岡倉天心の命日。天心がいなかったら奈良・京都への修学旅行はなかったの?

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★歴史★
問題:大正2(1913)年の今日、9月2日。日本の古美術の価値を再評価して保護につとめた岡倉天心(てんしん)が亡くなりました。美術史家であり、教育者です。東京美術学校(現東京藝術大学)の設立、日本美術院の設立にも大きく寄与した人だそうです。
■文久2年12月26日(1863年2月14)に元福井藩士・貿易商岡倉勘右衛門(かんえもん?)の息子として生を受けたそうです。父親の影響で英語を熱心に学んだらしい。弟の岡倉由三郎(よしさぶろう)は英語学者。夏目漱石の友人だそうです。英語の得意な一家のようですね。
■「その時歴史が動いた」というテレビ番組によれば、岡倉天心は、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)でどんどん壊されていた仏像を救うために奔走したそうです。その修復にも取り組みました。当時文部官僚だった天心は21万点と言われる膨大な数の仏像を調査したらしい。天心のおかげで東大寺三月堂(国宝)の不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのんぞう、国宝、口絵参照)その他多くの古美術の傑作が蘇ったそうです*5。岡倉天心がいなかったら、いまの中学・高校生の奈良・京都への修学旅行もなかったかもしれません。
■では、日本近代美術の父にして古美術の庇護者、岡倉天心にまつわる雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]英語が得意なのでフェノロサの助手となり、美術品収集を手伝うことになった
[ろ]初めて日本の美術史について語った人と言われる
[は]慣れないシルクハットをかぶってニューヨークを歩き、「お前らはチャイニーズか? ジュワニーズか?」とからかわれた。得意の英語で「お前はヤンキーか? モンキーか?」と切り返した
[に]「いきの構造」で知られる九鬼周造(くきしゅうぞう)の母との不倫が世間を騒がせた
[ほ]台東区にある岡倉天心記念公園は、旧東京美術学校の跡地である
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[い]と[ろ]、[に]が正しい
説明:[い]英語が得意なのでフェノロサの助手となり、美術品収集を手伝うことになった(○)
■明治8(1875)年、満13歳で東京開成所(現東京大学)に入所したそうです。英語がよくできたことからお雇い外国人のフェノロサの助手になったとのこと。フェノロサは岡倉天心より10歳ほど年上で、アメリカの東洋美術史家、哲学者だそうです。東京開成所では哲学を教えていたらしい。
□フェノロサの来日は明治11(1878)年だそうです。天心が満16歳のころ、25歳のフェノロサと出会ったらしい。天心は明治13(1880)年に東京帝国大学と改称した東京開成所を卒業し、その年に文部省に勤務し始めます。満18歳です。昔の人はみんな早熟なんですかね。
□フェノロサは日本美術を評価して紹介につとめた人物として知られます。東京美術学校の設立にも天心とともに尽力したそうです。
[ろ]初めて日本の美術史について語った人と言われる(○)
■明治22(1889)年に東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)が開校したそうです。日本初の美術専門学校ですね。明治23(1890)年から3年間、「日本美術史」の講義を行ないました。日本で初めて美術史を語ったと言われます。
□東京美術学校からは、横山大観(よこやまたいかん)、下村観山(しもむらかんざん)、菱田春草(ひしだしゅんそう)ら、気鋭の日本画家が輩出し、新しい日本画の創造に取り組んだそうです。
[は]慣れないシルクハットをかぶってニューヨークを歩き、「お前らはチャイニーズか? ジュワニーズか?」とからかわれた。得意の英語で「お前はヤンキーか? モンキーか?」と切り返した(×)
■正しくは、「…羽織袴姿でボストンを歩いていたとき…」だそうです。明治36(1903)年にボストン美術館に招かれ、横山大観、菱田春草などの弟子を連れて訪問したときの逸話らしい。Wikipediaに掲載されていた原文は次のとおりです。
--- "What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?"
--- "We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?"
□岡倉天心が茶道を世界に紹介した「茶の本」からも、皮肉屋らしい一面がみてとれます。たとえば、最初のほうには次のような皮肉な文章が書かれています。
--- 一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖(そで)の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮(さつりく)を行ない始めてから文明国と呼んでいる*2。
[に]「いきの構造」で知られる九鬼周造(くきしゅうぞう)の母との不倫が世間を騒がせた(○)
■真面目一方な人物かと思いきや、けっこう柔らかい面もあったらしい。参考資料*1によれば、文部官僚の九鬼隆一(くきりゅういち)男爵の妻・波津子(はつこ、初子説もあり)と不倫関係だったことがあるようです。上司の妻とそんなことになってしまったんですね。明治のなかばあたりでは、姦通罪はなかったのかな。下手すれば、特殊な馬車に揺られて監獄行きだったかも*5。
[ほ]台東区にある岡倉天心記念公園は、旧東京美術学校の跡地である(×)
■正しくは、「…日本美術院の跡地である」だそうです。日本美術院は、岡倉天心が創設した美術家の団体です。院展(いんてん)と呼ばれる展覧会を主催しているそうです。明治31(1898)年に設立され、現在の理事長は平山郁夫(ひらやまいくお)とのこと。
◆参考*1:HP「岡倉天心 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%80%89%E5%A4%A9%E5%BF%83
◇*2HP「図書カード:茶の本」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/card1276.html
◇*3HP「アーネスト・フェノロサ – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%82%B5
◇*4テレビ番組「その時歴史が動いた 岡倉天心」08年5月14日放送
◇*5HP「戦前、姦通罪で逮捕されたこともある有名な詩人はだれ? 」
http://blog.q-q.jp/200611/article_4.html

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