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●●●●●★歴史★● 問題:昭和20(1945)年の今日、1月27日。詩人の野口雨情(のぐち うじょう)が亡くなりました。満62歳と8ヶ月でした。 ■野口雨情は、明治15(1882)年5月29日に茨城県に生まれました。実家は水戸藩の郷士だったそうです。廻船問屋を営む地元の名家であり、現在の北茨城市に残る生家の建物は、水戸光圀(みと みつくに)が観海亭(かんかいてい?)と名づけたという話もあります。この話がホントなら、すでに300年以上が経過した木造建築ということになりますね。 ■明治34(1901)年、早稲田の前身である東京専門学校高等予科文学科に入学し、坪内逍遥(つぼうち しょうよう)の生徒になったようです。明治37(1904)年に父が亡くなり、帰郷して家督を相続します。この年に結婚していすます。 ■明治40(1907)年に、「早稲田文学」に詩を掲載しています。実家の家業は誰かにまかせたのでしょうか。北海道の小樽で新聞記者をしたりしています。わずか2ヶ月だけですが、石川啄木と机を並べていたようです。 ■その後、本格的に詩人としての生活に入り、太平洋戦争最後の年に亡くなるまでに2000編ほどの作品を残したといわれます。童謡・民謡・歌謡曲・校歌が多かったようですね。 ■童謡でいえば、「♪雨降りお月」、「♪赤い靴」、「♪青い眼の人形」、「♪あの町この町」など、「ア」で始まる曲名の作品だけでもたくさんありますね。歌謡曲でいちばんよく知られているのは「♪船頭小唄」でしょうか。あるいは「♪波浮の港(はぶのみなと)」かな。 ■本日は、野口雨情の命日にちなみ、作品についての雑学クイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか? [い]「♪証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)」という童謡の舞台は、「證誠寺(しょうじょうじ)」というお寺であり、わざと漢字表記が変えられている [ろ]「♪船頭小唄」は古賀政男(こが まさお)の哀切な旋律にのって全国に流れ大ヒットとなった [は]「♪シャボン玉」は旅先で宿泊した宿の小さな娘が亡くなったことをいたんで作られた詩である [に]大ヒットした「♪波浮の港」は全国初の商業レコードである [ほ]「♪赤い靴」が作られた裏には、悲しい実話がある (答えはずっと下↓ スクロールして下さい) ●●●●●★歴史★● 正解:[い]と[に]、[ほ]が正しい 説明:[い]「♪証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)」という童謡の舞台は、「證誠寺(しょうじょうじ)」というお寺であり、わざと漢字表記が変えられている(○) ■「♪証城寺の狸囃子」は、次のような歌詞です*2*7。 証 証 証城寺 証城寺の庭は ツ ツ 月夜だ みんな出て 来い来い来い おい等の友達ァ ぽんぽこ ぽんの ぽん 負けるな 負けるな 和尚さんに 負けるな 来い 来い 来い 来い 来い 来い みんな出て 来い来い来い 証 証 証城寺 証城寺の萩は ツ ツ 月夜に 花盛り おい等は浮かれて ぽんぽこ ぽんの ぽん □この証城寺とは、木更津市にある「浄土真宗本願寺派護念山證誠寺(しょうじょうじ)」だそうです。木更津には昔から狸ばやし伝説があったとのこと。歌詞にはありませんが、次のような話もあるらしい。 □和尚さんと夜毎踊りを競っていた狸連が、ある晩突然来なくなります。案じた和尚さんが探して見ると、庫裡(くり、食事を調える建物・場所)の床下に親分格の大狸がお腹の皮が破れた姿で亡くなっていました。哀れに思った和尚さんは手厚く葬ってやりましたとさ。 □木更津を訪れた野口雨情がこの話を聞き、「証城寺の狸囃子」として童話雑誌「金の船」に掲載したとのこと。実在の「證誠寺」が歌詞では「証城寺」となったのは、野口雨情が参考にした書籍に誤植があったからという暢気な説があります。これとは別に、初めは「證誠寺」だったけど、真面目な檀家から苦情が出て「証城寺」に変更したという話もあるようです。 [ろ]「♪船頭小唄」は古賀政男(こが まさお)の哀切な旋律にのって全国に流れ大ヒットとなった(×) ■正しくは、「…中山晋平(なかやま しんぺい)の哀切な旋律に…」だそうです。船頭小唄は別名「枯れすすき」とも呼ばれます。次のような歌詞です*3。 □己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき) 同じお前も 枯れ芒 どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れ芒 □なんか悲しいですね。昭和49 (1974) 年には、「♪昭和枯れすすき」が発表されました。さくらと一郎でしたっけ。こちらも悲しい歌でした。世情の暗い今年あたりは、「♪平成枯れすすき」が出てくるかもしれません。 [は]「♪シャボン玉」は旅先で宿泊した宿の小さな娘が亡くなったことをいたんで作られた詩である(×) ■正しくは、「自分の娘をしのんで作られた詩である」だそうです。明治41(1908)年に、長女みどりが生まれましたが、生後わずか7日で亡くなったらしい。ある日、地元の子供たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見て、あの娘が生きていればおなじぐらいの年齢だったろうと思い、詩を書いたと言われます。あまり確証はないようですが*4。 □「♪シャボン玉」は次のような歌詞です。 シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こはれて消えた シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こはれて消えた 風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ [に]大ヒットした「♪波浮の港」は全国初の商業レコードである(○) ■「♪波浮の港」は次のような歌詞です*5。 磯の鵜(う)の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る 波浮の港にゃ 夕焼け小焼け 明日の日和は ヤレホンニサなぎるやら □これが1番で、5番まで歌詞があるそうです。素町人は小林旭(こばやし あきら)のレコードで何度も聞きました。懐かしい。 □オリジナルは、昭和3(1928)年5月に佐藤千夜子(さとう ちやこ)が日本ビクターから、2ヶ月後の7月に、藤原義江(ふじわら よしえ)が米国ビクターから発売したそうです。日本最初期の流行歌のレコードであるとともに、競作レコードの第1号とのこと。商業レコードの第1号という記述も見られます*8。人口も少なく、レコード演奏器も少なかった時代に、10万枚の大ヒットとなったそうです。 [ほ]「♪赤い靴」が作られた裏には、悲しい実話がある(○) ■「♪赤い靴」は大正11(1922)年に本居長世(もとおり ながよ)の作曲です。次のような歌詞です*6。 赤い靴(くつ) はいてた 女の子 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった 横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった 今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう 赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢(あ)うたび 考える □この女の子のモデルは「きみ」という名前だそうです。開拓農場へ入植した貧しい両親により、北海道在住のアメリカ人宣教師に託されます。でも宣教師夫妻がアメリカに帰るとき、きみは結核に冒されており、東京麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまいます。きみはそのまま両親にあうこともできずに亡くなります。両親はきみが米国で幸せに暮らしていると思ったまま生涯を送ったらしい。 □野口雨情は北海道の新聞社に勤務していたころ、この話を耳にして詩を書いたといわれます。 ◆参考*1:HP「野口雨情 Wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E9%9B%A8%E6%83%85 ◇*2HP「証城寺の狸囃子 Wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E5%9F%8E%E5%AF%BA%E3%81%AE%E7%8B%B8%E5%9B%83%E5%AD%90 ◇*3HP「船頭小唄 Wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E9%A0%AD%E5%B0%8F%E5%94%84 ◇*4HP「シャボン玉(唱歌) Wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9C%E3%83%B3%E7%8E%89_(%E5%94%B1%E6%AD%8C) ◇*5HP「波浮の港 Wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E6%B5%AE%E3%81%AE%E6%B8%AF ◇*6HP「赤い靴 Wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%9D%B4 ◇*7HP「カムカムエブリバディと歌われた狸囃子の「しょうじょうじ」の漢字表記は? 」 http://blog.q-q.jp/200606/article_6.html ◇*8HP「佐藤千夜子 Wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%8D%83%E5%A4%9C%E5%AD%90 ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧 |
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