沢村が史上初のノーヒットノーランを達成した日。草創期の名投手は通算何勝したの?

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★歴史★
問題:昭和11(1936)年の今日、9月25日。生まれたばかりの日本のプロ野球界で、初のノーヒット・ノーランが生まれました。演じた投手は沢村栄治(さわむらえいじ)。伝説の大投手です。抑えられたチームは大阪タイガース。阪神タイガースの前身だそうです。
■昭和11(1936)年からリーグ戦に出場し、昭和18(1943)年までに105試合に登板したらしい。草創期の巨人軍、プロ野球を支えた投手です。あいだに2度の兵役期間があります。昭和19(1944)年に3度目の応召。乗っていた輸送船が台湾沖の東シナ海で潜水艦の雷撃にあい沈没。戦死しました。満27歳という若さでした。
■では、プロ野球史上初の無安打試合を達成した大投手についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]高校を中退してプロ野球の世界に飛び込んだ。理由は、ライバルがプロに入ったと聞いたからである
[ろ]生涯通算150勝で、ノーヒット・ノーランは2回達成している
[は]戦争で手榴弾を投げさせられ、肩を壊した
[に]もう少しで日本人大リーガー第1号となるところだった
[ほ]MLBのオールスターが日本に来たとき、変化球をなげるときの癖を見破られ、めった打ちされた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]と[に]、[ほ]が正しい
説明:[い]高校を中退してプロ野球の世界に飛び込んだ。理由は、ライバルがプロに入ったと聞いたからである(×)
■正しくは、「高校の後輩が暴力事件を起こし、甲子園出場が難しくなったので」だそうです。沢村栄治は、京都商業学校の投手として昭和8(1933)年春、昭和9(1934)年春・夏の甲子園に出場しています。昭和9(1934)年夏の大会終了後に学校を中退し、プロの世界に飛び込んだらしい。参考資料*1によれば、「野球部内の他の生徒による下級生への暴行事件が明るみに出て、甲子園出場が絶望的になったため」という理由らしい。高校野球の元締めたちは、昔も今も、連座制が大好きですね。
□ちなみに、浪商の尾崎行雄(おざきゆきお)投手は、高校野球のライバルがプロに入ったからと高校を中退して自分もプロの世界に飛び込んだと聞きます。ライバルというのは法政二校の柴田勲(しばたいさお)投手ですね。甲子園での対決はいまでも懐かしく思い出します。柴田が巨人に入団すると、高校を中退して東映フライヤーズに入団。開幕時は17歳だったらしい。20勝9敗で新人王をとるという怪童ぶりでした。
[ろ]生涯通算150勝で、ノーヒット・ノーランは、2回達成している(×)
■正しくは「生涯通算63勝20敗で、ノーヒット・ノーランは3回達成している」だそうです。3回という数もすごいけど、21勝に1回はノーヒット・ノーランという比率もすごい。
□昭和11(1936)年9月25日のタイガース戦が最初です。2回目が昭和12(1937)年5月1日で、やはり大阪タイガース戦でした。最後は昭和15(1940)年7月6日の名古屋軍戦だそうです。この球団は、現在の中日ドラゴンズの前身らしい。
[は]戦争で手榴弾を投げさせられ、肩を壊した(○)
■沢村は、手榴弾を78mも投げたことがあるらしい。普通の人は40mも投げられればたいしたものとのこと。やはり沢村はすごい肩をしていたようです。
□ちなみに公認野球規則によって定められた硬式球の重さは141.7~148.8gだそうです。これに対して日本軍が使っていた手榴弾は、九九式と呼ばれるもので363gあるとのこと。倍以上の重さですね。これをさんざん投げさせられて肩を痛めたそうです。
□戦争では、左手を銃弾が貫通したこともあるらしい。右投げですけど、やはり影響はあったでしょう。マラリアにも感染しています。さんざんな目にあっているらしい。兵役で肩を壊したにもかかわらず、制球を武器にして昭和15(1940)年の3回目のノーヒット・ノーランを達成したそうです。
□ちなみに、プロ野球史上で3回のノーヒット・ノーランを達成したのは、他には広島の外木場義郎(そとこばよしろう)だけです。外木場はそのうち1回は完全試合とのこと。
[に]もう少しで日本人大リーガー第1号となるところだった(○)
■昭和10(1935)年、巨人軍はアメリカ合衆国の各地を転戦していました。プロ野球チームを結成したのはいいのですが、唯一の球団だったので、対戦相手がいなかったようです。ライバルとなる大阪タイガースが旗揚げするのは昭和10(1935)年12月10日とのこと。
□この年の6月に、巨人軍はミルウォーキー・レッドソックスというチームと試合をしていました。ある中年男性が外野席から飛び降りてきてサインが欲しいと紙を出したそうです。沢村は気軽にサインをしてあげました。
□試合後、その男性はベンチにやってきて、沢村をいつ渡してくれるのか、と問い合わせてきたそうです。巨人軍のマネージャーがその書類を見ると、セントルイス・カージナルスのスカウトが使う選手雇用のための契約書だったらしい。男性は強引に契約の履行を迫ったそうです。巨人軍のマネージャーは、「うちはアメリカの野球団体に加盟していないので、君がコミッショナーに訴えても無駄だよ」とあっさり断ったとのこと。
[ほ]MLBのオールスターが日本に来たとき、変化球をなげるときの癖を見破られ、めった打ちされた(○)
■昭和9(1934)年の12月。プロ入りしたばかりの沢村がベーブ・ルースも含めたMLBのオールスターを相手に好投するも、ルー・ゲーリッグに本塁打を喫し、0-1で惜敗したというお話はときどき耳にします。たしかにそういった試合もあったようです。
□ただし、別の試合では、カーブを投げるときに舌を出すという癖を見抜かれ、失点10点以上というめった打ちをされたらしい。さすがにMLBの選手たちは経験を積んでいます。高校出のルーキーには簡単にひねられないわけですね。
◆参考*1:HP「沢村栄治 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E6%9D%91%E6%A0%84%E6%B2%BB

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