名刀のお話。初代正宗と初代村正は師弟関係にあったの?

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問題:日本の名刀とそれを作った職人のお話です。正宗(まさむね)という刀鍛冶がいます。刀工ですね。名人と言われた人です。日本酒にも名前を残しています。近頃甘口の酒が多いと嘆く貴兄への格別な贈り物です。嘘です。
●正宗の弟子といわれる村正(むらまさ)という人がいます。こちらも名人と称えられた人です。この職人さんは、刀の切れ味に異常に執着した人だそうです。
●あまりにこだわるので師匠が心配します。説教してやろうと、自分がこしらえた刀と村正の刀を川に突き立てます。刃先を川上に向けます。そこに木の葉が流れて来ます。さぁ、どうなったでしょうか?
[い]木の葉は師匠の正宗の刀で切れて、村正では切れなかった
[ろ]木の葉はすべて正宗に吸いよせられた
[は]木の葉は師匠の正宗の刀では切れず、村正では切れた
[に]木の葉はすべて村正に吸いよせられた
[ほ]ヴェルヌーイの定理により、2本の刀には互いに引く力が生まれ、2本とも中間点に倒れ込んだ
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)

























★歴史★
正解:[は]木の葉は師匠の正宗の刀では切れず、村正では切れた
説明:この実験を見せた正宗は、村正に対して「切らなくていいものをも切る。これではいけない。お前の刀には邪(よこしま)な心がこもっている」とか諭したといいます。村正は、「何を言ってるんだろう。切れ味こそ刀の値打ちを決めるもの。切れなければ意味がない」と心で笑います。
●刀造りに対する基本的なスタンスにギャップを感じた村正は、師匠の元を去り、さらに切れ味を追究して刀をつくっていったそうです。
●歌舞伎にも登場する籠釣瓶(かごつるべ)という妖刀も、村正の作によるものだとか。物語では、吉原の客佐野次郎左衛門(さのじろうざえもん)が花魁八ツ橋(おいらん・やつはし)に振られて頭に血が上り、凶行におよぶわけです。切らないでもいい人を切ってしまうんですね。
●村正の切れ味はもの凄かったと言われます。たとえば徳川家康の祖父にあたる松平清康(まつだらいきよやす)が家臣の阿部弥七郎(あべやしちろう)の村正によって斬られたときには、右の肩口から左の脇腹まで達したといわれています。背骨も切断したのでしょうか。間違いなく即死ですね。
●なお、正宗と村正に師弟関係があったという話はちょっと怪しいところがあります。名人と呼ばれた正宗は鎌倉時代末期14世紀前半の人だそうです。正宗を勝手に名乗る人は、他にも複数いたらしく、正宗ブランドが当時から高級刀剣の代名詞だったことを示しているようです。
●初代村正は室町中期文亀元年(1501)頃には確かに存在したらしい。本家正宗とは100年以上の差があり、師弟関係があったとは考えにくい。やっぱり伝説なんですかね。
◆参考*1:HP「刀剣徳川」http://www.sanmei.com/shop_j/enter.html?target=p_272.html&lang=ja
◇*2「オンラインゲーム& PCゲーム 情報サイト 4Gamer.net」http://www.4gamer.net/news.php?url=/weekly/sandm/007/sandm_007.shtml
◇HP「【日本刀画像】刀 井上真改/提供 倉敷刀剣美術館」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://www.touken-sato.com/web-gallery/inouecinnkai.htm

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