくは、「…『赤鬼』といった渾名があった」だそうです。よく見る信長の肖像画(口絵参照)によれば、赤ら顔の人ではありません。武骨な雰囲気も伝わりません。赤鬼というのは、どんな様子から生まれた渾名なのかな。下戸の明智光秀に「俺の酒が飲めないのならこれを飲め」と刀の刃をつきつけたことがあるようです。酒で紅潮し、パワーハラスメントをするので「赤鬼」なのでしょうか。
□「大うつけ」の「うつけ」は「空け」、あるいは「虚け」と書くらしい。「愚かなこと。ぼんやりしていること。また、そのような者。まぬけ」という意味だそうです。関東地方でいうところの馬鹿者です。ただし、スケールは大きいらしい。
□「馬鹿」のつく言葉でいちばん程度の強い蔑称は「うすら馬鹿」だと聞いたことがあります。リアルです。逆に「大馬鹿者」は蔑称ではありますが、本気でさげすんでいるわけではないらしい。同様に「大うつけ」も、ホントに間抜けと思って呼んでいるのではなさそうですね。内心では一目置いているのかな。あるいは畏怖しているのかもしれません。
[ろ]武田信玄への手紙に第六天魔王と署名したことがある(△)
■武田信玄からきた手紙に「天台座主(ざす)沙門(さもん/しゃもんとも)信玄」という署名があったそうです。「天台宗僧侶の首席である信玄」という意味なのかな。信玄めは宗教界の親分を名乗っている。生意気な。信長は負けずに「第六天魔王」と署名して返信したといわれます*1。
□第六天魔王は、「欲界六天の第六で欲界の最高所」の魔王だそうです*2。6番打者ではなく、4番打者らしい。仏道の妨げをなす最大の敵なのかな。
□このお話は、フロイスという宣教師の記録だけに登場するらしい。現代の歴史家からは、「信長に焼打ちされた比叡山の僧侶、天台座主をかくまったといわれる信玄が自ら天台座主を名乗るのは不自然」という批判もあるようです。
[は]母親は米屋夫人と呼ばれていた(×)
■正しくは「花屋夫人」だそうです。お父さんの信秀さんの再婚相手らしい。信長や弟の信勝、妹のお市の方を生んだ女性のようです。法名は「報春院花屋寿永大禅尼」*3。ここにも「花屋」という言葉が含まれています。
□土田下総守政久という人物の息女だったそうです。実名はわかっていないらしい。土田御前と呼ばれていたらしい。「つちだ」ではなく、「どたごぜん」と呼ばれていたようです。
□なぜ花屋夫人と呼ばれたのかはわかりませんでした。浅草花屋敷のミニジェットコースターが大好きでよく乗りに行っていたからそう呼ばれたという説もあります。う~ん。だいぶ無理がありますね。
[に]正室は濃姫(のうひめ)だが、側室には、原田直子(はらだ なおこ)という現代風の名前の女性がいた(○)
■信長の正室は、美濃の斎藤道三(どうさん)の娘で濃姫と呼ばれていたようです。側室は生駒吉乃(いこま きつの)、お鍋の方、原田直子の3人がいたらしい*1。濃姫には子供ができなかったようです。
□生駒吉乃が信忠、信雄、徳姫を産みました。信忠は本能寺の変で亡くなっています。信雄は江戸時代まで生き残り、大和宇陀松山(やまとうだまつやま?、現奈良県)藩の初代藩主になったそうです。徳姫は家康の長男信康に嫁ぎましたが不和となり、実家に戻っています。信康が切腹させられ、その生母築山殿(つきやまどの)が殺される原因を作った女性かもしれません。
□生駒吉乃は花柳界の人みたいな名前です。お鍋の方は台所の守護神みたいな名前です。でも原田直子は、現代にもいそうな名前ですね。織田信正(のぶまさ)という信長の次男かもしれない人物を生んだとされています。残念ながら信正氏についてはあまり確かな記録が残されていないらしい。原田直子についても、あまりはっきりしたことがわかっていないようです。
[ほ]神様としての号をもっていた(○)
■Wikipediaの信長の項には、「神号(しんごう)」として「建勲(けんくん/たけいさお)」とありました。京都には建勲神社というのもあり、織田信長が祭神だそうです。
□神号というのは、「神の格式や性質を示すものとして、神名に付加する呼び名。皇大神・大神・明神・天神・権現・新宮・今宮など」だそうです。大明神などというのも神号のようですね。信長は神様としてあがめ奉られているようです。宗教を否定したともいわれる合理主義者が神格化され、条理を越えた存在にされているというのは一種の皮肉かな。
◆参考*1:HP「織田信長 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7#cite_note-dairoku-0
◇*2HP「http://www8.ocn.ne.jp/~betukasa/page121.htm」(第六天魔王の話)
http://www8.ocn.ne.jp/~betukasa/page121.htm
◇*3HP「土田御前 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%B0%E5%BE%A1%E5%89%8D
◇*4HP「生駒吉乃 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%A7%92%E5%90%89%E4%B9%83
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この記事へのコメント
「原田直子」を検索語として調べると、弁護士、精神科の医師、自然育児の会を主催している人など、世の中の役に立つ人がたくさんいるようです。
原田美枝子さんとか飯島直子さんという芸能人はいるようですけど、原田直子さんというタレントはいないのかな。
(^^;)