川上音二郎の誕生日。新派の祖、オッペケペー節の大将は、パリでも大人気だったの?

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★歴史★
問題:西暦1864年の今日、2月8日。和暦では文久(ぶんきゅう)4年の1月1日。オッペケペー節で明治の人々の喝采を浴びた川上音二郎が生まれました。現在の福岡市博多区対馬小路あたりだったようです。
■明治11年(1878年)、14歳のころに家を飛び出して大阪へ密航したそうです。ばれてもさらに逃げ、東京へ行きます。職を転々としながら自由党の壮士になったらしい。そのあいだには福沢諭吉の書生をしていたこともあるらしい。
■自由党は明治13年(1880年)に板垣退助らが中心になって結成された日本最初の政党だそうです。明治23年(1890年)の衆議院選挙、国会創設をにらんで作られたらしい。壮士とは、「明治中期、自由民権運動の活動家」だそうです。また、「政党に雇われた用心棒や運動員」も壮士と呼ばれたらしい。川上音二郎は、どちらかといえば後者なのかな。10代後半から20代前半ぐらいだし。
■その後、自由民権運動の弾圧が厳しくなります。このころ、つまり明治10年代後半から、川上音二郎は芸能界に入るらしいのですが、参考資料を読んでも彼の行動の順番がよくわかりません。時間は前後しているかもしれませんが、ざっと並べると、次のようなことをやったらしい。
---明治18年(1885年)に講談師の鑑札を得た。
これは、落語「不動坊(ふどうぼう)」の枕でよく説明される「遊芸稼ぎ人」の鑑札だったと思われます。自由党の党員たちに助言を受けたのかもしれません。政府攻撃の演説が弾圧されるのなら、講談などの芸能で大衆に語りかけてみようという算段だったらしい。
---自由党壮士から歌舞伎俳優になった川上は京都の阪井座で「八犬伝」の御注進の役で初舞台を踏んだ。旨くいかなかった。
---歌舞伎俳優を辞めて大阪の落語家桂文之助に入門。明治21年(1888年)からは寄席に出た。ここでオッペケペー節で人気を得た*6。
なお、オッペケペー節は、川上のオリジナルではないという説も見かけました。すでに落語家の誰かがやっていたというお話です。ただし、これに自由民権運動の主張を込めたのは川上音二郎のオリジナルだったという説です。
■オッペケペー節はたとえば次のような歌詞だったそうです。
---権利幸福きらひな人に
---自由湯をば飲ましたい
---オッペケペッポーペッポーポー*1
参考資料*1によれば、これは明治20年(1887年)に発表されたとのこと。参考資料*6によれば、その1年後になっています。国会が始まる数年前というのは間違いないのかな。
■その後の川上音二郎は、かなりハチャメチャな行動にでます。全部は書ききれませんので、クイズにいたしましょう。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]オッペケペー節は弊衣破帽(へいいはぼう)、いわゆるバンカラ書生のいでたちで歌われた
[ろ]歌舞伎座で川上音二郎が失敗したあと、急拠出演を依頼された市川團十郎(だんじゅうろう)は、「舞台全部を消毒した後なら出演してもいい」と言った
[は]失敗が重なったあとで南洋探検に行くと称して資金を集め、ボートで乗り出したがまた失敗してしまった
[に]妻の貞奴は彫刻家オーギュスト・ロダンに「モデルになってくれ」と頼まれたが時間がないと断った
[ほ]最後はシェークスピア劇を紹介していた。亡くなるときは寝具を舞台に置いて息を引き取った
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]と[ほ]が正しい
説明:
[い]オッペケペー節は弊衣破帽(へいいはぼう)、いわゆるバンカラ書生のいでたちで歌われた(×)
■正しくは、「…八犬伝の御注進の扮装で歌われた」だそうです。後ろ鉢巻に陣羽織、日の丸の軍扇をもっていたそうです。
□その後、明治24年(1891年)ごろには「川上書生芝居」を創立、「板垣君遭難実記(いたがきくんそうなんじっき)」などを演じているらしい。板垣君はもちろん100円札のヒゲのおじさん、板垣退助(たいすけ)氏ですね。明治27年(1894年)には「壮絶快絶日清戦争」などで大当たりをとっています。
□なお、川上音二郎は新派の祖といわれているそうです。これは旧式な歌舞伎に対する新しい演劇という意味らしい。
□新式演劇のいちばん最初は、明治21年(1887年)12月、角藤定憲(すどう さだのり)という人物が大阪で、「大日本壮士改良演劇会」を始めたことらしい。川上音二郎が新派の祖と呼ばれるのは、普及させた功績によるものかもしれません。
[ろ]歌舞伎座で川上音二郎が失敗したあと、急拠出演を依頼された市川團十郎(だんじゅうろう)は、「舞台全部を消毒した後なら出演してもいい」と言った(×)
■正しくは「舞台を鉋(かんな)で削るなら出演してもいい」といったらしい。
□明治28年(1895年)5月、川上は歌舞伎座の檜舞台を踏んだらしい。意外な大入りで味をしめ、歌舞伎座は7月興行も川上にまかせたそうです。ところがこちらは派手にこけたらしい。
