源為朝(みなもとのためとも)が自害した日。ジャイアント馬場より大きい人だったの?

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★歴史★
問題:西暦1170年の今日、4月23日。旧暦では嘉応(かおう)2年4月6日に、おそらくは史上最高の弓の名手だったと思われる源為朝が自害したそうです。
●為朝は保延5年(1139)に源為義(ためよし)の八男として生まれました。お母さんは摂津の国の遊女だそうです。義経(よしつね)や頼朝(よりとも)の父・源義朝(よしとも)は為朝の兄だそうです。源平盛衰記で活躍する兄弟から見れば、為朝は叔父さんにあたるのかな。
●保元(ほうげん、ほげん)元(1156)年、為朝が17歳のときに保元の乱が起こります。鳥羽上皇(とばじょうこう)の没後、後白河天皇(ごしらかわてんのう)と崇徳上皇(すとくじょうこう)が争いました。平清盛(たいらのきよもり)と源義朝は後白河天皇の側です。源為義と源為朝親子は祟徳院の側です。結局、祟徳院側が敗れ、捕縛された為朝は伊豆大島に流されます。
●伊豆大島で結婚した為朝は、流人のくせに好き勝手をし始め、税金を納めず、伊豆七島を支配下におさめてしまいます。嘉応2年(1170)に追討の院宣(いんぜん、上皇の命令書)が下り、国司の軍に追いつめられ、最後は腹を切って自害したそうです。
●では、古今無双の弓の名人と言われる為朝氏の命日にちなみ、為朝氏に関する雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]為朝はジャイアント馬場よりも大きいうえに、たいへんな美男だった
[ろ]13歳で父親に勘当され、九州に追放されるが3年で九州を平定してしまった
[は] 保元の乱で清盛軍と対峙したとき、1本の矢で数人の敵を射抜き、あまりの凄さに清盛軍が逃げ出したと言われる
[に]琉球の正史には、為朝が琉球へ逃れ、その子が琉球王家の始祖となったとされている
[ほ]伊豆大島では、いまでも結婚で移り住んできた本土出身の男性を「ためともさん」と呼ぶことがある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[に]、[ほ]が正しい
説明:●[い]為朝はジャイアント馬場よりも大きいうえに、たいへんな美男だった(×)
正しくは「…大きく、容貌魁偉だった」だそうです。大きい人で身長が7尺ほどあったらしい。7尺は212.1cmほどだそうです。ジャイアント馬場はWikipediaによれば209cmとのこと。
○目の隅が切れ上がって容貌魁偉だそうです。左腕が右腕より4寸(約12cm)ほど長かったらしい。弓を引くのに都合のいい体格なのかな。
●[ろ]13歳で父親に勘当され、九州に追放されるが3年で九州を平定してしまった(○)
勇猛ですが傍若無人だったとのこと。お兄さんたちにもまるで遠慮がなかったらしい。まぁ、普通に振る舞っても212cmの大男は乱暴に見えるでしょう。昔の建物では、鴨居に頭をぶつけてばかりいたかも。ストレスも溜まるんでしょうね。
○13歳で勘当というのも凄いですけど、そのあとも変わっています。阿蘇の平忠国(たいらのただくに)の婿になったそうです。中学生で結婚したわけか。勝手に鎮西総追捕使(ちんぜいそうついぶし)を名乗り、九州の豪族たちと合戦を繰り返し、3年で九州を支配下におさめてしまったとのこと。高校生で1地方のボスになったわけか。残念ながら暴れすぎて中央から召喚状が来てしまい、いやいやながら京都に戻ったようです。戻るとすぐに保元の乱で、父・為義とともに敵方の平清盛や兄・源義朝と戦うことになります。
●[は]保元の乱で清盛軍と対峙したとき、1本の矢で数人の敵を射抜き、あまりの凄さに清盛軍が逃げ出したと言われる(×)
正しくは「…対峙したとき、1本の矢でひとりを射抜き、さらに背後の武士の鎧の袖に突き刺さった。あまりの凄さに…」だそうです。あやうく2人目も串刺しにされるところだったらしい。2人目の武士は仰天して矢を持って清盛に報告します。清盛軍は戦意を失い、担当換えを申し出たらしい。為朝軍には兄である源義朝の軍勢があたることになり、清盛軍は別方面に移動したとのこと。
●[に]琉球の正史には、為朝が琉球へ逃れ、その子が琉球王家の始祖となったとされている(○)
琉球王国の初めての正史(公式の王朝史)である「中山世鑑(ちゅうざんせいかん)」は慶安3(1650)年ごろに成立したらしい。この書物の中には、「琉球最初の王となった舜天(しゅんてん)は源為朝の子である」というお話が記されているとのこと。
○ただし、この記述は当時琉球を支配していた薩摩藩に対する配慮ではないかという見方もされているそうです。のちに曲亭馬琴(きょくていばきん、滝沢馬琴)が為朝をモデルに書いた「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」では、為朝が琉球王国を再建するというお話になっているとのこと。「中山世鑑」の記述もヒントのひとつになったようです*2。
●[ほ]伊豆大島では、いまでも結婚で移り住んできた本土出身の男性を「ためともさん」と呼ぶことがある(○)
参考資料*1には、そのように書かれていました。為朝の剛勇ぶりにあやかってもらいたいという願いをこめて呼ぶらしい。結婚式の披露宴では、花嫁の親族が「ためともって呼んでもいいかな?」と叫び、新郎は「いいとも!」と叫び返すそうです。嘘です。
◆参考*1:HP「源為朝 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%82%BA%E6%9C%9D
◇*2HP「中山世鑑 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E4%B8%96%E9%91%91

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