町人思案橋・クイズ集

アクセスカウンタ

zoom RSS ちょうど100年前の流行語。ハイカラもバンカラも100年の歴史があるの?

<<   作成日時 : 2009/03/25 06:50   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
★日本語★
問題:今からちょうど100年前。明治42(1909)年は、未曾有(みぞう)の国難といわれた日露戦争をかろうじて乗り切って4年ほど経った年です。明治維新以後の第一目標、富国強兵はいちおうは達成できました。欧米列強の侵略はなんとかかわしました。でも、国民全体が目標を失い、視線をどこに向けていいのか、迷っていた時代だともいわれます。
■明治42(1909)年の大きな事件としては、10月26日に中国黒龍江省の省都ハルビンの駅で、枢密院議長の伊藤博文がピストルで暗殺されました。伊藤博文は、犯人が韓国人だと聞かされて「馬鹿な奴じゃ」と呟いてこときれたそうです。翌明治43(1910)年に日韓併合条約が結ばれています。
■ビリケン人形が日本で最初に流行したのもこの年だそうです。アメリカの女流彫刻家が、夢で見た神様の姿をモデルとして作ったらしい。ビリケン人形の頭がとがっていたことから、三角頭をビリケン頭というようになったそうです。なお、活字ではビリケンが主流ですが、関西の人の発音では「ピリケン」とも聞こえることがありますね。
■味の素が売り出されたのもこの年です。池田菊苗(いけだ きくなえ)博士が昆布だしの旨みがグルタミン酸塩であることを発見し、調味料製造法の特許を取得したそうです。池田博士から工業化を依頼された鈴木三郎助(すずき さぶろうすけ)が前年から製造を開始し、5月から一般に販売したとのこと。
■年も押し詰まった12月16日からは、山手線の運転が始まったらしい。まだ周回路線は完成しておらず、新橋−品川−新宿−池袋−上野を往復していたらしい。大正14(1925)年11月になって周回運転をするようになったそうです。
■本日は、100年前の日本で流行した言葉についての雑学クイズです。この年の流行語にかんする次の記述のうち、正しいものはどれでしょうか?
[い]「催促髷(さいそくまげ)」とは、吉原など の遊郭で流行した髪形。新しい髪型で遊女が現れると、ご祝儀を頂戴と催促されているような気分になるので、こんな名前がついた
[ろ]ハイカラもバンカラも明治42(1909)年の流行語である
[は]銀座の木村屋が本腰を入れて売り出したため、フランスパンが大流行した
[に]東京京橋の美容館で美顔術が施術されるようになり、華族・上流階級の子女に流行することになった。創始者はメイ牛山という女性である
[ほ]竹久夢二の画集が暮れに出版され、「夢二式」と呼ばれるなよなよとした肢体の美人画が人気を集めた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:[ろ]と[ほ]が正しい
説明:[い]「催促髷(さいそくまげ)」とは、吉原など の遊郭で流行した髪形。新しい髪型で遊女が現れると、ご祝儀を頂戴と催促されているような気分になるので、こんな名前がついた(×)
■榊原蕉園(さかきばら しょうえん)という女流画家(参考資料*1では女流作家とも)が初めて島田髷(しまだまげ)を結ったとき、伯母たちが「結婚したいという催促髷だ」とからかったのが起源だそうです。この年に初めて島田髷を結った若い女性は、「催促髷」と冷やかされたのでしょうか。
□ちなみに、島田髷は、未婚の女性や花柳界の女性が多く結った髪型だそうです。既婚の女性は丸髷(まるまげ)と呼ばれる髪型が多かったらしい。
□榊原蕉園は、明治19(1886)年に生まれ、風俗美人画を多く描いた画家だそうです。はじめ水野年方(としかた)に師事し、のちに川合玉堂(かわい ぎょくどう)に師事しています。明治44(1911)年に画家の池田輝方(いけだ てるかた)と職場結婚し、池田蕉園となったとのこと。催促が功を奏したのかもしれません。残念ながら、大正6(1917)年、若くして肋膜炎で亡くなっています。
