高橋お伝が処刑された日。お伝のあの部分はホルマリン漬けになっているの?

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★歴史★
問題:明治12(1879)年の1月31日。市ヶ谷の監獄で高橋お伝という女性が死刑を執行されました。執行人は8代目山田浅右衛門(山田朝右衛門吉亮)。いわゆる「首切り浅右衛門」だそうです。
●斬首刑は野蛮であると言われ、明治14(1881)年に廃止されたそうです。高橋お伝は、日本における女性死刑囚として最後の斬首刑に処せられたそうです。
●余談ですが、フランスでは昭和14(1939)年まで一般に公開で、昭和52(1977)年までは非公開で、ギロチンによる処刑が行なわれていたそうです。日本刀の試し切りを兼ねた斬首刑とどちらが野蛮かな。
●話を戻します。命日にちなみ、高橋お伝についての雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]高橋お伝は「希代の毒婦」と言われ、10人以上の男性を毒牙にかけた
[ろ]処刑されたとき、まだ22歳の若さだった
[は]高橋お伝の性器はホルマリン漬けになり、東大法医学部の参考室に保存されている
[に]遺体の解剖は明治の劇作家小山内薫の兄弟が行なった
[ほ]お伝の墓に参ると三味線が上達するという伝説があり、現在でも谷中霊園の彼女の墓を訪れる人がいる
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[ほ]が正しい
説明:●[い]高橋お伝は「希代の毒婦」と言われ、10人以上の男性を毒牙にかけた(×)
明治9(1876)年8月27日に、東京の浅草蔵前で金銭目的で古物商後藤吉蔵を殺害したそうです。明治9(1876)年9月9日、強盗殺人容疑で逮捕されます。裁判で死刑判決が下りました。彼女の凶悪犯罪はどうもこれだけのようです。「希代の毒婦」にしては、犯罪事実のほうはこじんまりとしています。仮名垣魯文(かながきろぶん)という戯作家が「高橋阿伝夜叉譚」という作品で宣伝してしまったので、とんでもない悪者のように思われているようです。
●[ろ]処刑されたとき、まだ22歳の若さだった(×)
生まれたのは嘉永元(1848)年と言われています。30歳を越えてから亡くなったようです。
●[は]高橋お伝の性器はホルマリン漬けになり、東大法医学部の参考室に保存されている(?)
これはあくまでも噂です。でもなぜかあちらこちらで聞く噂です。彼女と寝た男は、たいへんな名器であると証言しているそうです。その名器なるものを科学的に解明しようとしたのか、それとも興味本位なのか、現在も残されているというのですが*3。
●[に]遺体の解剖は明治の劇作家小山内薫の兄弟が行なった(×)
正しくは「小山内薫の父、小山内建が行なった」そうです。このかたは軍医さんだったらしい。
●[ほ]お伝の墓に参ると三味線が上達するという伝説があり、現在でも谷中霊園の彼女の墓を訪れる人がいる(○)
Wikipediaにはそのように書かれていました。両国の回向院(えこういん)にある鼠小僧次郎吉の墓はいまやすっかり砕かれていると聞きます。『鼠小僧の墓石を持っていると博打で勝てる』という俗信のせいだとか。お伝の墓のほうは、ちゃんと残っているのかな。
◆参考*1:HP「高橋お伝 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E3%81%8A%E4%BC%9D
◇*2HP「ギロチン – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AD%E3%83%81%E3%83%B3
◇*3CD「江戸大百科17江戸の盗人『締込み』」三遊亭圓窓、KICH3117、キングレコード

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