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zoom RSS 三権分立で知られるモンテスキューの誕生日。2010年の日本を笑っているのかな?

<<   作成日時 : 2010/01/18 08:11   >>

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★歴史★
問題:西暦1689年の1月18日。日本では元禄(げんろく)2年になるのでしょうか。シャルル・ド・モンテスキューという哲学者・社会学者・法律家が生まれました。三権分立制の提唱者だそうです。
■フランスでは200フラン紙幣の肖像に採用されたこともある有名人らしい。日本でも教科書に名前が載っているぐらいです。ただし、ふつうの人にとっては、社会に出るとまるで接点がなくなるタイプの人物ではあります。
■貴族の家に生まれ、貴族として生きたようです。大学で法学を学び、法曹関係の仕事につきます。40歳を前にして学究生活に入ったらしい。生活するには不安のない十分な収入があったらしく、以後は旅をしたりさまざまな著作を残したりと、高等遊民のような生活を送ったようです。
■「百科全書」にも参加しています。「百科全書」は18世紀フランスの技術・学問の集大成らしい。フランスの学者184人が参加したとのこと。ヴォルテールやルソーなどとともにモンテスキューも記事を書いています。「趣味論」という項だったらしい。残念ながら書き上げる前の西暦1755年2月10日にパリで亡くなってしまったとのこと。
■本日はフランスでは著名な哲学・社会学・法学の権威の誕生日を祝いつつ、モンテスキュー氏にかんする雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]三権分立論を唱えた
[ろ]夫婦相互の愛情に何よりも寄与するのは離婚の可能性であると主張した
[は]政治学の父と呼ばれている
[に]権力の分立を訴えていたために、ルイ16世には疎(うと)まれていた
[ほ]晩年は失明寸前まで視力が下がってしまった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[ろ]、[ほ]が正しい
説明:
[い]三権分立論を唱えた(○)
■当時のフランスは絶対王政だったそうです。隣の国イギリスは元禄(げんろく)2年(1689年)の名誉革命により、早くも議会政治を実現していたとのこと。それらの情報が入っていたのでしょう。モンテスキュー氏は、「法の精神」という本をあらわし、権力を立法・行政・司法に分割する三権分立論を唱えたらしい。それぞれの均衡と抑制が大事だそうです。
□現代に置き換えて眺めてみます。2010年現在、わが日本国では三権分立が実現していないらしい。マスコミの報道を信ずるとすれば、総理大臣は与党幹事長の子分のようです。立法と行政は、実質上は与党幹事長が牛耳っているらしい。均衡と抑制はありません。司法だけには与党幹事長の力が及んでいないように見えます。でも、指揮権発動があれば、話はかわってきますね。モンテスキュー氏も草葉の陰で日本国の政治を冷笑しているかな。
[ろ]夫婦相互の愛情に何よりも寄与するのは離婚の可能性であると主張した(○)
■最初の著作「ペルシア人の手紙」という本の中で、「夫婦相互の愛情に何よりも寄与するのは離婚の可能性である」と書いたらしい。
□当時のフランスでは宗教上の理由で離婚はむずかしかったようです。勝手な想像ですが、互いに相手を失う心配がないために、フランスのご夫婦は倦怠期が早く訪れたのかもしれません。浮気も多いんでしょうね。フランス語には「コキュ」など「寝取られ男」を示す言葉がいくつも存在するとか。コキュ文化の国と呼ばれているそうです*3。
□なお、モンテスキュー氏は、離婚の権利を女性だけに認めたらどうかと提案しているそうです。面白い発想です。女性の社会進出がほとんどなく、経済的に従属させられている状態だからこそのご意見と思われます。
□現代に置き換えて眺めてみます。平成22年(2010年)の日本国で離婚の権利を女性だけに認めたらどうなるでしょう…あまり想像したくありませんね。結婚が極端に少なくなり、少子化も進行し、国は崩壊するのかな。
[は]政治学の父と呼ばれている(×)
■正しくは「社会学の父」だそうです。社会学は社会現象の因果関係を追究する学問だそうです。「夫婦間の愛情が薄くなるのは離婚に対する危機感がないから」というのもひとつの因果関係の追究なのかもしれませんね。「ペルシア人の手紙」の中では、「非キリスト教国で出生率が高いのは離婚を許容しているため」という一節もあるらしい。これもまた社会学的な考察なのかな。
□現代に置き換えて眺めると、わが日本国は非キリスト教国であり、かつ離婚を許容しているのに出生率が低い。モンテスキュー氏の主張とはやや矛盾する事例となっています。
[に]権力の分立を訴えていたために、ルイ16世には疎(うと)まれていた(×)
■正しくは、「ルイ15世」だそうです。フランス革命で首をちょん切られたルイ16世のお祖父さんにあたるかただったらしい。
□モンテスキュー氏は絶対王政を批判していたわけですから、当然ながら王様には嫌われるわけですね。学者としての業績が顕著だったのでアカデミー・フランセーズの会員に選ばれたそうです。でも恒例の歓迎演説はなかったらしい。
□アカデミー・フランセーズは有識者組合のような存在で、定員は40人。会員となることは当代一流の知識人と認められることなんだそうです。さらにけっこうな年金が貰えるというおまけもあるようです。現代に置き換えて眺めれば、日本の文化勲章受章に相当するのかな。
□余談です。ピロンという当時の風刺詩人は、投票では十分な票を集めながらルイ15世に拒否権を行使されたらしい。たまたま議長をつとめていたモンテスキューは同情し、王の愛妾ポンパドゥール夫人に手紙を書いて、ピロンが会員と同額の年金が受け取れるように取り計らったとのこと。ポンパドゥール夫人は寝物語に王様を説き伏せたんでしょうか。だとすれば、これがホントのピロン・トーク、失礼、ピロー・トークですね。
□ピロンの墓碑銘には、次のように書かれているそうです。「ここにピロン眠る。生きてありしとき、無に等しく、アカデミー会員にさえなり得ざりしもの」。西洋ではわりと知られた墓碑銘らしい。
[ほ]晩年は失明寸前まで視力が下がってしまった(○)
■気の毒に晩年は視力をかなり失ったそうです。「百科全書」の記事執筆中は苦しかったでしょうね。そういえば晩年に失明した学者がほかにもいました。太陽の黒点を観測し続けたガリレオ・ガリレイ博士もそうでした。
□「太陽と真実は長く見つめるものではない」という格言だか諺だかがあるそうです。ガリガリ博士は太陽を長く見つめ過ぎたようです。モンテスキュー氏の場合は、真実を見つめ過ぎて視力を失ったのかな。
◆参考*1:HP「シャルル・ド・モンテスキュー - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC
◇*2HP「世界人物逸話大事典」初版1032頁、朝倉治彦・三浦一郎編、ISBN4-04-031900-1、角川書店
◇*3HP「寝取られ - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%AD%E3%83%A5
◇*4HP「ガリレオの命日。望遠鏡は天文学者に栄光と暗黒をもたらしたの?」
http://blog.q-q.jp/200901/article_10.html

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