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●●●★日本語★●●● 問題:川柳は、俳句より少し遅れ、18世紀中盤から後半にかけて盛んになったそうです。創始者とされるのが柄井川柳という人物です。享保(きょうほう)3年(1718年)に浅草の名主の家に生まれ、寛政(かんせい)2年(1790年)に亡くなっています。芭蕉(1644〜1694)よりはだいぶあとの人です。与謝野蕪村(ぶそん、1716〜1784)とほぼ重なった人生です。小林一茶(1763〜1828)よりは半世紀ほど前に生まれています。田沼意次(おきつぐ)や平賀源内と同時代でした。 ■川柳を江戸時代の人々に定着させた本のひとつが有名な「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」という句集だそうです。160巻も出版されたらしい。現代の「ワンピース」や「こちカメ」みたいですね。たいへん大衆的な人気があったようです。呉陵軒可有(ごりょうけんかゆう)という愉快な仲間たちと一緒に出版したらしい*2。 ■では、川柳の創始者ともいえる柄井川柳大先生の作品についてのクイズです。次のよく知られる川柳のうち、柄井川柳先生の作品はどれでしょうか? [い]居候 三杯目には そっと出し [ろ]泣き泣きも よいほうをとる 形見分け [は]本降りに なって出て行く 雨宿り [に]江戸っ子の 生まれそこない 金をため [ほ]役人の 子はにぎにぎを よく覚え (答えはずっと下↓ スクロールして下さい) ●●●★日本語★●●● 正解:どれも柄井川柳の作品ではない 説明:ひっかけの問題で、たいへん失礼いたしました。柄井川柳という人物は、選者としては高名ですが、作者としては無名であり、作品が残されていないらしい。 ■参考資料*1には次のように書かれています。「…点者(てんじゃ)だから前句付(まえくづけ)や俳諧に優れた能力があったはずですが、川柳がつくった句はほとんど知られていません。つまり、自分は川柳をつくらず、人のつくった句を選ぶのが専門だったのです。どうか、柄井川柳のつくった川柳はない、ということを記憶してください」。 ■点者というのは、点数をつけて句を選ぶ人という意味らしい。採点者の略かな。評者、選者、審査員と言い換えることもできそうです。 ■前句付は、川柳の別名です。川柳が発生する母体となった言葉遊びも前句付けと呼ばれたらしい。たとえば、「切りたくもあり切りたくもなし」という七七の短句(前句)を先に題として提示します。これに「泥棒を 捕らえてみれば 我が子なり」という五七五の長句をつける遊びですね。あわせて三十一文字の歌になるのかな。現代風だとどうでしょうか。「生中継 ひいきのチームが 負けている」なんていうのはどうかな。イマイチかな。 ■昔の点者は、商売として成立していたようです。柄井川柳のころの江戸には、点者が20人ぐらいいて、たとえば次のような活動をしていたらしい。 ---1.七七の題を書いた紙を市中に掲示し、投句を募集する。 ---2.投句者は句に規定の点料を添えて取次所に提出する ---3.点者は取次所から点料と作品を回収し、選をする。入選句は刷り物にのせ、賞品を出す。 ■「点料の合計から諸経費を引いた残りが点者の所得」だそうです。この種の作業では、当然ながら縁故や情実による不公平な選択もありえます。でも柄井川柳はたいへん公正、かつ鑑賞力が高かったらしい。印刷物にのせる作品は名作が多くなります。徐々に投句者が増え、数年でいちばんの点者という評判を得たようです。 ■こうした活動でたまった句を集めて単行本にし、再発行したのが「誹風柳多留」らしい。柄井川柳氏たちは、商売もなかなか上手だったのかな。 ◆参考*1:書籍「ジュニア版 目で見る日本の詩歌 古典川柳と狂歌」初版122頁、浜田義一郎著、ISBN 4-484-29004-9、TBSブリタニカ ◇*2HP「川柳の大偉人「呉陵軒可有」先生の名前。どんな意味?」 http://blog.q-q.jp/200603/article_46.html ぬけられます→日本語雑学クイズ一覧 |
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