牧庵鞭牛の命日。生涯をかけて100里の道を開削したのはなんのため?

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★歴史★
問題:牧庵鞭牛(ぼくあんべんぎゅう)をご存じでしょうか。「牧場の小屋に住み、牛とともに暮らす悠々自適の日々」という意味の四字熟語…のようにも見えます。でもそれは間違い。江戸時代の中ごろに生きたものすごく偉い坊さんの名前です。
■偉いといっても、宗教家の階級社会の中で出世した人ではありません。名著を残したわけでもない。ひたすら身を粉にして人々のために働いた人です。庶民から見ればいちばん偉い坊さんです。
■今日はその牧庵鞭牛の命日だそうです。1782年の今日、10月8日。和暦では天明2年9月2日。72年の生涯を終えたようです。座禅を組みながら静かに亡くなったとも言われます。
■牧庵鞭牛は、宝永(ほうえい)7(1710)年に現在の岩手県に生まれたそうです。22歳のとき出家を決意し、常楽寺というお寺さんで最初の修行を始めたらしい。その後、吉里吉里村(きりきりむら、現岩手県大槌町(おおつちちょう))吉祥寺その他の寺で修行を重ね、寛保(かんぽう)2(1742)年、32歳のときに種市村(たねいちむら)東長寺の住職なります。現在の岩手県種市町、青森県との県境に近い太平洋岸の地です。
■延享(えんきょう)4(1747)年、37歳のときに橋野村林宗寺という寺の住職となります。この寺は奥まった場所にあったそうです。牧庵鞭牛は「寺は村人とともにあるべし」という考えから、道路に面した場所に移転したとのこと。日々、百姓、村人と顔をあわせ、悩みをきいては力づけていたらしい。
■寛延(かんえん)3(1750)年、40歳前後のとき、牧庵鞭牛は寺の近くを通る小枝街道という道の普請を行なったそうです。橋野村では道路が不完全で村人たちは物資の運搬に苦労していたようです。物が楽に運べるようになり、村人たちの喜びは大きなものがあったらしい。
■当時の南部藩は、3年に1度は凶作に見舞われるという状態だったそうです。道路の整備が不十分だったため、洪水が起これば不通になります。物資の補給が途絶えた村々は、たちまち飢餓に襲われたらしい。
■餓死者の供養も仕事です。牧庵鞭牛はその惨状をよく知っていました。牧庵鞭牛は道路を整備して人々を喜ばせることに残りの人生を捧げようと決め、実行しました。岩が邪魔で遠回りが必要な場所なら、岩を破壊して道をつけていきました。72歳で往生するまで、藩内のあちらこちらの道路を修繕したり、新しく開通させたりして回ったそうです。
■では、村人のためにひとりで道路工事に走り回った偉い坊さんの命日にちなみ、その人生と偉業についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]もとは武士だが若気の至りで人殺しをしてしまい仏門に入った
[ろ]牧庵鞭牛は、大きな岩を壊すときには黒色火薬を使った
[は]30年間で400kmもの道路を開削した
[に]伊達藩に褒められ、終身扶持をもらった
[ほ]牧庵鞭牛の逸話は柳田國男の「遠野物語(とおのものがたり)」にも登場する
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]が正しい
説明:[い]もとは武士だが若気の至りで人殺しをしてしまい仏門に入った(×)
■正しくは、「…牛方、鉱山夫などのガテン系労働についていた」だそうです。貧しい農家の生まれのようです。牛方とは、牛を使って荷物を運ぶ仕事らしい。馬方が馬を使って荷物や人を運ぶのと似ていますね。
□侍が人殺しをし、改心して坊さんになり、道路の開削に命をかけたとすれば、それは菊池寛の小説「恩讐の彼方に」のモデルかもしれません*4。でも、牧庵鞭牛は人殺しをしたわけではないらしい。22歳のとき母親に死なれて仏門に入る決心をしたようです。
[ろ]牧庵鞭牛は、大きな岩を壊すときには黒色火薬を使った(×)
■火薬の力で岩を砕ければ、楽ができたかもしれません。でも、牧庵鞭牛は、原始的な方法に頼っていたらしい。大きな岩があるときは、その上に薪をたくさん積み、盛大な焚き火をしたそうです。岩が熱くなったあたりで水をかけると、岩が弱くなり、掘削しやすいそうです。
□火は使いましたが、あとはまったくの人力です。参考資料*3のリンク(添付ファイル:鞭牛関係資料)に牧庵鞭牛が使った道具の写真がでています。これだけでどうやって岩を削っていくのかなと不思議に思えるほど単純な道具です。
[は]30年間で400kmもの道路を開削した(○)
■400kmです。すごい。もちろん岩ばかり400km並んでいたわけではないでしょう。出来上がった道路の長さの合計が400kmらしい。それにしてもすごい数字です。宮古から盛岡に至る道路、現在の国道106号線の元になった道路も牧庵鞭牛が普請したそうです。
□邪魔な岩を破壊するためにツルハシやノミをふるい始めると、村人たちは、「坊さんが気まぐれに何を始めるんだか」と冷淡な視線を投げかけるそうです。でも、1日も休まずノミをふるい続ける姿を見るうちに、村人たちは少しずつ手伝うようになるらしい。最後は多くの人が手伝って道路の普請を完成させていくようです。「恩讐の彼方に」のお話にちょっと似ています。
[に]伊達藩に褒められ、終身扶持をもらった(×)
■正しくは、「…南部藩から…」ですね。現在の岩手県です。伊達藩は、仙台藩と呼ばれます。青葉山に居城がありました。縄張りは現在の宮城県が中心のようです。
□終身扶持(ふち、ぶち)は、「死ぬまで一定のお金をあげるよ」という意味らしい。武士の俸給、俸禄を扶持(ふち)といいます。南部藩では一般人に終身扶持を出したのは、牧庵鞭牛が初めてだそうです。
□牧庵鞭牛は南部藩から終身扶持を申し渡されたとき、なんと思ったのかな。金が目当てでないから、とくに嬉しくはなかったかもしれません。でも、その金で何人かを救うことができるかもしれないと思ったかな。
[ほ]牧庵鞭牛の逸話は柳田國男の「遠野物語(とおのものがたり)」にも登場する(×)
■柳田國男の「遠野物語」は、長短119の伝承民話が集められています。天狗(てんぐ)や河童(かっぱ)、座敷童子(ざしきわらし)などの妖怪のお話や神隠しや死者に関する怪談、信仰、行事などがまとめられています*5。でも残念ながら牧庵鞭牛の名前は登場しません。おなじ岩手県の話題ですけど、ちょっと方向が違うようです。
◆参考*1:HP「牧庵鞭牛和尚の生涯」
http://homepage3.nifty.com/bagusnya/bengyu/nenpyo.html
◇*2HP「牧庵鞭牛 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E5%BA%B5%E9%9E%AD%E7%89%9B
◇*3HP「牧庵鞭牛展示ホール - 宮古市」
http://www.city.miyako.iwate.jp/cb/hpc/Article-478-1599.html
◇*4HP「菊池寛の代表作「恩讐の彼方に」からの読み問題。「薙ぐ」はなんと読むの?」
http://blog.q-q.jp/200807/article_9.html
◇*5HP「近代デジタルライブラリー|国立国会図書館」(検索頁が表示されます。「遠野物語」を検索語にして引くと、昔の本が読めます)
http://kindai.ndl.go.jp/index.html

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