最後のポルトガル船はどんな密命を帯びて来航したの?

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問題:●貞享2年(1685)6月2日。つまり322年前の明日ですね。長崎に「伊勢国度会郡(わたらいぐん)神社村之者十二人」という幟(のぼり)を立てたポルトガル船が来航したそうです。寛永10(1633)年に第一次鎖国令が出されてから半世紀あまりたったころでした。
●長崎奉行はあわてましたが、話をきくと、日本人の漂着民を送還しに来たとのこと。これは有り難いことですから、漂着民を受け入れ、食料と薪・水を渡して送り返しました。
●このとき、船長のマノエルという人物には密命が与えられていた聞きます。その密命とはいったいなんだったのでしょうか?
[い]日本でしか生産されない甲斐絹の織物を入手して帰ること
[ろ]オランダ商館長を突き止め、本国で妻子を脅迫して出島から退かせること
[は]長崎の出島を測量し、攻撃の際に役立てること
[に]博愛の行動を見せて幕府の態度を軟化させ、貿易再開を依頼すること
[ほ]日本に潜伏していたイエズス会の宣教師を救い出すこと
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解: [に]博愛の行動を見せて幕府の態度を軟化させ、貿易再開を依頼すること
説明:●そんな密命を帯びていながら、ポルトガル人船長マノエルたちは、長崎奉行に対して、貿易再開や布教は意図していないこと、漂流民にはキリスト教を教えていないことを力説したそうです。どうも幕府側の態度はたいへん頑なでガードが堅かったようです。下手をすると漂流民すら受け入れない様子があったのでしょうか。
●マカオは対日貿易を禁じられて以来、経済的に低迷していたそうです。日本は寛永16(1639)年の第5次鎖国令でポルトガル船の入港を禁止しています。寛永17(1640)年には、通商再開を願って来航したポルトガル船の使者・乗員74人のうち、61名を処刑しています。
●かなり野蛮なように見えます。でもけっして理由なく処刑したわけではありません。その2年前に島原の乱がありました。関ヶ原以来最大の軍事動員をかけて鎮圧しています。しかも天草四郎たちは、カトリックの援軍を頼りにしていたと言われています。カトリック国ポルトガルは、災いの種を蒔くだけという判断があっても不思議はありません。正保4(1647)年に来日したポルトガル国王の特使も、空振りだったようです。
●対日貿易が途絶えて苦しんでいるマカオに、貞享2(1685)年に日本人が漂着します。漁民でしょうか。この出来事を天の配剤と喜んだのはマカオ市会だそうです。漂流民を手厚くもてなし、資金を集めて船を仕立て、日本に送り返し、幕府の好意を得て通商の再開を依頼しようと考えたそうです。
●でも結果は×でした。帰国した船長の報告を聞いたマカオ市会はがっかりし、日本への来航を諦めたそうです。100年後の寛政7(1795)年にマカオに漂着した日本人がいたそうですが、ただ冷たい視線を浴びただけだったとか。何にでも運はありますね。
◆参考*1:書籍「日本史こぼれ話 近世・近代」新書初版20~21頁、笠原一男/児玉幸多編、山川出版社
◇HP「アクアネットショップ:改装中 - gooショッピング」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://shop.goo.ne.jp/store/siteon/gds/00642/

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