黒死病はこれからも流行するかもしれないの?

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★歴史★
問題:明治30(1897)年の今日、4月1日。伝染病予防法という法律が公布されました。Wikipediaによれば次のような法律です。「伝染病の予防及び伝染病患者に対する適正な医療の普及を図ることによって、伝染病が個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止し、もって公共の福祉を増進することを目的として制定された法律」。ハハハ。よくわかるけど、長い説明だな。
■幕末から明治時代には、コレラなどの流行で多くの人が亡くなったといわれます。明治16(1883)年、コッホによって、コレラは微細な生物によって引き起こされることが判明しました。以後、予防法も徐々にわかってきたらしい。神仏にすがらなくても人間の努力で予防・蔓延の防止が可能になります。それで各国で伝染病予防法が誕生したらしい。
■日本における伝染病予防法は、何度か改正され、20世紀いっぱいで廃止されたそうです。現在では、あらたに感染症新法という約束事があるようです。こちらの本名は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」だそうです。
■本日は、日本における伝染病予防法の公布から112年回目の記念日を迎えるにあたり、歴史上の伝染病にかんする雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]紀元前にも伝染病の蔓延はあり、ポエニ戦争でカルタゴがローマに敗れたのもペストの流行による
[ろ]日本では天平9(737)年に天然痘の流行があり、神亀6(729)年に長屋王を殺して権力を握った藤原4兄弟全員が罹患して死んでしまった
[は]藤原道長の時代にも天然痘の流行があり、都大路には死体の山が築かれた
[に]14世紀にヨーロッパの人口の1/3が亡くなったといわれる黒死病はペストではないとする説がある
[ほ]日本では、17世紀からコレラが何回か流行し、致死率の高さからコロリと呼ばれた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[に]が正しい
説明:[い]紀元前にも伝染病の蔓延はあり、ポエニ戦争でカルタゴがローマに敗れたのもペストの流行による(×)
■正しくは、「…、ペロポネソス戦争でアテネがスパルタなどに敗れたのも伝染病の流行による」だそうです。アテネは、対ペルシャ防衛のためのデロス同盟にたくわえられた資金を私的に流用して他の都市国家の恨みを買ったらしい。アテネ対スパルタその他の戦争に発展します。
□アテネは篭城作戦をとります。そのさなか、紀元前429年に伝染病が蔓延し、指導者だったペリクレスも死んでしまい、厭戦に傾いたそうです。ペスト、天然痘、発疹チフスなどの伝染病か、あるいはそれらが複数同時に流行したものと見られているそうです。
[ろ]日本では天平9(737)年に天然痘の流行があり、神亀6(729)年に長屋王を殺して権力を握った藤原4兄弟全員が罹患して死んでしまった(○)
■藤原4兄弟とは次の4人だそうです。藤原武智麻呂(むちまろ)680年~ 737年。 房前(ふささき)681年~737年。宇合(うまかい)694年?~737年。麻呂(まろ)695年~737年。
□神亀6(729)年、この4人は共謀し、当時の朝廷の中心人物、長屋王(ながやおう)を暗殺 して政治の実権を握ったとのこと*4。その8年後に4兄弟が全滅したので、当然ながら人々は「長屋王の祟り」と噂したらしい。
[は]藤原道長の時代にも天然痘の流行があり、都大路には死体の山が築かれた(×)
■正しくは、「藤原道長の時代には、麻疹(はしか)の流行があり…」だそうです。藤原道長の時代、正暦6/長徳元(995)年に流行したのは、「赤斑瘡(あかもがさ)」と呼ばれる伝染病だそうです。現在では、これは麻疹と推定されています。多くの公卿(位の高い貴族)が亡くなったらしい。
□藤原道長の時代ですから、紫式部や清少納言も生きていました。伝染病の流行時、紫式部は10代後半、清少納言は20代後半だったようです。おふたりとも危機を無事に乗り切られてホントによかった。
[に]14世紀にヨーロッパの人口の1/3が亡くなったといわれる黒死病はペストではないとする説がある(○)
■「デカメロン」という小説があります。「大辞泉」によれば、「ボッカチオの短編小説集。1348~53年作。1348年のペスト流行の難をのがれて郊外の別荘に集まった10人の紳士・淑女が、各人1日1話ずつ10日間語ったもの」だそうです。
□14世紀に大流行し、多くの人が亡くなった伝染病はペストであると国語辞書にも記されているわけですが、一部の専門家は、疑義を抱いているようです。参考資料*3によれば、「中世の黒死病はペストではなくウイルス出血熱」と主張する専門家もいるらしい。文献を精査して病状から推測したようです。
□このウイルスは人獣共通感染症を引き起こす病原体の一種で、現在でもアフリカの野生動物のあいだに眠っているかもしれないとのこと。いずれは目を覚まして流行する可能性もゼロではないらしい。できればずっと眠っていてほしいものですね。
[ほ]日本では、17世紀からコレラが何回か流行し、致死率の高さからコロリと呼ばれた(×)
■正しくは、「日本では19世紀に入るまでコレラの流行はなかった」だそうです。最初に流行したのは、1822年ごろらしい。その後、安政5(1858)年からの「安政コレラ」と呼ばれる大流行がありました。文久2(1862)年には残存していた菌による再流行で50万人以上の患者が出たといわれます。
□明治に入っても数年間隔でコレラの流行は続き、明治12(1879)年、明治19(1886)年の流行では、いずれも死者が10万人を超えたといわれます。
□なお、「コロリ」と呼ばれていたのは事実だそうです。「虎列刺(コレラ)」、「虎狼狸(コロリ?)」などの当て字もあったらしい。高い死亡率、激しい症状があったため、「鉄砲」、「見急(ケンキュウ)」、「三日コロリ」という俗称もつけられたようです。
◆参考*1:HP「伝染病 Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E6%9F%93%E7%97%85
◇*2HP「「感染症の歴史 Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E3.82.B3.E3.83.AC.E3.83.A9
◇*3HP「中世の黒死病はペストではなくウイルス出血熱」
http://www.shiga-med.ac.jp/~hqanimal/zoonosis/zoonosis159.html
◇*4HP「長屋王の変があった日。悲劇の人はかなりの贅沢をしていたの?」
http://blog.q-q.jp/200903/article_25.html

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