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zoom RSS 明治の人に「年賀状に書くべき言葉」として選ばれたのは「おめでとう存じます」なの?

<<   作成日時 : 2010/01/06 07:32   >>

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★日本語★
問題:明治時代のなかごろ。言文一致運動というのが起こったそうです。読むのが難しい文語文のかわりにふつうの会話に似た口語文を作ろうとする運動らしい。
■それまでは庶民の読む本でも、地の文は文語体だったわけですね。たとえば山東京伝(さんとう きょうでん)の有名な黄表紙「江戸生艶気樺焼(ゑどむまれうはきのかばやき)」の冒頭は次のように始まっています。
---こゝに百万両分限(ぶんげん/ぶげん、金持ち)と呼ばれたる、仇気屋(あだきや、架空の商店名)の一人息子を艶二郎(えんじろう)とて、年も十九や二十といふ頃なりしが、貧の病は苦にならず、外の病の無かれかし、といふ身なれども、生得(しょうとく、生まれつき)浮気なことを好み、新内節の正本(物語の記された歌の本)なぞを見て、玉木屋伊太八(いたはち?)・浮世猪之介(うきよ いのすけ)が身の上を羨ましく思ひ、一生の思ひ出に、このやうな浮気な浮名の立つ仕打(しうち、行為)もあらば、ゆく/\は命も捨てやうと、ばからしき事を心がけ、命がけの思ひ付をしける。…
大金持ちの馬鹿息子が、粋な色事で有名になりたいという愚かな思いにとらわれて、劇場型軽犯罪をたくらむ…というほどの意味らしい。現在の文章とはずいぶん違いますね。
■言文一致体の最初の小説としては、二葉亭四迷(ふたばていしめい)の「浮雲」という作品がよく知られているそうです。
---千早振る神無月ももはや跡二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰(いず)れも顋(おとがい、あご)を気にし給う方々。…
過渡期なのでしょうね。現在の我々から見ると、まだまだ難しく感じられます。ちなみに、二葉亭は、三遊亭の口述筆記本を参考にしたといわれます。落語中興の祖といわれる三遊亭圓朝(えんちょう)の口まね・筆まねだったらしい。
■二葉亭四迷だけでなく、明治のなかごろから後半にかけては、言文一致を多くの人が考えたらしい。言文一致会というのもその流れに生まれたグループのようです。
■言文一致会に誰が所属していたのかはよくわかりませんでした。でも、この連中は、年賀状の文句を提案しようとしたらしい。参考資料*1によれば、明治33年(1900年)前後のことだそうです。では、言文一致会で推薦した年賀状の挨拶文は次のどれでしょうか?
[い]新年おめでたう
[ろ]新年おめでたうございます
[は]新年おめでとう存じます
[に]新年があけてうれしく思います
[ほ]新年がめでたくあけました
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:説明:町人の感覚でいえば、「新年おめでとうございます」がいちばん自然かなとも思います。目下の人に対する年賀状なら「おめでたう」でもいいのかな。
■郵便による年賀状は、もちろん郵便制度が誕生して以降に生まれた文化です。ただし、江戸時代にも、使いの者に持たせたり自ら持参したりする年賀状はあったらしい。標準型は、「新年のご祝儀目出度く申し納め候」という挨拶だったようです。
■参考資料*2によれば、医者にして国学者である本居宣長(もとおり のりなが)は、「新歳之御慶御同前萬福目出度申納候」という年賀状を書いているらしい。「新しい年を喜び、たいへん目出度いと申し上げます」というほどの挨拶かな。
■頼山陽(らい さんよう)という歴史・儒学者は「新歳之慶千里同風、目出度申納め候。先以て益々御機嫌能く御超歳遊ばせられし御儀と遥想恭祝仕候」という一節から始まる長文の年賀状を書いているとのこと。「新年おめでとう。世の中はよく治まり、貴方におかれても御機嫌よく年を越されたものと勝手に推測し、お祝い申し上げます」ということなのかな。
■こうした文語体の年賀状に比べれば、「新年おめでたうございます」ははるかにくだけた感じですね。言文一致会の人々の苦労が実っているのかな。
■年賀状に関する余談です。西洋にも年賀状はあるそうです。文化(ぶんか)2年(1805年)の正月、ドイツの文豪ゲーテ氏(当時満55歳)は詩人であり友人でもあるシラー(同45歳)宛に年賀状を書いたそうです。ゲーテ氏は「若きウエルテルの悩み」でデビューし、「ファウスト」などでも知られる作家ですね。シラー氏は「ウイリアム・テル」やベートーベンの第九交響曲に取り上げられた「歓喜の歌」などの作品で知られます。
■ゲーテ氏は、新しい年と書くべき箇所をうっかり最後の年と書いたとのこと。あらたに書き直しましたが、おなじ箇所をまた最後の年と書きそうになったらしい。
■ゲーテ氏は、その日のうちにシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人を訪ね、「今年中に私かシラーかどちらかが死んでしまいそうな気がする」と告げたそうです。シュタイン夫人は、ワイマール時代のゲーテ、シラーの共通の友人らしい。文人として知られていた人物だそうです。
■悪い八卦が当たり、シラー氏はその年の5月9日に亡くなります。5月1日にゲーテ氏と一緒に観劇したそうです。体調不良を訴えて中座し、帰宅したまま床につき2度と立ち上がれなかったらしい。ゲーテ氏のほうは、天保(てんぽう)3年(1832年)まで生きて天寿をまっとうされたらしい。ゲーテ氏が年下の好敵手に一服盛った…という証拠は見つかっていないようです。
◆参考*1:「山東京傳全集 第1巻」初版185頁、山東京傅全集編集委員会編、ISBN4-8315-0571-4、ぺりかん社
◇*2HP「明治東京逸聞史2」東洋文庫初版12頁、森銑三(せんぞう)著、ISBN4-582-80142-0、平凡社
◇*3HP「候文の実例」
http://homepage1.nifty.com/~petronius/kana/saurahu_ziturei.html
◇*4HP「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86
◇*5HP「フリードリヒ・フォン・シラー - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC

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