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zoom RSS 「いろは茶屋」ってどんな場所なの?

<<   作成日時 : 2009/09/30 07:58   >>

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★日本語★
問題:弊クイズでもときどきご紹介する「誹風末摘花(はいふうすえつむはな)」という川柳集は、男女の下半身の話題がたくさんつまった楽しい書物です。文学的価値は低いかもしれません。でも、とても人間臭い。江戸の町人や武士、僧侶などの気取りのない姿が見られます。気がつくと引き込まれてしまいます。
■本日は、「末摘花」に登場する私娼窟(ししょうくつ)についての川柳です。私娼というのは、官許されていない売春婦のかたがたのことですね。江戸では吉原以外の女郎は建前上は非公認らしい。夜鷹のかたがたも四宿(品川、新宿、板橋、千住)の宿場女郎というか飯盛り女のかたがたも、その他の地域のかたがたも、みんな私娼といえば私娼だそうです。
■上野谷中に感応寺というお寺さんがあったそうです。現在でも山手線鶯谷駅と日暮里駅のあいだにそんな名前のお寺さんがあります。この寺かな。江戸時代の後半、感応寺の門前には私娼窟が並んでいたらしい。いつのころからか「いろは茶屋」と呼ばれたそうです。
■名前の由来には諸説あるようです。47軒の出会い茶屋があり、そこに私娼がいたからというのもひとつの説です。47人が参加したイベントなので「仮名手本忠臣蔵」という題名をつけちゃった例もあります。47という数は単なる素数ですが、日本人にとっては特別な数字のようです。
■出会い茶屋というのは現在のラブホテルのようなものらしい。そこに専属ないしフリーで出入りする売春婦の方々がおいでになったわけですね。現在でも鶯谷はホテル街ですしデリヘルが盛んだと聞きます。こういう土地柄、多くの男性は嫌いではありませんね。
■「いろは茶屋」の語源については、「いろは」という看板を掲げた出会い茶屋があったからという説もあります。昔、四十八文で春を売っていたからというお話もあります。「いろは四十七文字」に「ん」あるいは「京」を足して四十八文字を習字の最初の手本とする場合があるからかな。それにしても十六文の立ち食い蕎麦を3杯食べるお金で命の洗濯ができたわけですか。安いな。
■では、そんな男性の憩いの場にかんする川柳からのクイズです。次の川柳5句をヒントに、いろは茶屋のいちばんのお得意さんの商売を当ててください。
[い]「たまさかに 野郎も入る いろは茶屋」
[ろ]「武士はいや 町人すかぬ いろは茶屋」
[は]「丸いのを 専(もっぱ)らとする いろは茶屋」
[に]「いろは茶屋 蛸(たこ)がとれねば しけの内」
[ほ]「簾(すだれ)から 衣のすそを つかまえる」
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:坊さん
説明:いろは茶屋の得意客は上野東叡山三十一坊の僧侶だそうです。東叡山というのは、「東の比叡山」という意味で名づけられた寛永寺の山号だそうです。天台宗の関東総本山とのこと。徳川将軍家の菩提寺で歴代将軍15人のうち6人が葬られているそうです。当然ながら、江戸時代にはたいへん威勢があり、31ものお寺さんがあったらしい。こちらの素数はあのアイスクリーム屋さんと同じ数ですね。
■それぞれがどういう関係になるのかはよくわかりません。本店支店のようなはっきりした上下関係があるのでしょうか。それとも兄弟のようなゆるい上下関係なのかな。あるいは単なる親戚みたいな存在なのかな。アイス屋さんと同様のフランチャイズチェーンなのかな。
■[い]「たまさかに 野郎も入る いろは茶屋」。この場合の野郎というのは出家していない男性のことらしい。「野郎頭(やろうあたま)」という江戸時代男子の標準的な髪型から来ている言葉だそうです。
■[ろ]「武士はいや 町人すかぬ いろは茶屋」。これはそのまんまですね。坊さんは金回りがよかったらしい。江戸時代に栄えた品川の娼家の客も芝増上寺などの僧侶が多かったと聞きます。これを揶揄した蜀山人の漢詩に次のような五言絶句があるらしい。
---南樓坊      品川
---なんろうのぼう  ひんせん
---去國薩麻遠 登樓八山春
---くにをさってさつまとおし ろうにのぼるやつやまのはる
---娯心和尚客 不是在家人
---こころたのしむおしょうのきゃく これざいけのひとにあらず
■これは盧僎(ろせん、せんは人偏に選のしんにょうを除いた部分)という唐の詩人の「南樓望(なんろうのぼう)」という著名な五言絶句をもじりながら、「品川の客は坊さんと芝薩摩屋敷の侍ばかりだ」という皮肉を言っているそうです。転結の二句がいいですね。原詩は「傷心江上客 不是故郷人(こころをいたましむこうじょうのきゃく これこきょうのひとならず)」です。なお、八山というのは現在でも八山橋という場所がありますね。あの近くでしょう。品川駅から南に行って最初の跨線橋があるあたりかと思われます。
■[は]「丸いのを 専(もっぱ)らとする いろは茶屋」。丸いというのは髪形ですね。丸坊主ということでしょう。
■[に]「いろは茶屋 蛸(たこ)がとれねば しけの内」。蛸坊主がこないと、「今日はシケだねぇ」なんていっていたのかな。
■[ほ]「簾(すだれ)から 衣のすそを つかまえる」。吉原なら籬(まがき、格子)なんでしょうけれど出会い茶屋のほうはそんなに投資できません。店先には簾を吊っていたらしい。簾の脇からぬっと手を出して坊さんの衣を捕まえ、「ちょいと、寄っていきなよ」と店に引きずり込んだのかな。
■その他にも、「小ぞうは今川和尚はいろはなり」(安永年間、18世紀後半)などという川柳なんだか標語なんだかわからないような言葉も残されています。今川というのは、江戸時代に子供たちの習字の見本であり、かつ修身の教科書でもあった「今川帖」と呼ばれる本のこと。本来、子供のほうが「いろは」で学ぶのですが、和尚さんのほうが「いろは」で学んでいるわけですね。
◆参考*1:書籍「川柳末摘花詳釈(上巻)」初版153〜156頁、岡田甫著、有光書房

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