「愚管抄」で知られる僧慈円の命日。法然や親鸞を迫害した張本人なの?

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★歴史★
問題:西暦1225年の今日、10月28日。和暦では嘉禄(かろく)元年9月25日。「愚管抄(ぐかんしょう)」や百人一首の歌で知られる慈円(じえん)が亡くなりました。西暦1155年5月17日(久寿(きゅうじゅ)2年4月15日)に生まれています。70年余りの人生だったようです。
■平安時代の人なのに誕生日がはっきりしています。カンのいいかたは、かなり身分のある人物の息子だなと思われたでしょう。まさしくそのとおり。慈円は摂政関白太政大臣までつとめた藤原忠通(ふじわらのただみち)の第六子です。兄には九条兼実(くじょうかねざね)がいます*1。きわめつけのセレブのようです。
■慈円は、建久3(1192)年頼朝が征夷大将軍に就任した年に、天台座主(ざす、比叡山延暦寺の首席の僧侶)になりました。以後、4期の長期政権を維持したらしい。
■百人一首では、前大僧正(さきのだいそうじょう)慈円となっています。「おほけなく 憂き世の民に おほふかな わがたつ杣(そま)に 墨染(すみぞめ)の袖(そで)」という95番目の歌が入選作です。「身のほどしらずのことであるが、わたしはこの世の民におおいかけるのである。この比叡山に住み始めてから、黒染の衣でもって」という意味らしい*4。宗教に無関心な現代の町人が聞くと、ちょっと傲慢で感じが悪い。百人一首を勉強させられたとき、いちばん嫌いな歌でした。かえってよく覚えてしまいましたが。
■では、百人一首でゴーマンかましている大僧正閣下の783年目の命日を記念し、慈円についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]「愚管抄」は慈円の随筆であり、承久の変で鎌倉を討つと勇んでいた後鳥羽上皇を諫(いさ)めるために書かれたという説がある
[ろ]兄の書いた書物は当時の状況を知る第一級の史料として知られる
[は]慈円は天台宗の頂点に長く立ち、当時の新興宗教である法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)を迫害した
[に]民謡の黒田節などの原曲といわれる「越天楽今様(えてんらくいまよう)の作詞を担当した
[ほ]露地のしつらえについて弟子に尋ねられた千利休は、慈円の歌を示し、この一首にて心得よと言った
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[に]、[ほ]が正しい
説明:[い]「愚管抄」は慈円の随筆であり、承久の変で鎌倉を討つと勇んでいた後鳥羽上皇を諫めるために書かれたという説がある(×)
■正しくは、「愚管抄は慈円の書いた歴史書…」だそうです。神武天皇から書き起こされ、後鳥羽上皇が鎌倉と戦った承久の乱(じょうきゅうのらん、承久3(1221)年)まで書かれているらしい。
□事実かどうかは不明ですが、「後鳥羽上皇を諫めるために書かれた」という説があるのはホントらしい。慈円は武士政権の誕生を理にかなったものとして認めていたそうです。慈円の目には、後鳥羽上皇の行動は旧体制のあがきに見えたのかもしれません。
[ろ]兄の書いた書物は当時の状況を知る第一級の史料として知られる(○)
■兄、九条兼実の日記「玉葉(ぎょくよう)」は長寛2年(1164)年から正治2(1200)年まで40年弱にわたりつづられているそうです。弟の「愚管抄」も歴史書として史料価値があるらしい。鎌倉時代の歴史書としては、「吾妻鏡(あづまかがみ)」があります。北条家が書かせたと言われます。当然ながら、北条家がらみの事件については都合よく筆を曲げています。その点、「愚管抄」や「玉葉」は政権の中枢の近くにいながら、つまり情報を得やすい立場にいながら、権力を握ってはいなかった人の記述ですので、面白い資料になるわけですね。
[は]慈円は天台宗の頂点に長く立ち、当時の新興宗教である法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)を迫害した(×)
■正しくは、「…法然や親鸞を保護した」だそうです。意外ですね。そもそも親鸞は、治承(じしょう)5(1181)年、9歳のとき、当時京都青蓮院(しょうれんいん)において慈円が得度(とくど、頭を丸めて出家すること)させたらしい。法然は、兄の九条兼実が強力な庇護者だったそうです。
[に]民謡の黒田節などの原曲といわれる「越天楽今様(えてんらくいまよう)の作詞を担当した(○)
■「越天楽」は、雅楽の中でいちばんよく知られている曲だそうです。参考資料*5で試聴することができます。そもそもは漢の時代の中国の楽曲だったらしい。インストルメントだけの曲だったようです。日本に入り、平安末期から鎌倉初期にかけて、歌詞がつけられたらしい。この曲は長い時を経て現代の黒田節につながっているらしい。参考資料*5の曲から想像できますでしょうか。
[ほ]露地のしつらえについて弟子に尋ねられた千利休は、慈円の歌を示し、この一首にて心得よと言った(○)
■桑山左近(くわやま さこん)という武将が、露地(ろじ)はどのようにすべきかと利休に質問したらしい。利休は「樫の葉の もみぢぬからに ちりつもる 奥山寺の 道のさびしさ」という慈円の歌を示したとのこと。「樫の葉が紅葉しないままに散りつもった、深山の寺に続く道の寂しさよ」という意味だそうです*6。きっとワビやサビの成分を多く含有した歌なのでしょう。素人にはいまひとつわからないのですが。ちなみに露地とは道のことではなく、「草庵式茶室に付属した庭」のことだそうです。
◆参考*1:HP「慈円 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E5%86%86
◇*2HP「愚管抄 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E7%AE%A1%E6%8A%84
◇*3HP「九条兼実 – Wikiped漢検2級程度書取問題。「○虫をかみつぶす」の○に入る漢字はなんなの?ia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E5%85%BC%E5%AE%9F
◇*4HP「おほけなく 憂き世の民に おほふかな 前大僧正慈円 小倉百人一首」
http://www.good-land.com/95.html
◇*5HP「(雅楽をちょっと鑑賞してみよう)」(QuickTimeが組みこまれていない場合は曲を聞けません。この頁からダウンロード頁へ行けます。5分~10分ほどかかります)
http://contest.thinkquest.jp/tqj2001/40687/kannsho2.htm
◇*6HP「表千家不審菴:利休の茶の湯とその流れ:利休のことば~「わび」の思想」
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/3_2_2.html
◇*7HP「 満26歳で散った源実朝。中国への渡航を計画していたの?」
http://blog.q-q.jp/200809/article_28.html

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