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zoom RSS 20世紀最初の年の流行語。「告別式」は1901年に生まれた言葉なの?

<<   作成日時 : 2008/06/03 06:49   >>

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★日本語★
問題:20世紀の最初の年、明治34(1901)年の1月1日。慶應義塾では、19・20世紀送迎会が開かれたとか。2月3日には、この催しを提案した福沢諭吉(ふくざわゆきち)氏が亡くなっています。文明開化の大立者、福沢氏は、20世紀にほんのちょっぴり足跡を残したようです。12月13日には、ルソーの翻訳でも知られる民権運動家中江兆民(なかえちょうみん)氏が亡くなったとのこと。
●孫文(そんぶん)が日本に亡命し、八幡製鉄が開業。第1回ノーベル賞授賞式が催され、田中正造(たなかしょうぞう)が足尾銅山をなんとかしてくれと明治天皇に直接訴えた年でもあります。
●では、そんな明治34(1901)年の流行語からの雑学クイズです。以下に掲げる5つの言葉はすべて20世紀最初の年に流行しました。では、正しい記述はどれでしょうか?
[い]「押し通る」という流行語は、この年に入閣した政治家星亨(ほしとおる)に由来し、「図々しさと押しの強さ」を意味していた
[ろ]「告別式」という形の儀式は、福沢諭吉が遺言し、青山墓地式場で挙行された。以後、告別式が流行した。
[は]「ミルクホール」は牛乳やパンを提供していたが、やがて酒も販売するようになり、麻薬の密売も行なわれるようになり、当局の監視の目が厳しくなって大正末期にはなくなった
[に]「早くてきれいで、便利」は、電気こんろの宣伝文句として流行語になった
[ほ]「美的生活」という言葉を流行らせたのは文藝評論家の高山樗牛(たかやまちょぎゅう)である
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★日本語★
正解:[ほ]が正しい
説明:●[い]「押し通る」という流行語は、この年に入閣した政治家星亨(ほしとおる)に由来し、「図々しさと押しの強さ」を意味していた(×)
正しくは、「…この年の6月21日に暗殺された星亨に由来し…」だそうです。星亨はイギリスにおいて日本人初の弁護士資格を得た人だそうです。帰国後は司法省付属代言人の第1号として活躍します。やがて政界に身を投じ、逓信大臣などをまかされています。Wikipediaによれば、「その逞しい政治手腕から『おしとおる』とあだ名された』」とのこと*2。
●[ろ]「告別式」という形の儀式は、福沢諭吉が遺言し、青山墓地式場で挙行された。以後、告別式が流行した(×)
正しくは「宗教と無関係な告別式は中江兆民が遺言し…」だそうです。それまで、日本では宗教色の強い葬式はあっても宗教と無関係の告別式はなかったようです。中江兆民は旧弊を嫌ったのか、宗教色を排した儀式を望んだらしい。以後、告別式という言葉が定着し、現在にいたるまで使われています。
○現在では、「お別れの会」などという呼称だと無宗教の演出も多いと思われます。告別式という名前の場合には、坊さんがいる例は少なくないと思いますけど。どうなんでしょうかね。まぁ、名前はともあれ、100年以上前に宗教色を排した中江兆民氏は、かなり先鋭的な存在だったようです。
●[は]「ミルクホール」は牛乳やパンを提供していたが、やがて酒も販売するようになり、麻薬の密売も行なわれるようになり、当局の監視の目が厳しくなって大正末期にはなくなった(×)
正しくは、「ミルクホールは、戦後まで東京に存在した」だそうです。「ミルクホール」という言葉自体は、明治34(1901)年以前にもあったようです。でも、この年に東京に乱立し、一種のブームが訪れたらしい。牛乳やパン、ドーナッツなどを提供するだけだったのが、新聞を読ませたり、官報の販売をするなど、サービスを広げたことが人気を呼んだらしい。
○犯罪の歴史を記したHPによると、昭和28(1953)年12月に、浅草でミルクホールを舞台とした強盗殺人事件が起きています*3。少なくともこのころまでは、ミルクホールと呼ばれる店はあったようですね。
●[に]「早くてきれいで、便利」は、電気こんろの宣伝文句として流行語になった(×)
正しくは「…ガスこんろの宣伝文句として流行語となった」だそうです。昔の電気こんろでは、「早くて」とはとても言えません。最近の電気ケトルなら、「早くて」と言えますけど。あれはなぜあんなに早くお湯が沸くのかな。
●[ほ]「美的生活」という言葉を流行らせたのは文藝評論家の高山樗牛(たかやまちょぎゅう)である(○)
高山樗牛は、小説「滝口入道」で文壇にあらわれた若手の才能だそうです。自分が主筆をつとめる日本初の総合雑誌「太陽」に「美的生活を論ず」という文を発表し、話題になります。「金銭にこだわるにしろ、知識や芸術を愛するにしろ、自分の世界に没頭することが大切だ」という主張らしい。学生の間では、貧乏で下宿に引き籠もっている状態を「美的生活」と呼んだそうです。
○高山樗牛氏は、「美的生活」流行の翌年、明治35(1902)年にわずか31歳で亡くなったとのこと*4。
○なお、雑誌「太陽」は博文館の発行で明治28(1895)年に創刊され、昭和2(1927)年に廃刊になっています。戦後に発行された「太陽」は平凡社が昭和38(1963)年に創刊したようです。高山樗牛が主筆をつとめたのは、もちろん前者です。
◆参考*1:書籍「20世紀のことばの年表」初版21〜22頁、加藤迪男著、東京堂出版
◇*2HP「星亨 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E4%BA%A8
◇*3HP「昭和28年(1953年)の少年犯罪」
http://kangaeru.s59.xrea.com/28.htm
◇*4HP「高山樗牛 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E6%A8%97%E7%89%9B

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