越前の豪傑、真柄十郎左衛門を仕留めた刀は三島由紀夫の首も刎ねた?

画像

問題:姉川の合戦をご存じでしょうか? 元亀元年(1570)6月30日、浅井長政(あざいながまさ)・朝倉義景(あさくらよしかげ)の同盟軍と織田信長・徳川家康の連合軍が、滋賀県東北部の姉川(現在の長浜市近辺)を舞台に戦ったそうです。
●戦いに先立つこと3年の永禄10(1567)年。織田信長は当代一の美貌と言われた妹、お市の方を浅井長政に嫁がせます。琵琶湖東岸の近江を同盟国につけ、安心して越前の朝倉攻めに赴くためらしい。御輿(みこし)をあげて北陸路に向かいます。ところが、朝倉とは長いよしみのある浅井家は、信長を背後から攻め、信長は単身京都に逃れるという奇策でなんとか難を免れたらしい。残された軍勢は秀吉(木下藤吉郎)などの活躍で大崩れせずに退却できたそうです。
●この仕打ちに怒った信長は、同盟を結ぶ徳川家康とともに浅井長政を倒すべく出陣し、浅井朝倉同盟軍と対峙します。最初は織田徳川軍が苦戦します。やがて援軍の到来などで戦況が変わり、浅井朝倉同盟軍は敗走したと言われます。
●この戦いで朝倉方の豪傑真柄十郎左衛門直隆(まがらじゅうろうざえもんなおたか)が徳川方の青木所右衛門一重(あおきしょうえもんかずしげ)に切り倒されたと伝えられます。このときの青木氏の刀は関の孫六(せきのまごろく)という業物(わざもの、名刀)だったとか。
●ところで、真柄氏は、どんな人物だったと伝えられているでしょうか?
[い]福井県でNo.1の豪の者
[ろ]身長が6尺4寸8分(約196cm)、体重が67貫(約252kg)あった
[は] 60貫(約225kg)の甲冑を身につけ、5尺3寸(約160cm)の大太刀を振り回した
[に]馬に乗ると馬が潰れるので、馬に武器だけを運ばせた
[ほ]1日に2升の白飯を食べた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[い]と[ろ]、[は]が正しい
説明:●[い]福井県でNo.1の豪の者(○)
●[ろ]身長が6尺4寸8分(約196cm)、体重が67貫(約252kg)あった(○)
●[は] 60貫(約225kg)の甲冑を身につけ、5尺3寸(約160cm)の大太刀を振り回した(○)
参考資料*1によれば、そういうことらしい。体格で言えば、相撲取りみたいな人です。戦国時代のKONISHIKIかな。腕力も強い人だったらしく、仁王像を片手であしらったという伝説があります。ただし、像がどのぐらいの大きさ、重さかはわかりませんけど。
●[に]馬に乗ると馬が潰れるので、馬に武器だけを運ばせた(×)
●[ほ]1日に2升の白飯を食べた(×)
[に]と[ほ]は現代からの勝手な推測です。体重も甲冑も200kgを超えるとなると、馬はとても耐えられません。かといって歩くのはたいへんでしょう。越前から北近江までどのように移動したのか。不思議です。250kgの体重で長く歩けば、膝の関節を痛めるでしょう。合戦の場ではまともに動けなかった可能性もありますよね。
●真柄十郎左衛門を斬ったとされる青木氏は、ごくふつうの豪傑です。関の孫六という名刀を持っていただけです。二尺三寸三分(約70cm)といいますから、野球のバットよりちょっと短いぐらいの刀です。
●伝説では青木氏が真柄氏をひとりで倒したとなっています。でも、実際には数人で取り囲んでやっつけたんじゃないかという話もあります。いずれにしろ、関の孫六がへなちょこな刀では、とても戦えなかったでしょう。自衛隊に突入した三島由紀夫氏が自決した際、介錯で首を刎ねたのも関の孫六という噂があります。
●姉川の合戦は落語の「浮世床」にも登場するお話です。徳川家に有利なように脚色され、江戸時代もずっと語り継がれたようですね。
◆参考*1:書籍「日本刀名工伝」初版133~135頁、福永酔剣著、雄山閣
◇CD「NHK落語名人選 57『唐茄子屋政談/浮世床』三代目三遊亭金馬、POCN-1097、ポリドール
◇HP「浅井長政軍」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://www.town.kohoku.shiga.jp/azaigun.htm

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

唐茄子屋政談
NHK落語名人選(57) 三代目 三遊亭金馬 唐茄子屋政談・浮世床

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック