「ステテコの圓遊」の命日。下着のステテコの名称はステテコ踊りに由来するの?

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★歴史★
問題:いまからほぼ1世紀前の今日、明治40年(1907年)11月26日。明治の人気落語家初代三遊亭圓遊(えんゆう)が亡くなりました。「ステテコの圓遊」として明治の演芸場を沸かせた大スターだったそうです。
■三遊亭圓遊は、何代も続いた名跡だそうです。ステテコの圓遊は本来は3代目と勘定すべきものらしい。ところが3代目があまりにも大人気だったために3代目を初代とする誤った呼びかたが定着してしまったとのこと。弊クイズでも3代目を初代と呼ぶことにします。
■では、102回目の祥月命日にちなみ、明治で一番人気の落語家ともいえる初代三遊亭圓遊についての雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]三遊亭圓朝の弟子で四天王の1人といわれている
[ろ]目が大きかったのでギョロメの圓遊と呼ばれた
[は]最盛期には1日10軒の寄席に出演したという伝説がある
[に]ステテコ踊りは乞食が踊って投げ銭を貰っているのを見て交渉し、購入したものである
[ほ]ステテコ踊りがあまりに流行して知名度があがったので、薄手で短めのズボン下をステテコと呼ぶようになった
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[に]と[ほ]が正しい
説明:
[い]三遊亭圓朝の弟子で四天王の1人といわれている(×)
■明治の大名人、初代三遊亭圓朝(えんちょう)の四天王は、初代三遊亭圓馬(えんば)、3代目三遊亭圓生(えんしょう)、4代目三遊亭圓生、2代目三遊亭圓橘(えんきつ)だそうです。
□ステテコの三遊亭圓遊が圓朝の弟子だったことは間違いないようです。林家彦六(ひころく)のCDには、本格派の落語家たちが圓遊のステテコ踊りの狂乱人気に嫉妬して圓朝のもとに抗議に行くお話があります。圓朝は連中の抗議を上手にかわしてしまいます。クレーム処理のやりかたについては参考資料*1をごらんください。
□Wikipediaの四天王(通称)の項には、明治の珍芸四天王としてステテコ踊りの圓遊と記されていました。残る3つは「ヘラヘラ踊り(ヘラヘラ節)」の初代三遊亭萬橘(まんきつ)、「ラッパ吹き」の4代目橘家圓太郎(たちばなや えんたろう)、「郭巨(かっきょ)の釜堀り」の4代目立川談志(たてかわ だんし)だそうです。
□なお、3代目と4代目三遊亭圓生は、昭和の大名人6代目三遊亭圓生の先輩ですが、血はつながっていません。5代目三遊亭圓生は6代目がオヤジと呼んでいますが、実の母親の2度目のご亭主らしい。つまり義理のオヤジさんでDNAは受け継いでいないようです。
[ろ]目が大きかったのでギョロメの圓遊と呼ばれた(×)
■正しくは、「鼻が大きかったので鼻の圓遊と呼ばれた」だそうです。Wikipediaの三遊亭圓遊の項には写真が掲載されていました。驚くほど大きいとは思えませんけどね。
□ステテコ踊りには、鼻をもいで捨てるようなしぐさがあるとのこと。この振り付けから「捨ててこ」という名前がついたらしい。
□辞世の句は「散りぎわも 賑やかであれ 江戸の花」というもので、最後の花は鼻にかけているようです。
□明治の世相を詠んだ川柳には、「浮世をすて てこ円遊は 洒落の鼻祖」という句があります。鼻祖は「最初にものごとを始めた人、元祖」という意味だそうです。鼻が大きいので鼻祖としたらしい。でもなぜ「洒落の鼻祖」なのかはよくわかりません。洒落は江戸時代どころか日本語が誕生して以来ずっと人々が楽しんできた遊びでしょう。まぁ、川柳に突っ込んでも始まらないかな。
[は]最盛期には1日10軒の寄席に出演したという伝説がある(×)
■正しくは、「36軒の寄席に出演した」だそうです。いちばん盛んなころには1町内にひとつずつ寄席があったともいわれます。テレビもラジオもインターネットも映画もレコードもない時代ですから、寄席の演芸が庶民の最大の娯楽だったのかもしれません。
□とはいっても36軒は少し言いすぎのような気がします。1軒で10分高座にあがり移動時間に10分と考えても10軒の寄席で3時間20分もかかる勘定です。
□「36」という数字も嘘臭いですね。「荒木又右衛門の36人斬り」は実際は「4人以下」だったという話もあります。まぁそこまで極端な誇張ではなくても、36が実数だという可能性は低そうな気がします。
□人気がものすごかったのはたしからしい。圓遊が演じたあと、師匠である圓朝がトリで出てきます。でも圓朝が登場する前にお客さんが少し帰ってしまったりしたらしい。圓遊目当てのお客さんが少なくなかったといわれます。
[に]ステテコ踊りは乞食が踊って投げ銭を貰っているのを見て交渉し、購入したものである(○)
■参考資料*1では確かにそう言っていました。権利料は3円だったそうです。明治13年に真打に昇進しています。その前後の物価は白米10kgの価格で比較すると5000~1万倍前後でしょうか。3円は1万5000円から3万円ぐらいだったのかもしれません。
[ほ]ステテコ踊りがあまりに流行して知名度があがったので、薄手で短めのズボン下をステテコと呼ぶようになった(○)
■これは「大辞泉」、「大辞林」などの辞書にも記されていました。三遊亭圓遊は、薄手で短めのズボン下を履き、じんじんばしょり(着物の背縫いの裾の少し上をつまんで、帯の後ろの結び目の下に挟み込むこと)をして踊ったそうです。着物をまくっているので下着が見えたらしい。
◆参考*1:CD「正蔵改め林家彦六 名演集(七)『ステテコ誕生/ワラ人形』」八代目林家正蔵改め彦六、PCCG-00027、ポニーキャニオン
◇*2HP「三遊亭圓遊 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E9%81%8A
◇*3HP「四天王 (通称) - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B_(%E9%80%9A%E7%A7%B0)
◇*4書籍「川柳明治世相史」初版127頁、山本成之助(せいのすけ)編、牧野出版

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