355年前の今ごろ。人類史上で最初に土星の輪っかが発見されたの?

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★歴史★
問題:西暦1655年(明暦(めいれき)元年)の今日、3月25日。オランダの天文学者クリスティアーン・ホイヘンスが土星の衛星タイタンを発見しました*3。ホイヘンスがタイタンを発見したのは3月2日であるとする説も見受けられます*1。いずれにせよ1655年の早春にタイタンを発見したという説でまとまっているようです。
■土星の衛星の発見です。天文学者にとっては偉業なのでしょう。素人にとってはたいした問題ではありません。でも、衛星と一緒に、土星に輪があることも発見したらしい*4。こちらのほうが「へぇ~」という気分になりますね。
■ホイヘンスがタイタンを発見してから257年と1ヶ月余り。明治45年(1912年)の4月14日の深夜でした。イギリス船籍の豪華客船タイタニック号は、氷山と激突して北大西洋に沈みます。ホイヘンスの発見のために1513人が犠牲になったといわれています…というのはもちろん冗談です。でも、船と星の名前には、ギリシャの伝説の大男を介した微かな関係があるらしい。
■ホイヘンスは1629年(寛永(かんえい)6年)にオランダのハーグに生まれたそうです。祖父も父も大臣をつとめた名門一家の出身らしい。親父さんのコンスタンティンは学者でもあるとのこと。かのルネ・デカルトと親しかったようです。デカルト氏がコンスタンティンに宛てた1638年(寛永(かんえい)15年)春の手紙が残されているそうです。デモクリトスというギリシャの哲学者が話題にのぼっていたらしい。手紙の前年にデカルト氏は「方法序説」という本を書いています。あの「われ思う。ゆえに我あり」という言葉が記されているようです。
■どうでもいい余談です。知り合いは「われ排泄す。ゆえに我あり」と言っています。排泄物、とくに固形物をじっと眺め、湯気のたちのぼるのを確かめると、自分がいままさに生のさなかにあることを実感するらしい。とくに野糞では生命の横溢と精神の独立を感じるらしい。デカルト氏よりは臭い主張ですが、共感しやすい…そうでもないか。
■排泄物はともかくとして、クリスティアーン・ホイヘンスは15歳でデカルト氏の「哲学原理」を読んだとのこと。どんな感想を抱いたのかな。その影響なのか、まるで関係ないのか。哲学者への道は進まなかったようです。幾何学が好きだったらしく、ライデン大学で法律と数学を学んだらしい。1663年(寛文(かんぶん)3年)にはロンドン王立協会の会員に選ばれています。1666年(寛文(かんぶん)6年)にはパリのアカデミーで指導的な立場についたとのこと。
■土星の輪と衛星の発見には自作の50倍反射望遠鏡を使ったらしい。レンズの改良が成功の鍵だったようです。わずかに26歳前後らしい。30代半ばには学者としての名声を固めていたようですね。DNAがよかったのかな。
■本日は土星の輪っかの発見を記念し、クリスティアーン・ホイヘンスについての雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]ガリレオが発見した振り子の等時性を応用した時計を初めて実際に製作した
[ろ]フランスで活躍していたが、ナントの勅令の発令に伴い、オランダに帰国せざるを得なかった
[は]光の波動説を唱えたが、名声の高いニュートンが光の粒子説を唱えていたので、分が悪かった
[に]艶福家で多くの女性と子供に囲まれ、にぎやかな晩年だった
[ほ]土星探査計画の名前としてホイヘンスの名前が使われている
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[は]、[ほ]が正しい
説明:[い]ガリレオが発見した振り子の等時性を応用した時計を初めて実際に製作した(○)
■1583年(天正(てんしょう)11年)にガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見したそうです。振り子の周期は振幅の大きさに関係せず、一定だと見抜いたわけですね。この現象を道具に活かしたのはホイヘンスだったらしい。1657年(明暦(めいれき)3年)に特許をとったそうです(1658年(万治(まんじ)元年という説もあるらしい)。
□それ以前にも機械式時計はあったらしい。錘(おもり)が重力に引っ張られる力を使う方式だったそうです。残念ながら正確さに欠けたようです。
□ホイヘンス氏は、1673年(延宝(えんぽう)元年)には「振り子時計」という論文を刊行しているそうです。この本は、17世紀最高の科学論文のひとつに挙げられているとのこと*4。
[ろ]フランスで活躍していたが、ナントの勅令の発令に伴い、オランダに帰国せざるを得なかった(×)
■正しくは、「…ナントの勅令の廃止に伴い…」だそうです。ナントの勅令は1598年(慶長(けいちょう)3年)にフランスの王様アンリ4世が発布したそうです。新教徒(プロテスタント、ユグノー)にカトリック教徒とほぼおなじ権利を与えるものだそうです。個人の信仰の自由を認めたものらしい。ナントの勅令の結果、フランスの宗教戦争であるユグノー戦争が終結したらしい。
□1685年(貞享(じょうきょう)2年)にルイ14世はナントの勅令を廃止し、カトリック中心の国家へ逆戻りさせたらしい。新教徒の多くがフランスを去り、フランスの衰退を招いたとのこと。産業の重要部分から人材が失われ、結果として税収の減少、財政の窮乏を招き、フランス革命の遠因となったという見方もあるようです。このとき、ホイヘンスも故郷にもどったらしい*1。弾圧が強くなってきたので1681年(延宝(えんぽう)9年)にはオランダに戻ったとする資料もあります*4。
[は]光の波動説を唱えたが、名声の高いニュートンが光の粒子説を唱えていたので、分が悪かった(○)
■1690年(元禄(げんろく)3年)に「光についての論考」を刊行しています。この著書の中で光の波動説を提唱しているとのこと。光はエーテルという媒質の中を伝わる波だと主張しています。
□名声の高いニュートンが光は粒子であるといっています。どうもホイヘンスの主張は分が悪かったらしい。その後、光の回折や干渉など、波の動きに似た現象が明かになるにつれ、波動説は息を盛り返してきたようです。
□現在では、光は波でもあり粒子でもあると言われます。ホイヘンスとニュートン、どちらの顔も立つ状態に落ち着いているわけですね。
[に]艶福家で多くの女性と子供に囲まれ、にぎやかな晩年だった(×)
■故郷に戻ったホイヘンスは病気がちだったようです。生涯独身で家庭的な幸福には恵まれなかったらしい。名門に生まれた優秀な科学者は、研究につぐ研究の人生だったのかもしれません。1695年(元禄(げんろく)8年)に孤独のなかで亡くなったそうです*4。満66歳ぐらいだったらしい。
[ほ]土星探査計画の名前としてホイヘンスの名前が使われている(○)
■カッシーニ・ホイヘンス・ミッションと呼ばれる土星探査計画が遂行されたらしい。平成9年(1997年)に打ち上げられました。平成17年(2005年)1月14日に土星の惑星タイタンにホイヘンスという探査機が着陸し、地球へ探査データを送ったとのこと。3時間40分後に機能が停止したらしい。
□なお、カッシーニはホイヘンスのあとで土星の衛星を4つ発見した天文学者だそうです。2人の栄誉を称えて名前がつけられた探査計画らしい。
◆参考*1:HP「クリスティアーン・ホイヘンス - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B9
◇*2HP「カッシーニ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8B
◇*3HP「3月25日 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8825%E6%97%A5
◇*4書籍「世界を変えた100の発明・発見」初版66~67頁、糸川英夫監修、ISBN4-589-53247-0、PHP研究所

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2010年03月25日 09:24
おーっ今日でしたか!!
土星の輪は、NASAの画像だけでなく天文台の望遠鏡でも見たことありますが感動します。
このホイヘンスの発見は、かなり運もあったようですね。
土星の輪は、何十年に一度、地球から完全に見えない角度になる年が、何年かあるそうで、そのときは、現代の強力な望遠鏡でも観察できないそうです。
輪を横から見ると数十メートルしかないそうですね。
とうぜん、ホイヘンスの望遠鏡では無理なわけで、ホイヘンスは、発見に関しては運がよかったようですね。
何年か前、『土星の輪、消滅!』なんて新聞に掲載されてました。
ねこのひげ様<素町人
2010年03月25日 21:15
コメントをありがとうございます。

 そういえば、土星の輪を真横から観るとまるで見えなくなるという話を聞いたことがありますね。そうか。ホイヘンス氏が観察したころには、斜めから見られる状況だったわけか。
(^^;) 

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