伊能忠敬が地図作成を始めた日。ホントは幕府のスパイだったの?

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★歴史★
問題:西暦1800年の今日、12月7日。和暦では寛政12年10月21日。伊能忠敬(いのう ただたか)が日本地図の作成を開始しました。
■伊能忠敬は延享(えんきょう)2年(1745年)に上総国山辺郡小関村(現千葉県九十九里町)に生まれたそうです。18歳で佐原村(現香取市佐原)の庄屋伊能家の養子となります。伊能家は醸造業、貸金業を営み、利根川水系での運送業も手がけていたようです。伊能忠敬は商人として有能だったらしく、伊能家を繁栄に導いたようです。
■50歳のころに隠居し、江戸に出て天文方高橋至時(よしとき)に師事し、測量・天文観測を学びます。このころ、天文観測を根拠に地球の大きさを仮定したそうです。高橋至時には、基準とする距離が短すぎて不正確だと指摘されたらしい。江戸と蝦夷地ほどの距離を元にすれば推測もできようといわれたらしい。このことがのちに測量の旅に出るきっかけになっているといわれます。
■55歳のころに測量を開始します。幕府はこれを許可しますが、そもそもは私財を投じた測量事業だったようです。最初は北関東・東北、蝦夷地で行なわれました。伊能忠敬の測量結果はたいへん精密なものだったらしい。幕府からの支援は少しずつ強化されていきます。全部で10回の測量の旅に出ていますが、5回目からは幕府の直轄事業になったとのこと。
■測量の結果として、緯度1度がおおよそ111kmにあたることから、地球全体の外周を4万kmであると推測しています。ほぼあたりだったそうです。
■伊能忠敬が中心となって製作した大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)は文政(ぶんせい)4年(1821年)に完成しました。文化(ぶんか)15年/文政(ぶんせい)元年(1818年)に忠敬が亡くなって3年目です。最後は高橋至時の息子景保(かげやす)が中心となって製作作業が行なわれたらしい。のちに、この地図をシーボルトが海外へ持ち出そうとし、シーボルト事件が起こることになります。医書と引き換えに地図を渡した容疑で高橋景保は拘束され、牢内で病死してしまったようです*4。
■では、測量名人が地図作成の旅に出立した日を記念し、伊能忠敬にまつわる雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]商人としては優秀だったが、庄屋としてはあまりいい出来ではなかった
[ろ]間宮林蔵(りんぞう)の弟子でもあった
[は]伊能忠敬の測量技術は当時の世界で最新のものであり、それを駆使したために精度の高い地図が誕生したといわれる
[に]伊能忠敬はスパイであるという説もある
[ほ]年下の高橋至時(よしとき)に天文学・測量を教わった。尊敬しており、先に至時が亡くなると、「その隣に葬ってもらいたい」と常々言っていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]と[ほ]が正しい
説明:[い]商人としては優秀だったが、庄屋としてはあまりいい出来ではなかった(×)
■伊能忠敬は、商人としても自治体の長としても有能だったようです。天明(てんめい)6年(1786年)の飢饉では、庄屋をつとめる佐原村でも食料不足に襲われたようです。忠敬は自分の蔵をはたいて窮民を救ったらしい。
□関西方面の比較的豊作だった地方から米を買って運び、村で安く売るとともに近隣の米屋にも安く売ったといわれます。美談です。あの紀伊国屋文左衛門の逆を行く人物のようです。伊能忠敬のいる地方では米騒動も起こらないかも。現代にも買い占めが好きな大企業があると聞きます。爪の垢でも煎じて飲ませたいですね。
□伊能忠敬は窮乏する人には金を貸し与えたとのこと。結局、村内からは1人の餓死者も出さず、もちろん暴動も起きなかったようです。
[ろ]間宮林蔵の弟子でもあった(×)
■間宮林蔵は樺太が島であることを確認した探検家ですね。間宮海峡に名前を残しています。この人は伊能忠敬の弟子だったそうです。逆なんですね。
□Wikipediaによれば、伊能忠敬が間宮林蔵に測量技術を伝授したらしい。伊能忠敬は時間がなくてすべての蝦夷地の測量は出来なかったそうです。残りの測量は間宮が代行し、その結果、蝦夷の地図は伊能忠敬と間宮林蔵の合作になっているようです。