[ろ]ハイカラもバンカラも明治42(1909)年の流行語である(○)
■参考資料*1によると、ハイカラソングという流行歌から、「ハイカラ」という言葉が流行ったそうです。次のような歌詞だったらしい。「♪ゴールド眼鏡のハイカラは 都の西の目白台 女子大学の女学生 片手にバイロン ゲーテの詩 口に唱える自然主義 早稲田の稲穂がサーラサラ 魔風恋風そよそよと…」
□「ハイカラ」は、日本語に訳せば「高い襟」だそうです。流行の高いカラーをつけて気取っている西洋かぶれを指したようです。
□「ハイカラ」のもじりで、「バンカラ」が出てきたらしい。服装や言動が粗野・野蛮な原日本人風の人を「蛮カラ」と呼んだそうです。どちらかといえば、バンカラのほうが親しみがもてますけどね。
□現代の日本では、ITハイカラが流行しています。「…両手にパソコン・iPod。口に唱えるユビキタス ヒルズのオフィスはサーバサバ…」というものらしい。
[は]銀座の木村屋が本腰を入れて売り出したため、フランスパンが大流行した(×)
■正しくは、「新宿に進出した中村屋がロシア人の職人を雇い入れてロシアパンを製造販売するようになり、ロシアパンが流行した」だそうです。日露戦争後、すこしずつロシアパンの店ができてロシアパンは徐々に浸透していたらしい。この年、中村屋が売り出したことで、流行をみたようです。
□大きな車輪の箱車をロシア人が引き、「パンやパン、ロシアパン、出来立てのほやほや」と売り歩いたとのこと。箱車には恵比須や大黒の絵が描かれていたそうです。外国人の行商が珍しく、パン自体も旨かったのでしょう。人気を博したそうです。
[に]東京京橋の美容館で美顔術が施術されるようになり、華族・上流階級の子女に流行することになった。創始者はメイ牛山という女性である(×)
■正しくは、「東京京橋の理容館で美顔術が施術されるようになり…。創始者は遠藤波津子(えんどう はつこ)という女性である」だそうです。東京ではいまでも「遠藤波津子」という名前を見かけることがあります。何代目かの子孫、あるいは弟子たちがやっているのかもしれません。
□遠藤波津子の考案した美顔術は、「白粉(おしろい)を塗りたくらず、精神の健康が第一」と説くものだったとのこと。素肌美を活かす化粧らしい。お年を召して素肌美を失ったときにどうするかが問題でしょうにね。
[ほ]竹久夢二の画集が暮れに出版され、「夢二式」と呼ばれるなよなよとした肢体の美人画が人気を集めた(○)
■竹久夢二(たけひさ ゆめじ)は、明治17(1884)年に岡山県で生まれた詩人・画家です。大きな瞳に愁いをたたえた「夢二式美人」の絵で一世を風靡したそうです。「♪宵待草(よいまちぐさ)」の作詞者としても知られています。
□本名は茂次郎(しげじろう)というらしい。茂次郎では美人画は売れません。「夢二」というブランド名がヒット商品開発の第一歩だったのかな。
□ちなみに、幻想的な美人画で知られる東郷青児(とうごう せいじ)氏は、若いころ、竹久夢二の細君と浮気をしたのが露見し、裸で逃げ出したことがあるそうです*2。
◆参考*1:書籍「20世紀のことばの年表」初版34〜35頁、加藤迪男編、東京堂出版
◇*2HP「17歳の東郷青児は流行画家竹久夢二のカミサンを奪ったの?」
http://blog.q-q.jp/200704/article_52.html

ぬけられます→日本語雑学クイズ一覧

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
ちょうど100年前の流行語。ハイカラもバンカラも100年の歴史があるの? 町人思案橋・クイズ集/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる