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help RSS 永井荷風誕生日。文化勲章の文豪は、避妊具なしではしなかったの?

<<   作成日時 : 2008/12/03 06:36   >>

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★歴史★
問題:明治12(1879)年の今日、12月3日。明治から昭和の前半に活躍した作家、永井荷風(ながいかふう)が生まれました。断腸亭(だんちょうてい)主人、金阜(きんぷ?)山人などの号を使っていたらしい。
■永井荷風は、「あめりか物語」、「ふらんす物語」、「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」、「すみだ川」、「つゆのあとさき」などの小説と、「断腸亭日乗(にちじょう)」という日記で知られる作家です。昭和27(1952)年に文化勲章を受けています。
■父久一郎(きゅういちろう)は士族です。荷風が生まれた当時は、内務省衛生局事務取扱という役人だったとのこと。東大の前身の学校に学び、留学経験もあります。のちにニューヨークに転勤となり、息子をつれて渡米しています。現在のキャリアのように、出世街道を歩んだ人物のようです。漢詩人としても名高く、禾原(かげん)・来青閣(らいせいかく?)主人といった号を使っていたらしい。
■荷風は弟が生まれると祖母にあずけられたそうです。現在とは異なり、紙おむつも粉ミルクも離乳食も冷蔵庫も洗濯機も掃除機もなかった時代です。赤ん坊を育てるのはたいへんな重労働です。2人目が生まれると、1人目はしばらく親戚にあずけるというのは、よくあることだったらしい。
■荷風は、18歳で一高を受験するも失敗。しばらくして雑誌社に入社するも解雇されています。22歳のときに、父とともに渡米し、日本公使館で働いたり、横浜正金銀行のニューヨーク支店に勤務しています。横浜正金銀行はのちの東京銀行で、いまは三菱東京UFJ銀行なのかな。
■横浜正金銀行のリヨン支店に転勤になり、しばらくして退社。パリに滞在したのちに明治41(1908)年に帰国しています。直後に「あめりか物語」を発表したらしい。明治43(1910)年から大正5(1916)年までは慶應義塾大学の文学部教授を勤めます。「三田文学」を創刊し、主宰したそうです。
■本日は、永井荷風氏の129回目の誕生日を祝い、氏にまつわる雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]一高の受験に失敗したあと、朝寝坊むらくという落語に入門し、三遊亭夢之助の名前をもらった
[ろ]子供ができて将来盗賊になったら世に害を及ぼすという理由で、かならず避妊具をつけて事にのぞんだ
[は]大正9(1920)年に現在の六本木に偏奇館(へんきかん)という木造の建物に住み始めた。命名の由来は「偏屈な奇人が住む館」というほどの意味らしい
[に]晩年は、ストリップが大好きで、浅草のストリップ劇場に通いつめた
[ほ]雑誌「面白半分」に掲載され、編集長野坂昭如(のさかあきゆき)が有罪判決を受けた「四畳半襖(ふすま)の下張(したばり)」は、永井荷風の作品だと言われる
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[ろ]、[に]、[ほ]が正しい
説明: [い]一高の受験に失敗したあと、朝寝坊むらくという落語に入門し、三遊亭夢之助の名前をもらった(○)
■Wikipediaには明治32(1899)年1月、19歳のときに入門したと書かれていました。ただし、父親に反対され、落語家修行は断念したらしい。その年、外国語学校に通いはじめますが、12月には除籍されています。成績不良かな。
□明治33(1900)年、歌舞伎作者の福地桜痴(ふくちおうち)に弟子入りしています。青春時代はいろいろと迷っているようですね。
□ドリーム師匠として知られる落語家夢之助の先輩かしらんと思いきや、現在の夢之助は「三笑亭」。永井荷風のほうは「三遊亭夢之助」でした。まぎらわしいな。
[ろ]子供ができて将来盗賊になったら世に害を及ぼすという理由で、かならず避妊具をつけて事にのぞんだ(○)
■随筆「西瓜」という作品には、「子供が成長して後其身を過ち、盗賊となれば世に害を貽(のこ)す。子供が将来何者になるかは未知の事に属する。之を憂慮すれば子供をつくらぬに若(し)くはない」と書かれているらしい。ちょっと変わっています。この理屈に共感する人が多ければ、少子化はますます加速するでしょうね。
□荷風先生の変わった主義は、他にもあります。「人の前で酔っ払わないこと。処女を犯さないこと。素人の女に関係しないこと」という三箇条もそうらしい。最初のひとつは武士の末裔らしい身の律しかたとして理解できます。残りのふたつは、凡人にはわかりかねますね。
[は]大正9(1920)年に現在の六本木に偏奇館(へんきかん)という木造の建物に住み始めた。命名の由来は「偏屈な奇人が住む館」というほどの意味らしい(×)
■正しくは、「…木造の建物がペンキ塗りされていたのから」だそうです。ひょっとしたら「ぺんきかん」と読ませるのかもしれませんね。
□偏奇館は、昭和20(1945)年に空襲で消失してしまったとのこと。なお、養子の永井永光(ひさみつ)という人は、銀座でバー「偏喜館」を経営していたそうです。こちらも一字違い。まぎらわしいな。
[に]晩年は、ストリップが大好きで、浅草のストリップ劇場に通いつめた(○)
■若いころは遊郭に通いつめ、晩年はストリップに通いつめたらしい。ストリップ小屋の楽屋で、ほとんど裸の踊り子たちに囲まれた先生の写真が資料*3に掲載されています。
[ほ]雑誌「面白半分」に掲載され、編集長野坂昭如(のさかあきゆき)が有罪判決を受けた「四畳半襖(ふすま)の下張(したばり)」は、永井荷風の作品である(○)
■永井荷風には、「四畳半襖の下張」という作品がふたつあるらしい。ひとつは、「文明」という雑誌に大正6(1917)年に発表した短編小説だそうです。もうひとつは、春本版「四畳半襖の下張」だそうです。読んだことがありませんけど、おそらくは後者のほうが性描写がより多かったり、より具体的だったりするのでしょうね。
□野坂昭如が逮捕された件では、おそらく後者のものが使われたのでしょう。そのままかもしれませんし、加筆されたという話もあるそうです。もし加筆されたのだとすると、著作者人格権に触れちゃうかな。
□いずれにせよ、お上は気に入らなかったらしい。手間とヒマをかけて作家や出版社を取り調べ、起訴に持ち込んだらしい。なんだかアホらしい話でもね、春本が世に出たからといって、どれほどの問題が生じるというのでしょうか。警察は、そんな事件にまわす予算や人員の余裕があるならば、凶悪犯罪の防止および検挙率向上のために使うべきでしょう。
◆参考*1:HP「永井荷風 Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E8%8D%B7%E9%A2%A8
◇*2HP「永井久一郎 Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E4%B9%85%E4%B8%80%E9%83%8E
◇*3HP「メガネ研究会 丸メガネの人物史(学者・文化人)その1」
http://optomo.biz/jinbutsushi-gakusha-1.html
◇*4HP「四畳半襖の下張 Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%95%B3%E5%8D%8A%E8%A5%96%E3%81%AE%E4%B8%8B%E5%BC%B5

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