落語の「天災」にも登場する心学の先生。一部の人には嫌われていたの?

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★歴史★
問題:落語「天災」をご存じでしょうか。喧嘩っ早くて乱暴者の八五郎が、長屋の大家に離縁状を2本書いてくれと頼みにきます。話を聞くくと、女房ばかりか実母にまで三行半(みくだりはん)をつきつける気でいます。あまりのことに大家も呆れ、心学者の紅羅坊奈丸(べにらぼうなまる)先生に説教をしてもらおうと、八五郎に手紙を持たせます。
■紅羅坊奈丸をたずねた八五郎は、心学風の説教を受けます。「堪忍の なる堪忍は 誰もする ならぬ堪忍 するが堪忍」。先生と問答をするうちに、心学独特の「天災」という考えがちょっとわかった気になります。さっそく長屋のみんなに教えてやろう勇んで帰ると、たったいま喧嘩騒ぎがあったばかり。さっそく「天災」の考えで短気な連中を感化しようと紅羅坊先生の真似を試みます。でも、うわべしか理解していませんからトンチンカンでまるで話が通じない…という笑い話です。「ならぬ堪忍 するが堪忍」を、「奈良の神主 駿河の神主」と間違えているぐらいです。感化どころの騒ぎではありません*1。
■紅羅坊奈丸は架空の人物でしょう。でも、いわゆる心学者には、京都・大阪から江戸に出てきて普及につとめた人物がいます。では、おそらく紅羅坊奈丸先生の師匠筋にあたるであろうその人物とは次のうちの誰でしょうか?
[い]石田梅岩(いしだばいがん)
[ろ]手島堵庵(てじまとあん)
[は]中沢道二(なかざわどうじ)
[に]安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)
[ほ]米沢彦八(よねざわひこはち)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]中沢道二(なかざわどうじ)
説明:中沢道二は、享保10年(1725)ごろに生まれ、享和3(1803)年に亡くなった江戸中期の心学者です。石田梅岩(貞享2(1685)年~延享元(1744)年)によって京都で生まれた心学は、手島堵庵(享保3(1718)年~天明6(1786)年)らによって引き継がれ、その弟子の中沢道二によって江戸での普及を見たと言われます。
■心学は、仏教や儒教、神道を融合させ、こむずかしい理屈よりも実践に役立つ教えを選んで編んだものと言われます。短気な八五郎を目覚めさせた堪忍の教えなど、いわゆる道歌や問答を使い、庶民にわかりやすく処世訓を説きました。開祖ともいえる石田梅岩も弟子の手島堵庵も商人の出身だそうです。そのためか、倹約、勤勉を奨励し、イカサマのない商業活動を勧め、蓄財を是としています。当時の商人階級から絶大な支持を受けたらしい。
■西洋人は、「資本主義を生み出した清教徒思想と日本の心学は似ている」と指摘しているらしい。清教徒たちの考えといえば難しいのですが、たとえば「時は金なり」という金言にその一端があらわれています。この言葉は、ベンジャミン・フランクリンが「貧しいリチャードの暦」という本に記しているらしい。
■「時は金なり」は、心学の道歌でいえば、「今今と 今という間に 今ぞ無く 今という間に 今ぞ過ぎ行く」という歌に相当するかもしれません。表現は違うものの意味はおなじです。ベンジャミン・フランクリンは元禄14年(1701)年に生まれ、寛政2(1790)年になくなっています。石田梅岩のわずかに後の人のようです。
■清教徒の考えにも蓄財を是とするところがあったらしい。その清教徒がメイフラワー号で新天地に渡り、古いキリスト教の桎梏から解放され、資本主義社会を体現していったと言われます。
■ところで、心学の先生、いわゆる心学者・道学者は、必ずしも人々すべてに敬愛されていたわけではないようです。たとえば夏目漱石は、「日本の開化」という文章中で次のように述べています。「…道学者は倫理的の立場から始終奢侈(しゃし)を戒(いま)しめている。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終る…」。小説「夫婦善哉(めおとぜんざい)」で知られる作家織田作之助(おださくのすけ)の「可能性の文学」という文章中にも次のような表現があります。「…封建思想が道学者的偏見を有力な味方として人間にかぶせていた偽善のヴェール…」。忍耐しろ、勉強しろ、働け、貯蓄しろ、贅沢するな…と説教臭いことばかり並べるので、中には反発する人もでてくるわけですね。
■中沢道二は、京都の機織りの家に生まれ育ったそうです。55歳で手島堵庵門下に入ります。晩年からの学問です。4年後に師の命を受けて江戸に下ります。外神田に参禅舎(さんぜんしゃ)という心学の塾を設け、江戸の町民に語りかけました。紅羅坊奈丸先生の伝える道歌とは、わずかに異なりますが、中沢道二も「堪忍が なる堪忍が 堪忍か ならぬ堪忍 するが堪忍」という歌を教科書に載せ、たいへん人気があったようです。
■岡山藩主池田治政(はるまさ)という人は心学者もこの歌も嫌いだったらしい。ある日、中沢道二を屋敷に招きます。午前10時ごろに着きましたが、取り次ぎが出てこない。しばらくしてでてきた取り次ぎは、またひっこんだままです。正午になり腹の減った中沢道二は人を呼びますが、誰もこたえない。普通なら帰りますが相手は大名です。無礼うちにされるのもいやだから頑張ったのかな。とうとう午後4時になりました。しびれを切らした中沢道二は大声を出して人を呼び、でてきた用人に失礼を責めたそうです。
■ようやく奥に案内されると、そこは酒席だったらしい。盃や皿小鉢が散乱していたとのこと。呆れる中沢道二に「まず一献」と大きな盃を押しつけ、なみなみと酒をつぎます。「下戸ですから」と断っても飲めといってきかない。ついには「人の酒が飲めぬのか」といって道二の頭に酒をかけたらしい。さすがの中沢道二も怒ります。「道のために人を呼んだのにこのふるまいはなんですか」といって席を立とうとします。とたんに一座のものはいっせいに大声でいったそうです。「ならぬ堪忍、するが堪忍、汝の心学未熟なり、未熟なり」。どっと笑う声に、中沢道二は恥じて逃げ帰ったというのですが*3。ちょっと意地が悪すぎるかな。
■なお、選択肢の[に]安楽庵策伝と[ほ]米沢彦八は落語に関係した人物です。心学とは無関係です。
◆参考*1:CD「小さん落語 其ノ四『天災/石返し』」五代目柳家小さん、WPC6-8333、ワーナーミュージック
◇*2HP「石田梅岩 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%B2%A9
◇*3:書籍「日本史こぼれ話 近世・近代 続々編」新書初版84~86頁、笠原一男/児玉幸多編、ISBN4-634-59320-3、山川出版社

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