[は]伊能忠敬の測量技術は当時の世界で最新のものであり、それを駆使したために精度の高い地図が誕生したといわれる(×)
■伊能忠敬が測量を行なったころには、三角測量という技術は日本に入っていなかったそうです。交会法・道線法と呼ばれる古い技術で作業したらしい。それでも結果は現在の技術で作成したものとあまり変わらないほど正確とのこと。
□ひとつには、1地点を決定するのにあちらからもこちらからも何度も測量して誤差を消したらしい。もうひとつ、夜に星が出ているときは必ず星の動きを調べ、その地点の緯度経度を確認して測量図の精度を高めたらしい。技術の欠点は根気で補ったそうです。
[に]伊能忠敬はスパイであるという説もある(○)
■Wikipediaには、「幕府は、伊能忠敬に全国の測量をさせると共に、薩摩藩の偵察の意味合いも重きにおいて全国に派遣させていたとされる」とありました。
□素人にはちょっと疑問が残ります。薩摩藩の動向を知るために全国の海岸線の形を測量するというのがよくわかりません。それに、伊能忠敬が測量を始めた55歳前後というのは江戸時代としては高齢です。いつ倒れてもおかしくない年齢です。それなのに10回の測量の旅の中の7回目で初めて九州に赴いています。文化(ぶんか)6年(1809年)の話だそうです。満64歳ぐらい。もしホントに薩摩のことを知りたいのなら、もっと早めに行かせたはず。どうも解せません。
[ほ]高橋至時(よしとき)を尊敬しており、先に至時が亡くなると、「隣に葬ってもらいたい」と常々言っていた(○)
■伊能忠敬の指導教官だった幕府天文方高橋至時は明和(めいわ)元年(1764年)に生まれています。20歳近く年下だったらしい。でも年齢は関係なく、師匠を尊敬していたようです。知識を授けてくれたこともありましょう。勝手な推測ですが、測量の旅に出るにあたっては幕府との交渉において高橋至時がいろいろ力を尽してくれたのかもしれません。
□高橋至時は文化(ぶんか)元年(1804年)2月15日、40歳ほどで亡くなってしまいます。その14年後、さまざまな感謝や尊敬の念をこめ、伊能忠敬は先生の墓の隣に葬ってもらいたいと遺言したらしい。伊能忠敬、高橋至時、高橋景保の墓は台東区東上野6丁目の源空(げんくう)寺に並んで建っているそうです。髪と爪だけは、伊能家の菩提寺、佐原の観福(かんぷく)寺に葬られているらしい*3。
◆参考*1:HP「伊能忠敬 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC
◇*2HP「高橋至時 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%87%B3%E6%99%82
◇*3HP「佐原 伊能忠敬」
http://www.sawara.com/tadataka/genku/index.htm
◇*4HP「シーボルト「以来国禁申付」の日。地図を渡した高橋景保はどうなったの?」
http://blog.q-q.jp/200709/article_58.html

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この記事へのコメント

ねこのひげ
2009年12月07日 09:32
おはようございます♪
上野の源空寺も佐原の家も行って見たことがあります。
なかなか立派な墓と家でした。
50過ぎてスパイはないでしょうね。
最初のときは、自費で行って、その地図を見て、幕府が資金を提供したとか?
とつぜん、隠居して、家督を息子に譲って測量の旅に出ると言ったので驚いたとか。
一歩一歩歩いて測ったそうで、歩幅を正確にしないと間違ってくると思うのですが、地図を見た西洋人が驚いたというし、現代の地図とそれほど違いがないというのは、よほど正確だったのでしょう。
ねこのひげ様<素町人
2009年12月07日 20:06
コメントをありがとうございます。

 そんなに立派な墓なんですか。
 伊能忠敬は充実した退職後の人生の見本として挙げられますよね。あやかりたいものです。源空寺というお寺さんに行って、福をさずかってこようかしらん。
(^^;)

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