三十三間堂が完成した日。ところで、このお寺は誰が作らせたの?
●●●●●★歴史★●
問題:1165年の今日、1月30日。京都市東山区に三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)が竣工したそうです。弓道の「通し矢(とおしや)」でも知られます。南北に長くのびた本堂は国宝に指定されているとのこと。
●いまでも京都の観光コースのひとつになっています。出来立てホヤホヤのころは、五重塔も備えたフルセットのお寺さんだったらしい。でも、鎌倉時代初期に火事で焼け落ちています。一部のみ再建されるというよくある形で、少しく元の姿を失っているようです。
●では、三十三間堂に関する雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
□ [い]平清盛(たいらのきよもり)が資材を提供し、祟徳院が建てさせた
□ [ろ]三十三間、つまり1.8m×33で、約60mもある長い建物である
□ [は]落語の「素人浄瑠璃」に登場する演目、「三十三間堂棟木の由来(むなぎのゆらい)」は、京都の三十三間堂に関わったお話である
□ [に]監督時代の長嶋茂雄氏は、背番号にちなみ、よく三十三間堂を訪れていた
□ [ほ]頭痛山平癒寺(ずつうさんへいゆじ)という俗称がある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[は]と[ほ]が正しい
説明:●[い]平清盛(たいらのきよもり)が資材を提供し、祟徳院が建てさせた(×)
正しくは「…後白河上皇が…」だそうです。後白河上皇は、系図上では祟徳院の弟です。崇徳は第75代の天皇、後白河は第77代の天皇だったらしい。
○二人の父親は、系図上では第74代の鳥羽天皇ということになっています。でも、根強い噂として、崇徳天皇に関しては、第72代の白河天皇と待賢門院の間にできた子であるという説があります。白河は孫の鳥羽に、愛人と子供の両方を与えたことになるのかな。このあたりの関係は、とてもごちゃごちゃしています。野次馬には、人間的で面白いし興味深い。でも、「我が天皇家は万世一系」なんて口走っている人たちには、お気に召さない話かな。
○ちなみに、祟徳院は、落語の「祟徳院」に出てくる歌の詠み人です。「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすえに あはんとぞおもふ」。百人一首にも取り上げられています。大店の坊ちゃん嬢ちゃんが、ともに一目惚れし、それぞれに恋患い(こいわずらい)にかかるというのどかで落語らしいお話です。
●[ろ]三十三間、つまり1.8m×33で、約60mもある長い建物である(×)
三十三間の「間」は、長さの単位ではなく、建築物の柱の間を意味しているそうです。で、柱と柱の間は12尺、つまり2間(約3.6m)あるらしい。で、3.6×33で約120mもある長い建物である…が正解のようです。Googleの航空写真で見ても、たしかに60mよりはだいぶ長いようです。
●[は]落語の「素人浄瑠璃」に登場する演目、「三十三間堂棟木の由来(むなぎのゆらい)」は、京都の三十三間堂に関わったお話である(○)
落語の「素人浄瑠璃」は「寝床」とも呼ばれます。貸家をもっている旦那が、恐ろしく下手くそな浄瑠璃を聴かせて借家人や店の奉公人に迷惑をかけるというお話ですね。
○いろいろな演者がやっていますが、3代目桂南光は「素人浄瑠璃」という演題でCDを吹き込んでいます。その中で、聴衆がいちばん恐れているものとして、「三十三間堂棟木の由来」という演目をあげています。三十三間堂に使われている柳の巨木をテーマにした伝説が人形浄瑠璃に取り上げられたものらしい。はた迷惑な旦那は、この中の木遣りの部分で飛び抜けた奇声を発するそうです。その奇声をまともに受けた借家人の卵屋さんは失神します。あちこちで診て貰ったけれど回復せず、数日後に息を引き取ります。病院で解剖してもらったら、胸のところから浄瑠璃の塊が出てきたというのですが。圓生や志ん生、文楽、可楽、枝雀等々大御所たちの「寝床」もいいけれど、桂南光の「素人浄瑠璃」は素町人としてはいちばん好きです。
●[に]監督時代の長嶋茂雄氏は、背番号にちなみ、よく三十三間堂を訪れていた(△)
恐らくそんなことはないとは思います。ネットで検索してもそんな話は出てきません。でも完全に否定はできないので、ねんのため三角にしておきました。ははは。
●[ほ]頭痛山平癒寺(ずつうさんへいゆじ)という俗称がある(○)
三十三間堂を造らせた後白河は頭痛に悩まされていたそうです。彼の前世は坊さんだったらしい。その髑髏が岩田川(現富田川)という川底に沈み、やがて柳の木が目穴から生えたそうです。風が吹くと髑髏が揺れて後白河の頭が痛むらしい。で、髑髏を探し出し、供養し、柳の木を三十三間堂に使ったところ、頭痛は快癒したそうです。
○この伝承から頭痛封じの寺として認められているらしい。このお話は、「棟木の由来」と似た点がありますが、別の伝説らしい。これらのお話が発展して「棟木の由来」になったのかもしれません。いずれにせよ柳の木がお話の契機になっています。
○現在の頭痛薬の代表選手、アセチルサリチル酸(いわゆるアスピリン)の元となった古典的頭痛薬サリチル酸は、かつては植物の柳から抽出していたことがあったらしい。ちょっとは縁があるようですね。
◆参考:HP「三十三間堂 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E9%96%93%E5%A0%82
◇HP「崇徳天皇 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇HP「後白河天皇 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇HP「アスピリン – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%81%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%AB%E9%85%B8
◇CD「桂南光ライブ 『素人浄瑠璃』」3代目桂南光、TOTZ5143、東芝EMI
ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧
