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zoom RSS 菅原道真も受験した最高の国家試験、方略試の合格者は何年に1人?

<<   作成日時 : 2007/06/06 06:42   >>

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問題:●平安時代には唐の制度を真似た官僚採用試験が日本でも行なわれたそうです。とくに献策(けんさく)、文章得業生試(もんじょうとくごうしょうし)、方略試(ほうりゃくし)などとも呼ばれた試験は、最高の国家試験だったそうです。
●では菅原道真が難関を突破した方略試と呼ばれる試験には、220年ほどのうちに何人が合格したでしょうか?
[い]7人
[ろ]約70人
[は]約170人
[に]約700人
[ほ]約1700人
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[ろ]約70人
説明:●参考資料*1によれば65人、3年に1人しか合格者がいなかったらしい。とんでもない難関ですね。
●菅原道真は、承和12年6月25日(845年8月1日)に生まれ、延喜3年2月25日(903年3月31日に亡くなっています。ご存じ、学問の神様ですね。お父さんも文章博士(もんじょうはかせ)という大学の教官だったそうです。若いうちから英才ぶりが知られた道真君は、中央官吏養成機関である大学に18歳で入学します。妙経(みょうきょう)、妙法(みょうほう)、紀伝(きでん)、算(さん)の4つの学部があったそうです。道真はこのうち紀伝道に入学したらしい。なお、18歳での入学は、若さでは当時のタイ記録だったそうです。
●ちなみに紀伝道とは中国の史書・詩文を学ぶ学科だそうです。4学科のうちではいちばん重んじられたとのこと。いまでいえば英文科と西洋史科のまざったようなものでしょうか。
●大学では文章博士が定員2人に対して、文章生(もんじょうしょう)が20人という少数精鋭教育だったようです。ちなみに、奈良時代までは紀伝道は文章道(もんじょうどう)と呼ばれていたとのこと。その名残りが先生と生徒の呼び方に表れているのでしょうか。
●20人の文章生のうち、ふたりだけが文章得業生として選ばれ、その後7年の間に宣旨(せんじ、天皇の意向の下達)によって方略試と呼ばれる試験を受けます。この試験に受かった者が、慶雲年間(704〜708年)から承平年間(931〜937年)の220年余りで65人しかいないというわけです。
●ちなみに道真が文章得業生に選ばれたのが23歳のとき。方略試に合格したのが26歳のときだそうです。彼に与えられた課題は「氏族を明らかにす」と「地震を弁ず」とのこと。これについて論文を書いて提出するらしい。
●彼の英才ぶりは試験でも明らかになり、詔勅(しょうちょく、天皇が発行する文書)、政府高官の願文(がんもん、法会・仏事のときに施主の願いを示す文)、上奏文(天皇に意見や事情などを申し上げる文書)の代筆をしたりしたそうです。
●33歳で文章博士になった彼は、ご存じのとおり政府の高官として政治の中央舞台に躍り出ます。でも藤原時平(ときひら/しへい)との争いにやぶれ、太宰府に流されてしまったのはお気の毒でした。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 古代・中世」新書初版80〜81頁、笠原一男/児玉幸多編、山川出版社
◇HP「太宰府天満宮:菅原道真公」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/shiru/kankou.htm

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