松平不昧公の誕生日。落語「火炎太鼓」のモデルの殿様なの?

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★歴史★
問題:西暦1751年の今日、3月11日。和暦では宝暦(ほうれき)元年2月14日。出雲松江藩の第7代藩主、松平治郷 (はるさと)が生まれました。政治家としての治郷 はあまり知られていません。でも茶人としてはたいへん有名だそうです。号は不昧(ふまい)。不昧公好みと呼ばれる菓子、「山川」、「若草」などは、現在に至るまで人気があります。
■茶人大名不昧公のおかげで、松江のお茶の消費量は静岡に次いで全国2位だそうです。全国平均の5倍とのこと。1世帯あたりの和菓子の購入量は日本一。全国平均の1.5倍だそうです*6。お茶も和菓子は身体によさそうだし、松江の人はご長寿かもしれませんね。
■本日は江戸時代きっての粋人の誕生日を記念し、松平治郷 、不昧公にまつわる雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]節約・倹約を旨として藩財政を立て直したことで知られる
[ろ]ある時期からの異常な浪費は馬鹿を装ったとする説がある
[は]加増を頑なに断る家臣に頓知で報いたことがある
[に]落語の「火炎太鼓」のような出来事があった
[ほ]出雲蕎麦は不昧公が江戸の蕎麦の改良品として作らせたという説がある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[は]、[に]、[ほ]が正しい
説明:
[い]節約・倹約を旨として藩財政を立て直したことで知られる(△)
■松平治郷が父宗衍(むねのぶ)から家督をついだのは明和(めいわ)4年(1767年)だそうです。16歳ぐらいでしょうか。宗衍の治世中に蝗(いなご)の大群に襲われ、農作物がひどい被害を受けたらしい。財政は破綻しかけ、「雲州様(松江藩の藩主)滅亡」と噂されていたそうです。
□松平治郷は朝日茂保(しげやす?、丹波とも)という家臣に財政改革をまかせたらしい。朝日丹波は、木綿や朝鮮人参、楮(こうぞ、和紙の原料)、櫨(はぜ、ロウソクの原料)などの高付加価値商品作物の栽培を勧めたり、治水工事を行なったりして奮闘します。藩の農民にも苦労を強います。七公三民という厳しい税も課したとのこと*1。
□これまでの借金棒引きという乱暴な方策もとったらしい。そんな滅茶苦茶なやりかたは、天保時代に薩摩藩の調所広郷(ずしょ ひろさと)がやった財政改革だけかと思っていました*4。朝日丹波という人が前例をつくっていたのかな。
□朝日丹波の強引な政策は10年ほどで結果を出したようです。内部留保がだいぶ増えたようです。
□不昧公は朝日丹波に命じただけで、あとはまかせっきりだったという話もあります*1。ご当人の手柄といえるのかどうか。素人にはわからないので△にしました。
[ろ]ある時期からの異常な浪費は馬鹿を装ったとする説がある
(○)

■「丹波が亡くなると倹約のリバウンドか治郷は貯まったお金で堰(せき)を切ったように茶道具の名器を買いあさった」といわれます*5。300両~2000両もする高価な品だったらしい*1。藩の財政はまた派手な支出超過に陥ったようです。困った馬鹿殿です。
□ただし、これには徳川幕府に目を付けられぬよう、わざと浪費したという説もあるようです。金が余っている藩に公共工事などを押し付けて金を使わせるのが幕府のやりかただったと聞きます。それぐらいなら茶器を買い込んだほうがいいかもしれません。買い込んだ茶器類は困ったときには売ることもできます。浪費ではなく余剰金を隠蔽する工作、あるいは投資だったのかな。実は意外に賢い方法なのかもしれません。
[は]加増を頑なに断る家臣に頓知で報いたことがある(○)
■不昧公の家臣の1人は欲のない人物で、功績に対して30石の加増が検討された際に現在の禄で満足しているからと断り続けたそうです。「それでは周囲のものの昇進にさわりがでる。辞退すべきではない」と同僚や上司に言われても固辞し続けたらしい。小姓に調べさせて一部始終を知った不昧公は、忠誠心に感じ、所持する茶入れに「三十石」という銘をつけて与えたらしい*2。
[に]落語の「火炎太鼓」のような出来事があった(○)
■不昧公が江戸の町を駕籠で通っているとき、ある道具屋の店先で銅鑼(どら)の音を聞き、素晴らしいと感じ入りました。道具屋に命じて銅鑼を持参させ、500両で購入したらしい。ここまではまるで落語の「火炎太鼓」みたいなお話です。
□伝説のほうには続きがあるらしい。味をしめた道具屋は、不昧公が通るたびに銅鑼を鳴らしたそうです。「うるさいな。500両も稼ぎやがって」と嫉妬していた近所の人たちに恨まれ、火事にかこつけて店を破壊されてしまったそうです*2。五代目古今亭志ん生の「火炎太鼓」と似て「オジャンになった」という落ちでした。
[ほ]出雲蕎麦は不昧公が江戸の蕎麦の改良品として作らせたという説がある(○)
■出雲蕎麦は現在でも名物ですね。信州に押され気味ではありますが、スーパーの乾麺の棚にも、出雲という名前のついた蕎麦が並んでいたりします。
□不昧公が参勤交代で江戸に出ていたのは、18世紀後半です。ちょうど江戸のそば文化の欄熟期だったらしい。推測ではありますが、不昧公は趣味人としての独特の鋭い鑑定眼をもって江戸のそばの長所・短所を見極めたのではあるまいか。松江に帰ったときに、出雲蕎麦を改良して、完成させたのではないか。そんな説があります*3。
◆参考*1:HP「松平治郷 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B2%BB%E9%83%B7
◇*2書籍「世界人物逸話大事典」初版939頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店
◇*3HP「日本全国そば蕎麦「出雲そば、信州そば、江戸そば」ハイライトジャパン」
http://www.tokusen.info/soba/03.html#_12
◇*4HP「奇想天外な財政再建策。薩摩藩を救った男の評判は最低なの?」
http://blog.q-q.jp/200903/article_40.html
◇*5書籍「大江戸なんでもランキング」初版7頁、中田節子著、 ISBN 4-09-626065-7、小学館
◇*6HP「彩雲堂 松江と和菓子」
http://www.saiundo.co.jp/2matsue.html

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