ジョン万次郎が帰国した日。ゴールド・ラッシュで一山当てようとしたの?

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★歴史★
問題:西暦1851年の今日、2月3日。和暦では嘉永(カエイ)4年1月3日。万次郎という青年がアメリカから帰国してきました。
■万次郎は、西暦1827年の1月27日生まれだそうです。天保(テンポウ)12(1841)年、14歳のときに漁師の手伝いとして海に出て4人の仲間とともに遭難します。5日半ほど漂流します。運よく、鳥島に漂着します。143日間生活したそうです。たまたま近くを通りかかったアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されたとのこと。
■4人の仲間はハワイで下船しましたが、万次郎少年は本人の希望でそのまま一緒に航海したそうです。天保14(1843)年5月、マサチューセッツ州フェアヘブンにおりたった万次郎は、船長の養子となり、一緒に暮らします。学校で英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学んだらしい。熱心な生徒だったようです。どこの学校かはわかりませんが、首席をとったこともあるらしい。
■やがてかつてのハウランド号の船員たちに誘われてフランクリン号という捕鯨船に乗り組みます。3年半の航海を終えてフェアヘブンに帰ったころ、万次郎は日本への帰国を決意したようです。
■本日は、10年ぶりに祖国の土を踏んだ記念日にちなみ、ジョン万次郎氏に関する雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]ジョン万次郎という名前は、小説で広まった名前であり、実際には使われていなかった
[ろ]ジョン万次郎は、帰国の費用を稼ぐためにゴールド・ラッシュに沸くカリフォルニアに行ったが、一山当てることはできなかった
[は]帰国したジョン万次郎は、通訳として幕府や藩に雇われたが、多くの人の嫉妬を受け、苦労した
[に]ジョン万次郎が書いた英語辞典の発音は、簡略すぎて実用にはならなかった
[ほ]坂本竜馬も勝海舟も万次郎からアメリカの情報を仕入れていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[は]、[ほ]が正しい
説明:[い]ジョン万次郎という名前は、小説で広まった名前であり、実際には使われていなかった(○)
■Wikipediaによれば、ジョン万次郎という呼び名は昭和13(1938)年に第6回直木賞を受賞した井伏鱒二(いぶせ ますじ)の作品「ジョン萬次郎漂流記」で用いられて広まったそうです。それ以前には使用されていないらしい。
□どうでもいいことですが、「ジョン万次郎」は「姓・名」ではなく、「名・名」の変な呼び名ですね。
□ちなみに、捕鯨船に拾われた万次郎は、ジョン・ハウランド号という船の名前にちなみ、仲間からジョン・マン(John Mung)と呼ばれていたそうです。
[ろ]ジョン万次郎は、帰国の費用を稼ぐためにゴールド・ラッシュに沸くカリフォルニアに行ったが、一山当てることはできなかった(×)
■正しくは、「…一山当てた」だそうです。ちょうどそのころ、19世紀の中ごろは、ゴールド・ラッシュの真っ最中ですね。「フォーティーナイナーズ(1849年の人たち)」と呼ばれた一攫千金を夢見る人たちがわれ先に岩を砕き、川底をさらっていました。
□万次郎は運の強い人なのでしょう。600ドルという大金を得たそうです。「ハックルベリー・フィンの冒険」が書かれた明治18(1885)年ころ、1番価値のある奴隷に支払われた給料が年間10ドルだったとどこかのHPに記されていました。「1ドルあれば1ヶ月暮らせる」という話を聞いたこともあります。その時代よりもさらに30年以上さかのぼったころの600ドルです。現在のいくらぐらいなのでしょうね。
□ジョン万次郎は、船を仕立て、故郷の仲間が降ろされたハワイに寄ります。ここで2人の旧友に再会し、彼らとともに琉球に上陸したそうです。番所で尋問を受け、薩摩本土に送られます。
□薩摩藩や幕府の長崎奉行などから長期間の尋問を受けたそうです。薩摩藩主島津斉彬(しまづ なりあきら)がその能力を買ったらしい。洋学校で英語と造船技術を教えたそうです。故郷の土佐に戻れたのは日本の土を踏んでから2年後のことだったらしい。12年ぶりの故郷はどんなだったのでしょうか。
[は]帰国したジョン万次郎は、通訳として幕府や藩に雇われたが、多くの人の嫉妬を受け、苦労した(○)
■嘉永6(1853)年にペリーが来航します。幕府や各藩はアメリカの情報を必要としていました。万次郎は士分に取り立てられ、故郷の名前をとって中浜万次郎として直参の旗本となります。
□英語の先生となったようですが、やがてクビになっています。士族の生まれでない万次郎がアメリカ人と気負いもなく対等に交友することをやっかむ者が多かったとのこと。
□英語をまともに話せるのは、当時万次郎だけだったらしい。ペリーとの通訳に最適とされました。でもオランダ語を介しての通訳をするつもりだった老中が、自らの立場を失うことを恐れたのでしょうか。万次郎はスパイではないかという疑惑を持ち出し、通訳の役目からおろされたそうです。組織というものは、いつでも非能率なもののようです。
[に]ジョン万次郎が書いた英語辞典の発音は、簡略すぎて実用にはならなかった(×)
■正しくは、「…実用になった」だそうです。ジョン万次郎は日本では読み書きも学ばなかった人物です。ましてや言語学などは知らなかったでしょう。でも、万次郎が日常から学んだ英語の発音は、とても実用になったらしい。
□万次郎の著書「日米対話捷径」という英会話の本に書かれた日本語の発音は、たとえば、「Sunday」は「さんれい」ですし、「cool」は「こーる」だそうです。誰が実験したのか、十分に意味が通じたという調査結果もあるらしい。現代の英会話教室でも、日本人にも発音しやすい英語として教えることがあるとのこと。いまいましい発音記号なんか中学生に教えるのはやめにして、平仮名でルビを振るほうが実用的な英語教育になるかもしれませんね。
[ほ]坂本竜馬も勝海舟も万次郎からアメリカの情報を仕入れていた(○)
■坂本竜馬は同郷のよしみで万次郎と面会し、いろいろ情報を仕入れていたらしい。勝海舟や福沢諭吉とは、咸臨丸でアメリカに行くときに一緒になっています。
□勝海舟が船酔いだったため、万次郎は勝にかわって船内の秩序維持につとめたとWikipediaにはありました。このときにも、アメリカ人との対等な交友を日本人に嫉妬されることを恐れ、付き合い方には注意していたそうです。武士もまた町人と同様に嫉妬深い存在のようですね。
◆参考*1:HP「ジョン万次郎 Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%B8%87%E6%AC%A1%E9%83%8E
◇*2HP「ジョン万次郎」
http://inforyoma.com/monogatari/johnman.htm

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この記事へのコメント

sadakun_d
2013年01月25日 06:48
1月25日は「ゴールドラッシュの日」…カリフォルニアの金を求めて約30万人が一攫千金を~成した(笑)

ジョン万次郎は600$(30月分の給料)を稼ぎ帰国が可能。漂流中も捕鯨船も幸運な男でしたね

sadakun_d様<素町人
2013年01月25日 10:05
コメントをありがとうございます。

 たしかにジョン萬次郎は幸運な男かもしれません。でも、仲間との帰国を拒んで新しい世界に1人で乗り出す覚悟をしています。ただ運がいいだけの男ではなさそうですね。
(^^;)

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