京都⇔神戸の鉄道開通記念の日。東海道線が全線開通するのはその何年後?

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★歴史★
問題:明治10(1877)年の2月5日。京都と神戸の間に鉄道が開通し、明治天皇を迎えて開通式が実施されたそうです。ご存じのとおり、明治5(1872)年の6月に、東京と横浜の間に日本初の鉄道が開通しました。関西の三大都市を結ぶ路線はそれから5年が経って完成したことになります。この年から、JR関西のキャンペーン「三都物語」が始まったそうです。そんなわけないか。
●ちなみにこの時点では、大都市周辺にしか鉄道がありません。明治天皇はどんな移動手段を用いられたのでしょうか。馬車で東海道を下ったのかな。それとも船で大坂まで行ったのかな。
●では、明治日本の発展を支えた東海道線に関する雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]最初に東京と横浜を結んだときには、2日に1度の運行だった
[ろ]最初は品川と桜木町を結んでいた。新橋駅はあとからできた駅である
[は]東海道線の名古屋駅は当初「名護屋駅」と表記されていた
[に]新橋⇔神戸が全線開通したのは大正に入ってからだった
[ほ]最初に東海道線がつながったとき、琵琶湖は鉄道連絡船を使って渡っていた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ろ]と[は]、[ほ]が正しい
説明:●[い]最初に東京と横浜を結んだときには、2日に1度の運行だった(×)
明治5年5月7日(1872年6月12日)に、最初の蒸気機関車が仮営業で走ったときには、「1日に2往復」だったそうです。23.69kmの線路を35分で駆け抜けています。このときには、途中に駅はありません。ノンストップです。平均時速は40.6kmほど。なかなかの韋駄天だったようです。すぐに1日6往復になったという話もあります。ちなみに、現在の東海道線では、品川から横浜までが17分ほど。桜木町まで行く場合は、乗り換え時間を含めて25分前後かかるようです。
●[ろ]最初は品川と桜木町を結んでいた。新橋駅はあとからできた駅である(○)
いちばん最初は、品川駅と現在の桜木町駅を結んでいたらしい。当時は桜木町駅が横浜駅と呼ばれたそうです。明治5年9月12日(1872年10月15日)に新橋まで延伸され、28.87kmの区間になりました。なお、品川駅も現在の位置より300mほど南側にあったと言われます。
●[は]東海道線の名古屋駅は当初「名護屋駅」と表記されていた(○)
初代の横浜駅が現在の桜木町駅だったように、東海道線のいくつかの駅の名前は、今とは違っているそうです。「名護屋駅」という古めかしい名前も当初は使われていたとのこと。横浜の西側にある保土ヶ谷駅も当初は「程ヶ谷駅」。静岡県の清水駅は「江尻駅」。富士川駅は「岩淵駅」。磐田駅は「中泉駅」だったそうです。
●[に]新橋⇔神戸が全線開通したのは大正に入ってからだった(×)
正しくは、明治22(1889)年7月1日だそうです。最初の鉄道ができてから17年、京都⇔神戸間が開通してから12年が経過していました。このころ、ようやく、新橋から神戸まで席に座ったまま運んで貰えるようになったとのこと。明治27(1894)年の日清戦争よりも前に、すでに日本の大動脈は完成していたようです。
●[ほ]最初に東海道線がつながったとき、琵琶湖は鉄道連絡船を使って渡っていた(○)
いちばん最初は太湖汽船という会社が、長浜⇔大津間で鉄道連絡船を運航していたとのこと。長浜まで来た列車は船に乗り、大津に着いたらまた線路上をゴトゴト走ったようです。
○落語のネタにもなっている「矢橋船」は琵琶湖の南端を近道した航路だったようです。太湖汽船の航路は琵琶湖の真ん中を横切ったのかな。その後、鉄道連絡船は廃止され、地べたの上を走るだけで神戸まで着くようになりました。
○若いかたはご存じないでしょうけれど、昔々、青函連絡船は列車をそのまま運んでいました。太湖汽船のやりかたはあれと同じですね。青函トンネルができる前のお話です。
◆参考:HP「東海道本線 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%9C%AC%E7%B7%9A

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