問題:1165年の今日、1月30日。京都市東山区に三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)が竣工したそうです。弓道の「通し矢(とおしや)」でも知られます。南北に長くのびた本堂は国宝に指定されているとのこと。
●いまでも京都の観光コースのひとつになっています。出来立てホヤホヤのころは、五重塔も備えたフルセットのお寺さんだったらしい。でも、鎌倉時代初期に火事で焼け落ちています。一部のみ再建されるというよくある形で、少しく元の姿を失っているようです。
●では、三十三間堂に関する雑学クイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
□ [い]平清盛(たいらのきよもり)が資材を提供し、祟徳院が建てさせた
□ [ろ]三十三間、つまり1.8m×33で、約60mもある長い建物である
□ [は]落語の「素人浄瑠璃」に登場する演目、「三十三間堂棟木の由来(むなぎのゆらい)」は、京都の三十三間堂に関わったお話である
□ [に]監督時代の長嶋茂雄氏は、背番号にちなみ、よく三十三間堂を訪れていた
□ [ほ]頭痛山平癒寺(ずつうさんへいゆじ)という俗称がある
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)
●●●●●★歴史★●
正解:[は]と[ほ]が正しい
説明:●[い]平清盛(たいらのきよもり)が資材を提供し、祟徳院が建てさせた(×)
正しくは「…後白河上皇が…」だそうです。後白河上皇は、系図上では祟徳院の弟です。崇徳は第75代の天皇、後白河は第77代の天皇だったらしい。
○二人の父親は、系図上では第74代の鳥羽天皇ということになっています。でも、根強い噂として、崇徳天皇に関しては、第72代の白河天皇と待賢門院の間にできた子であるという説があります。白河は孫の鳥羽に、愛人と子供の両方を与えたことになるのかな。このあたりの関係は、とてもごちゃごちゃしています。野次馬には、人間的で面白いし興味深い。でも、「我が天皇家は万世一系」なんて口走っている人たちには、お気に召さない話かな。
○ちなみに、祟徳院は、落語の「祟徳院」に出てくる歌の詠み人です。「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすえに あはんとぞおもふ」。百人一首にも取り上げられています。大店の坊ちゃん嬢ちゃんが、ともに一目惚れし、それぞれに恋患い(こいわずらい)にかかるというのどかで落語らしいお話です。
●[ろ]三十三間、つまり1.8m×33で、約60mもある長い建物である(×)
三十三間の「間」は、長さの単位ではなく、建築物の柱の間を意味しているそうです。で、柱と柱の間は12尺、つまり2間(約3.6m)あるらしい。で、3.6×33で約120mもある長い建物である…が正解のようです。Googleの航空写真で見ても、たしかに60mよりはだいぶ長いようです。
●[は]落語の「素人浄瑠璃」に登場する演目、「三十三間堂棟木の由来(むなぎのゆらい)」は、京都の三十三間堂に関わったお話である(○)
落語の「素人浄瑠璃」は「寝床」とも呼ばれます。貸家をもっている旦那が、恐ろしく下手くそな浄瑠璃を聴かせて借家人や店の奉公人に迷惑をかけるというお話ですね。
○いろいろな演者がやっていますが、3代目桂南光は「素人浄瑠璃」という演題でCDを吹き込んでいます。その中で、聴衆がいちばん恐れているものとして、「三十三間堂棟木の由来」という演目をあげています。三十三間堂に使われている柳の巨木をテーマにした伝説が人形浄瑠璃に取り上げられたものらしい。はた迷惑な旦那は、この中の木遣りの部分で飛び抜けた奇声を発するそうです。その奇声をまともに受けた借家人の卵屋さんは失神します。あちこちで診て貰ったけれど回復せず、数日後に息を引き取ります。病院で解剖してもらったら、胸のところから浄瑠璃の塊が出てきたというのですが。圓生や志ん生、文楽、可楽、枝雀等々大御所たちの「寝床」もいいけれど、桂南光の「素人浄瑠璃」は素町人としてはいちばん好きです。
●[に]監督時代の長嶋茂雄氏は、背番号にちなみ、よく三十三間堂を訪れていた(△)
恐らくそんなことはないとは思います。ネットで検索してもそんな話は出てきません。でも完全に否定はできないので、ねんのため三角にしておきました。ははは。
●[ほ]頭痛山平癒寺(ずつうさんへいゆじ)という俗称がある(○)
三十三間堂を造らせた後白河は頭痛に悩まされていたそうです。彼の前世は坊さんだったらしい。その髑髏が岩田川(現富田川)という川底に沈み、やがて柳の木が目穴から生えたそうです。風が吹くと髑髏が揺れて後白河の頭が痛むらしい。で、髑髏を探し出し、供養し、柳の木を三十三間堂に使ったところ、頭痛は快癒したそうです。
○この伝承から頭痛封じの寺として認められているらしい。このお話は、「棟木の由来」と似た点がありますが、別の伝説らしい。これらのお話が発展して「棟木の由来」になったのかもしれません。いずれにせよ柳の木がお話の契機になっています。
○現在の頭痛薬の代表選手、アセチルサリチル酸(いわゆるアスピリン)の元となった古典的頭痛薬サリチル酸は、かつては植物の柳から抽出していたことがあったらしい。ちょっとは縁があるようですね。
◆参考:HP「三十三間堂 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E9%96%93%E5%A0%82
◇HP「崇徳天皇 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇HP「後白河天皇 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
◇HP「アスピリン – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%81%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%AB%E9%85%B8
◇CD「桂南光ライブ 『素人浄瑠璃』」3代目桂南光、TOTZ5143、東芝EMI
ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧
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