秀吉の姉の運命。91歳まで生きた戦国の女はどんな地獄を見たの?

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★歴史★
問題:西暦1625年の今日、5月26日。和暦では寛永2年4月20日。秀吉の実のお姉さんである日秀(にっしゅう)が亡くなりました。諱(いみな、生前の実名・本名)は智(とも、智子とも)だそうです。亡くなった年には満91歳ぐらい。当時としてはたいへんなご長寿だったと思われます。
■長寿はそれだけで幸せかもしれません。でも辛いことも多かったようです。たとえば、81歳のころ、慶長(けいちょう)20年5月7日、西暦では1615年6月4日に大坂夏の陣で甥である秀頼(ひでより)が敗死し、豊臣家が滅亡しています。後に触れる理由もあり、ひょっとしたら豊臣家滅亡は彼女にとっての朗報という可能性もありますが。
■日秀と秀吉、幼名でいえば智や日吉丸のお母さんは、日吉丸が関白秀吉に大化けしたため、大政所(おおまんどころ)と呼ばれています。本名は仲(なか)という女性です。仲さんは、武士あるいは農民だったかもしれない木下弥右衛門(やえもん)さんとの間に4人の子供をもうけたといわれます。
---天文(てんぶん)3年(1534年)…智(日秀) ♀
---天文(てんぶん)6年(1537年)…日吉丸(秀吉)♂
---天文(てんぶん)9年(1540年)…小竹(秀長(ひでなが))♂
---天文(てんぶん)12年(1543年)…朝日(朝日姫)♀
うまい具合に3年間隔で産んでいますね。ちゃんと一姫二太郎だし。避妊具もオギノ式もない時代に、お見事です。
■なお、小竹君と朝日嬢の次男次女については、父親が異なるという説もあるらしい。弥右衛門氏が亡くなったあと、竹阿弥(ちくあみ)という別の男性とのあいだにもうけた子供かもしれません。竹阿弥は弥右衛門の隠居後の名前という説もあり、どうもはっきりしないようです。
■で、智さんは、三好弥介(やすけ、のちの吉房(よしふさ))という人物に嫁ぎます。日吉丸の出世に伴い、三好吉房も出世していきます。尾張犬山城の城主におさまったこともあったようです。智さんは弥介とのあいだに3人の男児をもうけたらしい。
---永禄(えいろく)11年(1568年)…治兵衛(じへえ、秀次(ひでつぐ))♂
---永禄(えいろく)12年(1569年)…小吉(こきち、秀勝(ひでかつ))♂
---天正(てんしょう)7年(1579年)…辰千代(秀保(ひでやす))♂
お母さんの仲さんの場合とは異なり、ずいぶんくっついたり離れたりしています。最後の子供は満45歳のときの子供でしょうか。高齢出産ですね。
■では、385年前の日秀さんの命日にちなみ、雑学クイズです。智さんは、豊臣家の滅亡以外にも、いくつかの悲しみを乗り越えなければならなかったようです。それはたとえば次のうちどれでしょうか?(複数かもしれません)
[い]長男の秀次が秀吉に殺された
[ろ]次男の秀勝が秀吉に殺された
[は]三男の秀保が秀吉に殺された
[に]旦那の三好吉房が秀吉に殺された
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]長男の秀次が秀吉に殺された
説明:長男の秀次は秀吉の甥にあたります。秀吉の家臣として天正(てんしょう)11年(1583年)に賤ヶ岳の戦いで武功をあげます。翌年の小牧・長久手の戦いでは惨敗して激しく秀吉から叱責を受けたそうです。秀次が満15、16歳ぐらいのころでしょうか。
■天正(てんしょう)19年(1591年)8月に秀吉の嫡男鶴松が亡くなります。お母さんは側室の淀君だったらしい。11月に秀吉の養子に迎えられ、12月には後継者に指名されます。豊臣姓を授けられ、関白職が譲られたらしい。秀次は満23歳ぐらいかな。
■ところが、文禄(ぶんろく)2年(1593年)に淀君が秀頼を産みます。秀次の運命が暗転します。徐々に秀吉に疎まれるようになり、文禄(ぶんろく)4年(1595年)7月8日には秀吉の命で高野山に追放されます。謀反の疑いをかけられたらしい。申し開きもならず、1週間後の15日に切腹を命じられます。満27歳ぐらいだったでしょうか。
■さらに2週間余りあとの8月2日。秀次の一族が粛清されたそうです。4男1女の子供たち、正室・側室・侍女らあわせて39人が処刑されたとのこと。場所は京都の三条河原です。秀次の首を据えた塚の前で、5時間かけて殺したらしい。夏ですから2週間もあれば秀次の首は見るも恐ろしい姿になっていたでしょう。悪臭も漂ったかな。その前で7~8分間隔で1人ずつ殺されていったらしい。ちょっと想像を絶する場面です。
■秀次の父親である三好吉房も、このとき改易されたそうです。讃岐国に流罪となったともいわれますが、その後の消息はよくわからないらしい。秀次の母親であり三好吉房の妻である智さんは、この知らせをどんな思いで聞いたことでしょうか。いくら戦国の世とはいえ、旦那を失い、子供と5人の孫をいっぺんに殺されるというのは地獄でしょう。しかも殺したのは実の弟です。その心中は、誰にもわからないでしょうね。
■余談です。秀次という名前は、どこかで耳にしたなぁと思ったら、耐震偽装問題の主役の1人、姉歯建築士の下の名前が秀次だそうです。もう1人の秀次は運命に翻弄された人です。建築関係の人は自らの愚行で悪名を轟かせました。建築基準法違反、議員証言法違反などの罪で有罪となり、懲役5年の罰を受けているらしい。ひょっとしたらまだ塀の向こう側にいるのかな。
■閑話休題。次男の秀勝は天正(てんしょう)20年(1592年)9月9日、文禄の役のさなかに巨済島(きょさいとう)で病没しています。満23歳ぐらいでしょうか。秀勝の未亡人は淀君の妹。徳川秀忠と再婚し、千姫・家光・忠長(ただなが)らを産みます。さらに、平成23年(2011年)には、NHK大河ドラマの主役を張ることになります。江(ごう、於江与(おえよ)の方/小督(こごう)とも)ですね。
■三男の秀保は、文禄(ぶんろく)4年(1595年)、大和十津川(やまととつかわ)で変死したらしい。満16歳ぐらい。天然痘の療養中だったそうで、病気が悪化したという話もありますし、「十津川に遊覧に出かけたところ、小姓が秀保に抱きつき、ともに高所から転落して死亡」という話もあるそうです。事件か事故か病死かはっきりしません。十津川警部の出番かな。
■日秀さんの子供たちはみんな若くして亡くなりました。旦那は消息不明。家族としては不幸だったかもしれません。でもめげることなく、90年以上を生き抜きました。強い女性だったようです。
◆参考*1:HP「日秀 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%A7%80
◇*2HP「三好吉房 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E5%90%89%E6%88%BF
◇*3HP「豊臣秀次 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E6%AC%A1
◇*4HP「豊臣秀勝 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%8B%9D
◇*5HP「豊臣秀保 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E4%BF%9D

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