□歌舞伎座は川上に見切りをつけ、使者を立てて市川團十郎に出勤を求めたそうです。團十郎は、「川上如きに荒された後の舞台へ立つのは真っ平だ。もし舞台に鉋をかけて削り直してくれるならば出勤する」と答えたらしい。で、実際に削ったという噂もあります。
[は]失敗が重なったあとで南洋探検に行くと称して資金を集め、ボートで乗り出したがまた失敗してしまった(△)
■明治29年(1896年)に川上音二郎は、神田に川上座という自前の劇場を建てたそうです。でも選挙に金をつぎ込んで人手に渡ってしまったらしい。選挙は2度出馬して2度落選しているようです。さらに前年の歌舞伎座での失敗もあり、心にも財布にも穴があきます。袋小路に迷い込んだ川上は南極(南洋?)探検に行くとして明治29年(1896年)の9月10日に商船学校払い下げのボートに乗り、築地河岸から出港したらしい。途中で暴風雨にあったりしてたどり着いたのは神戸だったらしい。
□破損したボートをある劇場の前に飾り、東京から駆けつけた座員と一興行すると川上はそのままアメリカに行ってしまったらしい。なんだかよくわからない人物ですね。
□そもそも本気で南極や南洋探検なんか考えていなかったも思われますし、ホントに資金を集めたかどうかも不明なので、△にしました。
[に]妻の貞奴は彫刻家オーギュスト・ロダンに「モデルになってくれ」と頼まれたが時間がないと断った(○)
■明治32年(1899年)からは、妻の貞奴をともない、一座を率いてアメリカ、ヨーロッパで公演したらしい。このとき、貞奴が女優として活躍したそうです。現地の興行主に「男が女を演じるのは認めない」といわれたからともいわれます。女形の俳優が急死したためという説もあるようです。貞奴は近代日本演劇最初の女優と呼ばれることもあるらしい。
□貞奴は、伊藤博文や西園寺公望(きんもち)などの明治の元勲に可愛がられた日本橋葭町(よしちょう)の芸者だそうです。川上音二郎が政治家をめざしているのに惚れて結婚したらしい。案に相違して芸能界の人になってしまったそうです。なお、口絵写真は、参考資料*1に掲載されていた川上音二郎(右)と貞奴(中)の写真です。おそらくは著作権は時効、公的財産と化していると思われますので引用させてもらいます。
□貞奴の美貌と異国趣味の舞踊が受け、欧米で人気を得たとのこと。明治33年(1900年)にはロンドン興行のあとでパリの万国博覧会を訪れています。7月4日が初日で、この公演に彫刻家のロダンが招待されていたとのこと。ロダンは彼女の美貌にひかれ、彫刻のモデルになってほしいと依頼したそうです。
□8月には大統領官邸で開かれた園遊会に招かれ、「道成寺(どうじょうじ)」を踊ったとのこと。ここでも受けたのかな。「マダム貞奴」として有名になったらしい。
□パリでは着物風の「ヤッコドレス」が流行したらしい。作曲家のドビュッシー、作家のアンドレ・ジイド、画家のピカソらは彼女の演技を褒めちぎったとのこと。ピカソなんかまだ19歳ぐらいのはずなんですけどね。
□フランス政府はオフィシェ・ダ・アカデミー勲章を授与したとのこと。なんか、メチャ受けという感じですね。
[ほ]最後はシェークスピア劇を紹介していた。亡くなるときは寝具を舞台に置いて息を引き取った(○)
■川上一座はいったんもどったあと、再びヨーロッパに渡り、明治35年(1902年)に帰国したそうです。明治36年(1903年)以降はシェークスピア劇を中心に上演していきます。明治41年(1908年)には大阪に洋風の劇場帝国座を開きます。女優養成所もつくったらしい。帝国座の運営は順調だったようです。
□明治44年(1911年)の11月、長年の多忙と無理がたたったのか、腹膜炎を患い、昏睡状態に陥ったそうです。貞奴たちは帝国座で息を引き取らせたいと舞台上に寝具を置いたらしい。親族や門下生に見守られながら最期を迎えたそうです。満47歳だったとのこと。あまり長くはありませんが、つねに全力疾走。太く短く生きた人だったようです。
◆参考*1:HP「麦酒を愛した近代日本の人々 ~ビール文化創世記~ 川上音二郎」
http://www.kirinholdings.co.jp/company/history/soseiki/kawakami.html
◇*2HP「川上音二郎一座 「オッペケペー」 」
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kawakamiotojirou.htm
◇*3HP「川上音二郎 - Yahoo!百科事典」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E9%9F%B3%E4%BA%8C%E9%83%8E/
◇*4:HP「川上音二郎 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E9%9F%B3%E4%BA%8C%E9%83%8E
◇*5HP「川上貞奴 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E8%B2%9E%E5%A5%B4
◇*6書籍「世界人物逸話大事典」初版282~283頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店

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