「浅草海苔」の由来は?

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問題:昔の江戸名産品のひとつに浅草海苔があります。でもいまの浅草には海がありません。なぜ浅草海苔という名前になったのでしょうか?
[い]大森や品川の海で手広く海苔を作っていた商店の名前が浅草屋だった
[ろ]元は浅草あたりも海で、海苔がよくとれた
[は]江戸幕府が浅草に海苔を扱う者の座を設けたから
[に]海苔は大森や品川の海でとれたが、浅草に味を付けて形を整え、箱詰めする工場があった
[ほ]江戸前の海で採れた海苔を浅草寺に奉納する儀式がよく知られていたから
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[ろ]元は浅草あたりも海で、海苔がよくとれた
説明:●「日本製品図説」という本があるそうです。日本国内務省によって明治10(1877)年6月に刊行された本とのこと。オーストラリア博覧会にて、我が日本国の物産品を海外に紹介するために制作されたようです*1。
●この中に、次のように書かれているらしい。「現在は品川から大森の海岸で採れているが、昔の浅草の地は元亀、天正年間のころまでは近辺の漁夫も農夫もみな海岸で海苔をとり、それを干し広げて売っていたので『浅草海苔』と言われたのである」。
●元亀・天正年間は1570年から1592年頃までです。永禄3(1560)年に桶狭間の戦いで勝利してから信長は天下布武(ふぶ)の道を急ぎます。ご存じのとおり、天正10(1582)年に本能寺で無念の死を遂げますが、そのあとは秀吉が受け継いで天下の統一を成し遂げます。そのころ、浅草では海苔が採れたらしい。
●浅草という地名もいかにも海や海藻と関係があるように見えます。遠浅で海藻がたくさん生えていたのかもしれません。これは素人の勝手な憶測ですが。
●徳川家康が江戸に来て、慶長年間(1596年~1615年ごろ)からは、次第に町が発展するとともに、河川や海岸がどんどん埋め立てられたため、浅草では海苔は採れなくなったそうです。
●品川や大森で海苔の養殖をするようになったのは貞享・元禄年間(1684年~1704年頃)だそうです。そもそもは牡蠣の養殖をしていたらしい。牡蠣用の垣に海苔がいっぱいつくので、ひょっとしたらと海苔の養殖をしてみたら成功したとのこと。
◆参考*1:HP「日本製品図説」
http://www.kaneda.or.jp/zusetu.html
◇*2書籍「江戸逸話事典」初版227~228頁、逸話研究会編、新人物往来社
◇HP「雷門 - フォトアルバム・写真+動画共有のlivedoor PICS」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://pics.livedoor.com/u/asuparagin/2251436

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