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zoom RSS 「いずれがアヤメ、カキツバタ」はどんな故事に由来するの?

<<   作成日時 : 2009/12/11 07:33   >>

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★日本語★
問題:「いずれがアヤメ、カキツバタ」という言葉は、美人揃いで選ぶのに苦労するというほどの意味です。麟粉のかわりに白粉を厚く塗ったチョウチョがたむろするお店に入ったら、お世辞でこんな言葉を吐いてみるといいですね。わずかにサービスが向上するかも。
■この言葉は、平安時代の昔、ある功績があった武将の逸話に端を発するそうです。ご褒美に美女を与えられたが選べずに悩んだ場面から生まれたらしい。では、その嬉しい悩みを抱えた武将は次の誰でしょうか?
[い]鵺(ぬえ)を退治した源頼政(よりまさ)
[ろ]大百足(むかで)を退治した俵藤太(たわら とうた)
[は]酒呑(しゅてん)童子を退治した源頼光(らいこう)
[に]羅生門の鬼を退治した渡辺綱(つな)
[ほ]茨木童子を退治した坂田金時(きんとき)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:[い]鵺(ぬえ)を退治した源頼政(よりまさ)
説明:源頼政は、長治(ちょうじ)元年(1104年)に生まれ、治承(じしょう)4年(1180年)5月26日に亡くなった武将だそうです。
■最晩年、平氏の専横に憤り、打倒を計画しますが事が漏れます。準備不足のままに挙兵をせざるをえなくなります。追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れて自害したそうです。
■もしあと5ヶ月待てれば富士川の戦い(和暦同年10月20日)で平維盛(これもり)が大敗し、平氏総崩れのきっかけになるそうです。もしあと3年2ヶ月待てれば平氏の都落ち(寿永(じゅえい)2年(1183年)7月25日)を目にすることができたはずです。そうは待てなかったのかな。源頼政は満76歳前後で亡くなったようですから。
■頼政が中年のころのお話です。第76代の近衛天皇(在位永治(えいじ)元年(1141年)〜久寿(きゅうじゅ)2年(1155年))のころ、天皇は鵺(ぬえ)と呼ばれる得体の知れない妖怪に怯え、睡眠障害に陥っていたらしい。武勇の誉れ高い頼政が鵺退治を受注します。見事に討ち果たしたらしい。
■頼政は弓で射って部下の猪早太(いの そうた)が刀で斬り殺したともいわれます。鵺は「頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇」だったそうです。哺乳類と爬虫類のDNAを兼備した学術的に貴重な生物ですが、残念ながら頼政はその体をバラバラに切り刻んでしまったらしい。ホルマリン漬けにしてとっておいてくれれば、正体がわかったかもしれませんけど。
■ご褒美だったのかどうか、時の権力者鳥羽院(第74代天皇)は頼政にあやめの前と呼ばれる美女を下賜したらしい。あやめの前は天下に名高い美女で鳥羽院のレコだったようです。頼政も男ですからあやめの前の美貌については関心を寄せていたのでしょう。
■鳥羽院は頼政を呼びつけます。あやめの前自身と、よく似た女性2人に同じ化粧同じ服を着させます。「みごと当てたらあやめをゆずろう」と言ったらしい。三択のクイズです。頼政は間近でじっくり見たことはありません。困ったらしい。「さみだれに 沼の石がき 水越えて いずれかあやめ 引きぞわづらふ」という歌を詠んだそうです。歌に感服した鳥羽院は自ら正解のあやめの前の手を取り、頼政に賜ったとのこと。この中の「いずれかあやめ」が、のちに「いずれがアヤメ、カキツバタ」になったらしい。
■頼政は文武両道に優れていたために、鵺と美女の両方を射止めたようです。とっさに歌が読めるといいことがあるようですね。なお、源頼政の歌の才能は娘にも引き継がれたそうです。百人一首の92番目「わが袖は 潮干(しほひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし」。「私は泣いてばかりいます」という気弱な歌です。作者の二条院讃岐(にじょういんさぬき)は頼政の娘とのこと。
■「人こそ知らね 乾く間もなし」の歌は小咄「反故染(ほごぞめ)」の落ちにも使われています。長襦袢(ながじゅばん、下着)に百人一首の歌を散らして染めさせたら、お尻の部分は「けふここのへに にほひぬるかな」。おまたのところの歌が「ひとこそしらね かわくまもなし」となっていたという軽いバレネタですね。
◆参考*1:書籍「故事名言ことわざ総解説」自由国民社
◇*2HP「湧永満之記念庭園 - 花ものがたり / 四季の花ものがたり」
http://www.wakunaga.co.jp/garden/story/season/post_4.html
◇*3HP「「衣食住 第一番に 定家入れ」とは百人一首のどんな歌を詠んだ川柳なの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ」
http://blog.q-q.jp/200904/article_3.html

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以仁王(もちひとおう)の祥月命日。一緒に敗死した武将は誰なの?
●●●●●★歴史★● 問題:治承(じしょう)4年5月26日、西暦では1180年6月20日。835年前の今日ですね。後白河天皇の第3皇子、以仁王が平氏に敗れ、29年の短い生涯を終えたようです(口絵参照)。 ■以仁王の令旨(りょうじ)は日本史で必ず学習する有名な命令書です。亡くなる2ヶ月前の4月に発せられたらしい。全国の源氏に対し、平氏を打倒せよと挙兵を促したようですね。これに呼応して源頼朝や木曾義仲が武装蜂起することになります。 ■令旨は皇太子や皇太后、皇后などの出す文書だそうです。天... ...続きを見る
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
いずれあやめかカキツバタ。

立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は、由利徹。

座布団一枚!山田君
sadakun_d
2009/12/12 13:32
コメントをありがとうございます。

いやぁ懐かしい名前ですね。胸毛を見せびらかす百合。う〜ん。ミスマッチ度が素晴らしく高くていいですね。
(^^;)
sadakun_d様<素町人
2009/12/13 11:05

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