日本は世界一の鉄砲大国だった?

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問題:●天文12(1543)年、ポルトガル人により火縄銃が伝来した。そのように習った覚えがあります。最近では、倭寇によりその以前から鉄砲はときどき日本にやって来ていたのではないかという説もあるようです。いずれにせよ、16世紀前半あたりでやってきたのは間違いないようです。
●種子島時尭(たねがしまときたか)という殿様に気に入られた鉄砲は、2挺で2000両という金額で購入されたと言われます。江戸時代のある時期は1両10万円と聞きます。このころはもっとレートが高そうですね。貯金をはたいた時尭は、元をとるべく、鍛冶師の八板金兵衛、家来の笹川小四郎という者に試作を命じます。一種のリバース・エンジニアリングでしょうか。
●ではここで問題です。天文12(1543)年に1挺1000両で売買された鉄砲は、その70年後にはだいたい何両ぐらいで売買されていたでしょうか?
[い]2両
[ろ]8両
[は]64両
[に]128両
[ほ]256両
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[い]2両
説明:●わずかに2両です。いまなら20万円前後でしょうか。そういえば火縄銃の骨董品の安物は20万円前後が相場と聞いたことがあります。
●話を戻します。種子島の鍛冶師の八板金兵衛、家来の笹川小四郎の2人は1年もしないうちに10挺の試作品を殿様に見せたとのこと。話を伝え聞いた堺の商人などがやってきて鉄砲を購入して帰ります。足利将軍にも献上したらしい。製鉄技術、金属加工技術が高かった当時の日本では、たちまち大量生産体制ができあがったらしい。天文18(1549)年には織田信長が500挺の火縄銃を注文したという記録があるそうです。伝来からわずかに13年後の弘治2年(1556)には全国に30万挺ほどの銃があったといわれます。
●織田信長が武田騎馬軍団を壊滅させた長篠の戦いにおける鉄砲3000挺は、白髪三千丈などと同様、誇張ではないか。実際には1000挺とかじゃないか。昔、そんなふうに疑ったことがあります。全国に数十万挺もあるなら、3000挺の鉄砲隊は十分に考えられますね。
●価格もどんどん下がり、17世紀初頭にはわずか2両で購入できるまでに普及したとのこと。さらに火縄銃の輸出も行なわれたようです。オスマン・トルコなどが得意先だったらしい。
●天正17(1589)年にイギリスがフランスに送り込んだ軍隊には1100挺の鉄砲が装備されたそうです。その一年前、長崎の龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が島原の有馬晴信(ありまはるのぶ)と戦ったときには9000人の鉄砲隊を擁していたとのこと。このころ、日本は世界一の鉄砲大国だったようです。
◆参考*1:書籍「歴史毒本 英雄の素顔、大事件の裏側」初版206~208頁、山本茂著、光文社
◇HP「鉄砲伝来 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%A0%B2%E4%BC%9D%E6%9D%A5
◇HP「資料館展示物」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/joho/info/sightseeing/historical/display.htm

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  • 鉄砲を撃つための火薬はどのようにして得た?

    Excerpt: ●●●●★●● 問題:●16世紀後半の日本は世界一の鉄砲大国だったそうです。オスマン・トルコに輸出していたという話もあります。鉄砲を発射するのに必要な黒色火薬は、硝酸カリウム(硝石)が60~70%.. Weblog: 町人思案橋・クイズ集 racked: 2007-05-29 06:46