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help RSS 伏見城落城の日。誰の裏切りで「血天井」ができたのか?

<<   作成日時 : 2007/08/01 06:45   >>

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問題:●慶長5(1600)年の今日、8月1日は伏見城が落城した日だそうです。その45日後、9月15日が関ヶ原の戦いです。天下分け目の前哨戦という位置づけの戦いだったようです。
●伏見城を守っていたのは、徳川方の鳥居元忠(とりいもとただ)など譜代の武将です。兵力わずか1800ほど。家康の軍勢は、江戸から会津攻略に向かおうとしていました。いわば畿内の留守番役を仰せつかったようです。
●寄せ手の軍勢は、毛利秀元(もうりひでもと)、吉川広家(きっかわひろいえ)、小西行長(こにしゆきなが)、島津義弘(しまずよしひろ)、長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)、長束正家(ながつかまさいえ)、鍋島勝茂(なべしまかつしげ)など4万の大軍です。
●7月18日に最後通牒が出され、戦いが始まったようです。数日で陥落かと思われました。でも元忠以下の奮戦で10日以上持ちこたえました。最後に内通者が出て徳川軍は敗れます。
●そのころ、会津の上杉退治に向かっていた家康の大軍は、石田三成を中心とした西軍の動きを察知して踵(きびす)を返します。45日後に関ヶ原で西軍と対峙するわけですね。
●鳥居元忠はもとより忠義で知られた人物とのこと。伏見城での功績に対し報いるべく、徳川幕府はその子孫に24万石の領地を与えたそうです。
●では伏見城攻防戦に関するクイズです。次のうちで正しい記述はどれでしょうか?
[い]伏見城は秀吉が最期を迎えた城である
[ろ]西軍の総大将は関ヶ原で寝返る小早川秀秋である
[は]城内の者に内通させる案を考え出したのは毛利秀元である
[に]徳川軍のうちにあって敵と内通したのは伊賀衆である
[ほ]伏見城はその後廃城となり、天守をはじめ一部の建物は二条城に移された
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[い]と[ほ]が正しい
説明:●[い]伏見城は秀吉が最期を迎えた城である(○)
慶長3(1598)年8月18日に秀吉は伏見城で息を引き取ったそうです。遺言で秀頼は大坂城にうつり、家康が伏見城に入って政務をとったとのこと。
●[ろ]西軍の総大将は関ヶ原で寝返る小早川秀秋である(×)
正しくは「総大将は宇喜多秀家(うきたひでいえ)」だそうです。小早川秀秋(こばやかわひであき)氏は副将だったとのこと。宇喜田秀家氏は関ヶ原の戦いで1万7000の軍勢を率いて真面目に戦いました。でも小早川秀秋の寝返りにあい、壊滅したそうです。宇喜田秀家は鹿児島におちのび、しばらくは島津義弘に匿われていたそうです。
●[は]城内の者に内通させる案を考え出したのは毛利秀元である(×)
正しくは、「島津義弘(しまずよしひろ)」だそうです。彼は名将として知られるとのこと。
●[に]徳川軍のうちにあって敵と内通したのは伊賀衆である(×)
正しくは、「甲賀衆」だそうです。伏見城内に立てこもる者の妻子を見つけ出し、すべて磔にして殺すと脅したそうです。びっくりした甲賀衆は城に火を放ったとのこと。
●[ほ]伏見城はその後廃城となり、天守をはじめ一部の建物は二条城に移された (○)
伏見城の守備方の最期は悲惨だったそうです。386名が自決したと伝えられます。伏見城はその後、慶長6(1601)年から再建されましたが、三代将軍家光の時代に廃城とされます。
●昔は建物そのものや建材をリサイクルしていたようですね。伏見城は分解されて一部は二条城に、その他京都などのお寺にすこしずつまわされました。伏見城落城の際の血の跡のついた板も京都の宝泉院(ほうせんいん)などのお寺に分け与えられたとのこと。天井板に使われて血天井(ちてんじょう)と呼ばれているそうです。今でも血だまりの跡はもちろん、手形や引っ掻き跡なども残っているそうです。
◆参考*1:HP「伏見城の戦い – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
◇*2HP「京の怨霊-8.血天井」
http://www.j-sl.com/chn/ippuku/kyo03/kyo03_main08.html
◇HP「ぶら旅/京都編/鷹ヶ峯その弐」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://homepage2.nifty.com/TOMZONE-S/stwr_folda/OBtabi_folda/Btabi_42.html

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家康の忠臣鳥居元忠と子孫の物語。伏見城に散った猛将は意外に女に手が早かった?
●●●●●★歴史★● 問題:西暦1636年の今日、8月7日。旧暦では寛永13年7月7日。出羽国山形藩24万石の当主鳥居忠恒(とりいただつね)が亡くなりました。寛永5(1628)年に初代藩主鳥居忠政(ただまさ)が亡くなり、その跡を襲った2代目です。 ■享年は33らしい。忠恒は生来の病弱で、幕府の仕事もほとんど勤められず、後継ぎのないままに亡くなりました。普通なら所領没収です。でも、忠恒の祖父は家康の忠臣として名高い鳥居元忠(もとただ)です。ジッチャンの功績に鑑(かんが)み、異母弟にあたる... ...続きを見る
町人思案橋・クイズ集
2008/08/07 06:48

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