飛行家リンドバーグの誕生日。パリ到着後最初の一声はなんだったの?

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★歴史★
問題:明治35年(1902年)の今日、2月4日。ニューヨークからパリまで初めて単独・無着陸で飛んだ飛行家チャールズ・リンドバーグが生まれたそうです。
■リンドバーグの父親はスウェーデンからの移民だったそうです。弁護士になってのちに国会議員にも選出されているらしい。努力したんでしょうね。議会では、第一次世界大戦への米国の参戦に反対したそうです。母親は化学の先生だったとのこと。
■リンドバーグは幼いころは機械が好きだったようです。パイロットと整備士の訓練を受けたあとで曲芸飛行士になったとのこと。大正13年(1924年)にはアメリカ陸軍航空隊で飛行士としての訓練を受け、その後民間航空便の飛行士として働いていたとのこと。
■大正8年(1919年)の5月19日。レイモンド・オルティーグというホテルの経営者が懸賞をかけました。5年以内にニューヨークとパリの間を無着陸で飛んだら2万5000ドルを提供するというものです。残念ながら大正13年(1924年)になっても挑戦者はあらわれませんでした。オルティーグは再度懸賞を懸けたそうです。
■今度は何人か挑戦者が出てきます。大正15年(1926年)9月21日にはフランス飛行士がニューヨークから飛び立とうとして失敗。無線通信士と整備士が亡くなっています。昭和2年(1927年)には、何組かの挑戦者が試験飛行や本飛行で事故を起こしたり亡くなったりしています。たとえば同年5月8日には複葉機白鳥号で挑戦したシャルル・ナンジェッセ他1名の挑戦者が消息を絶っているとのこと。そして5月20日にスピリット・オブ・セントルイス号がニューヨークを出発したそうです。
■では、偉大な飛行家の誕生日を祝し、リンドバーグの偉業および人生についての雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]24時間ものあいだ一睡もしないで操縦した
[ろ]飛行機を降りた最初の一声は、「誰か英語を話せる人はいませんか?」だった
[は]子供が誘拐された。巨額の身代金は奪われたが子供は帰ってきた
[に]1941年1月23日にはアメリカ連邦議会で演説し、ナチス・ドイツと中立条約を結ぶべきと主張した
[ほ]無着陸飛行について書いた「翼よ、あれがパリの灯だ」でピューリッツァー賞を受けた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[に]、[ほ]が正しい
説明:[い]24時間ものあいだ一睡もしないで操縦した(×)
■正しくは、「33時間29分間29.8秒間ものあいだ…」だそうです。リンドバーグは満25歳だったそうですが、その若さをもってしても睡魔との戦いはきつかったでしょう。映画で見る限りでは、かなりうつらうつらしたらしい。24時間テレビなどの司会者よりもさらに長い時間、熟睡しなかったようです。
□スピリット・オブ・セントルイス号は、燃料を多く積み込むために、パラシュート・無線機・六分儀は積んでいないそうです。操縦席の前方に燃料タンクを置くという乱暴な設計になっており、潜望鏡を使うか、左右に倒れて外を見るしかできなかったいわれます。視界が変化しないで単調なエンジン音を聞かされていると、まぶたはどんどん垂れ下がってくるのでしょうね。
[ろ]飛行機を降りた最初の一声は、「誰か英語を話せる人はいませんか?」だった(○)
■パリでは郊外にあるル・ブルジェ空港に着陸したそうです。現在も残されていますが、定期便用としては使われていないらしい。パリ航空ショーの会場として利用されるとのこと。
□嘘かホントか75万人とも100万人ともいわれる人たちが押し寄せたらしい。もちろん、成功を聞いたあとで訪れた人がほとんどと思われます。その日その時にはどのぐらいいたのかな。20万人という説もあるようです。ちょっと怪しい。
□余談です。天安門広場で10万人が集まると、排泄物の始末で物凄いことになると聞いたことがあります。20万人だったらどうでしょうか。冬の寒い日です。10人に1人が現場でもよおしたとしても2万人分約5000トンの尿が排泄されるのかな。垂れ流し以外には処理のしようがありませんね。
□スピリット・オブ・セントルイス号を出迎えた群集の多くはフランス人だったと思われます。実際の第一声は、最初に駆け寄ってきた人に尋ねた「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」。2番目が群がって来た群集に対して問いかけた「イズ・ゼア・ザ・パースン・フー・キャン・スピーク・イングリッシュ?(誰か英語を話せる人はいませんか?)」だったというのがホントだったりして。
[は]子供が誘拐された。巨額の身代金は奪われたが子供は帰ってきた(×)
■リンドバーグは昭和4年(1929年)に結婚し、6人の子供をもうけたとのこと。その他に婚外子として3人の子供がいたらしい。
□長男は昭和7年(1932年)に誘拐されます。犯人との身代金交渉のあと、10週間後に死亡が確認されたらしい。リンドバーグ愛児誘拐事件として知られるそうです。
[に]1941年1月23日にはアメリカ連邦議会で演説し、ナチス・ドイツと中立条約を結ぶべきと主張した(○)
■お父さんは議員として連邦議会に立ちました。リンドバーグは影響力の大きい有名人・飛行専門家として議会に立ち、中立条約の件を述べたらしい。戦争が嫌いだったのでしょう。
□他の機会には、イギリス人とユダヤ人がアメリカに連合国側での参戦を働きかけていると述べたそうです。ユダヤ人から反発をくらい、発言は歪曲されたあげく多くの人に曲解されたそうです*1。
[ほ]無着陸飛行について書いた「翼よ、あれがパリの灯だ」でピューリッツァー賞を受けた(○)
■昭和28年(1953年)に「The Spirit of St. Louis(翼よ、あれがパリの灯だ)」を出版しました。翌年、ピューリッツァー賞を受けたそうです。この本を原作としてビリー・ワイルダー監督によって映画化もされたそうです。リンドバーグ役はジェームズ・スチュアートでした。
◆参考*1:HP「チャールズ・リンドバーグ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
◇*2HP「スピリットオブセントルイス号 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E5%8F%B7
◇*3HP「オルティーグ賞 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B0%E8%B3%9E

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2010年02月04日 09:22
このとき、集まった群衆が、記念にというので、飛行機の機体から、部品を剥がして持ち去ったそうで、いつの時代もかわらないですね。
でも、この飛行のおかげでリンドバークは、超がつく大金持ちに。
いまでは、何百万人も横断しているのですが、当時としては、月に行くくらいの価値があったんですね。

映画はテレビでなんどか見ました。
なかなか面白かったですよ。
ねこのひげ様<素町人
2010年02月04日 17:30
コメントをありがとうございます。

 素町人も昔、映画を見た記憶があります。リンドバーグ氏はスウェーデンの血が流れているそうですから、ジェームズ・スチュアート氏みたいな長身だったのかもしれませんね。
 リンドバーグ氏はその後、水上飛行機シリウス号を操縦して太平洋を渡り、日本にやってきたとのこと。根室港に着水したそうです。たしか、根室市のサイトだったかに、その当時の写真がありました。
(^^;)

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