将軍足利義昭が挙兵した日。将軍様が決起して誰と戦ったの?

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★歴史★
問題:1573年の今日、3月3日(天正元年1月30日)。足利幕府15代将軍足利義昭(あしかがよしあき)が挙兵します。征夷大将軍ですから、本来は日本で一番の権力者のはずです。でも、15代将軍ともなると影響力はだいぶ薄れています。徳川慶喜(とくがわよしのぶ)氏もそうだったらしい。言うことを聞かない連中がどんどん現われます。最後の将軍はけっこう悲しいのかな。
●では足利義昭氏の人生と最後のあがきにかんする雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]足利義昭氏は決起したときはまだ20代、血気盛んな青年だった
[ろ]貧乏公方(びんぼうくぼう)などと呼ばれ、流浪の生涯を送った
[は]織田信長の助力で15代将軍になったが、やがて対立し、信長包囲網を画策して失敗した
[に]秀吉に一万石を与えられ、文禄・慶長の役を起こしたときには、軍を引きつれ、肥前名護屋まで出陣している
[ほ]結局は秀吉よりも長生きをし、江戸時代まで生きていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[は]、[に]が正しい
説明:●[い]足利義昭氏は決起したときはまだ20代、血気盛んな青年だった(×)
正しくは「…30代の分別盛りだった」だそうです。足利義昭氏は1537年12月5日(天文6年11月13日)に、12代将軍義晴(よしはる)氏の息子として生まれました。お兄さんは13代将軍足利義輝(よしてる)氏だそうです。従兄弟の足利義栄(よしひで)氏が14代将軍とのこと。
○1573年3月3日の決起のときは、35歳と4ヶ月ぐらい。人生50年の時代には、すでに分別盛りと言ってもいいでしょう。
●[ろ]貧乏公方(びんぼうくぼう)などと呼ばれ、流浪の生涯を送った(○)
幼時から興福寺(こうふくじ)に預けられていたそうです。永禄8(1565)年、永禄の変が起こります。二条御所でお兄さんの13代将軍足利義輝(よしてる)氏が松永久秀(まつながひさひで)などに暗殺されます。このとき、興福寺にいた義昭氏も危なかったらしい。幸い、巨大宗教法人の力を恐れたクーデター軍は義昭氏を幽閉するにとどめたそうです。
○その後、近江の六角(ろっかく)氏、若狭の武田氏、越前の朝倉氏、美濃の織田氏と渡り歩き、織田信長の支援を得てついに将軍に就任します。ほどなく信長と険悪になり、自ら挙兵し敗れます。このときは、石山本願寺の顕如(けんにょ)の助命で追放処分になります。
○敗戦後、河内(かわち)三好氏の元に身を寄せた義昭氏は、その後、さらに中国の毛利輝元(もうりてるもと)氏の元で亡命政権を樹立するなど、さまざまな土地の親分を頼って転々とし、流浪の人生を送っています。経済状態はよくわかりませんが、こうあちこちに引っ越しするばかりでは、あまり貯金はなかったろうと想像されます。実際、貧乏公方と呼ばれていたそうです。
○ただし、京都五山の住持任命権は五山を定めた足利将軍家にあると考えられていたらしい。その任命のための献金収入があったかもしれないとのこと。もしあったなら「赤貧洗うが如し」ではなかったのかな。
●[は]織田信長の助力で15代将軍になったが、やがて対立し、信長包囲網を画策して失敗した(○)
足利幕府14代将軍は永禄の変のクーデター軍が傀儡政権とした足利義栄氏だそうです。織田信長のバックアップを受けた義昭氏は、永禄11(1568)年の秋に上京し、将軍宣下(せんげ)を受け、15代将軍に就きます。
○でも、信長は義昭氏にいろいろ無理な要求をしたらしい。不満を募らせた義昭氏は信長排除をもくろみます。本願寺顕如、武田信玄(たけだしんげん)、朝倉義景(あさくらよしかげ)、毛利輝元(もうりてるもと)らに信長討伐令をくだします。いわゆる信長包囲網です。浅井長政や三好三人衆(みよしさんにんしゅう)も参加したそうです。一時は、信長もピンチでした。でも、結局、武田信玄が病死し、浅井・朝倉連合軍が壊滅し、顕如も敗れ、包囲網はズタズタになっていきます。
○義昭氏は単に計画を立てるだけの人ではなかったらしい。自らも行動を起こします。兄の仇(かたき)ではありますが力のある松永久秀と同盟を結び、山城槇島城(まきしまじょう、現宇治市)で挙兵します。いったんは正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命で和睦します。でも、7月に再び挙兵し、敗れ、義昭氏は信長に捕えられたそうです。
●[に]秀吉に一万石を与えられ、文禄・慶長の役を起こしたときには、軍を引きつれ、肥前名護屋まで出陣している(○)
足利義昭氏が最後に頼ったのは豊臣秀吉でした。秀吉は義昭氏に一万石を与え、大名の一人として遇したようです。
●[ほ]結局は秀吉よりも長生きをし、江戸時代まで生きていた(×)
正しくは「…秀吉の1年前に亡くなり、新しい時代を目にすることはなかった」だそうです。ちなみに、ふたりはともに1537年生まれです*1*2。義昭氏は慶長2(1597)年、秀吉は慶長3(1598)年に亡くなりました。ほとんど人生が重なっていますね。なお、秀吉の生誕は1536年2月2日(天文5年1月1日)という説もあるそうです。
◆参考*1:HP「足利義昭 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%98%AD
◇*2HP「豊臣秀吉 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89#_note-0
◇*3HP「顕如 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E5%A6%82
◇*4HP「松永久秀 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E4%B9%85%E7%A7%80

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