徳川家光が弟を殺した理由は?

画像

問題:●第二代将軍徳川秀忠のカミサンはこれ以上ないぐらいの戦国セレブです。江戸城内では「於江与(おえよ)の方さま」と呼ばれていたそうです。そもそもは戦国大名浅井長政とお市の方の娘です。お市の方はあの信長の妹です。於江与の方の実の姉には淀君がいます。秀吉の側室で秀頼を生んで権勢を得たあの淀君ですね。於江与の方自身も徳川家康の跡継ぎの嫁で三代将軍家光の母です。
●於江与の方は多産系の人だったそうです。たくさんの子供を産みます。そのうち、男子ふたりが竹千代と国松です。他にも早世した男児がいたそうです。
●竹千代はのちの三代将軍家光、弟の国松が忠長(ただなが)です。忠長は家光により自害させられたそうです。自害の理由は彼の生い立ちと人となりにあったようです。では、忠長氏についてのクイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]病弱でおっとりした兄に比べて容姿端麗で頭の回転がはやく、武術の上達もはやい国松は、幼い頃から於江与の方に溺愛された
[ろ]周囲の大名たちも国松が世継ぎかと勘違いしてもてはやした。秋月局が秀忠にはっきりさせるよう依頼してようやく竹千代が世継ぎであることを周囲が認知する
[は]忠長は淫奔な振る舞いが多くなって、大名たちも敬遠するようになった
[に]人間を含めた動物虐待が多かった
[ほ]自害したときには、型どおりの切腹ではなく、首を切って自害していた
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[い]と[に]、[ほ]が正しい
説明:●[い]病弱でおっとりした兄に比べて容姿端麗で頭の回転がはやく、武術の上達もはやい国松は、幼い頃から於江与の方に溺愛された(○)
三代将軍家光は、徳川長期政権を完成させた統治者として評価されています。でも子供のころはとくに目立つ子供ではなかったとのこと。とくに母親は国松を偏愛したようです。
●[ろ]周囲の大名たちも国松が世継ぎかと勘違いしてもてはやした。秋月局が秀忠にはっきりさせるよう依頼してようやく竹千代が世継ぎであることを周囲が認知する(×)
正しくは「春日局が家康にはっきりさせるよう…」です。春日局(かすがのつぼね)は竹千代の乳母だった人らしい。庇護者として彼の権利を守るために奔走します。伊勢神宮参拝を口実に途中で駿府に赴き、存命だった家康に面会します。竹千代が世継ぎであるという意思表示を依頼したようです。慶長16(1611)年、家康は江戸城に現われます。7歳の竹千代と5歳の国松が陪席しようとします。家康は不興な表情で国松には退席するように命じます。「竹千代は徳川家を継ぐ身。国松は竹千代に仕える身分」ということを天下に示したそうです。
●[は]忠長は淫奔な振る舞いが多くなって、大名たちも敬遠するようになった(×)
正しくは「奇矯な振る舞いが多くなり…」だそうです。色の道に走っていれば、蟄居ぐらいで済んだかもしれません。でも家来の首をいきなり刎ねたり、町に出て町人を辻斬りしたりというおかしな行動が増えてきたそうです。
●[に]派手な動物虐待を行なった(○)
駿河の国に浅間神社(せんげんじんじゃ)という神社があり、付近には猿が多くいたらしい。奈良の春日神社の鹿のようなもので、神様のおつかいと考えられていたそうです。ところが、忠長はこの猿たちを殺すと言い出します。周囲がいくら諫めてもきかず、とうとう1240頭余りを捕殺したとのこと。
○猿狩りの帰りは輿(こし)に乗りました。忠長は何を思ったか輿をかついでいる者の尻を脇差しで刺したそうです。びっくりした担ぎ手が逃げ出すと、おつきの者に命じて殺させたそうです。このころにはもう狂っていたのかもしれません。
●[ほ]自害したときには、型どおりの切腹ではなく、首を切って自害していた(○)
高崎城に幽閉された忠長は、自分の首に横から刃を突き立て、グルッと前に回して死んだそうです。わずかに28歳だったとのこと。溺愛されて育った子が何かを勘違いしたまま大人になり、犯罪を犯す例はいくらもあります。忠長もそうした勘違い派の一人なのでしょうか。
◆参考:HP「徳川忠長 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%BF%A0%E9%95%B7
◇*2書籍「覆された日本史」初版147~155頁、中村彰彦著、日本文芸社
◇HP「日本隅々の旅  全国観光名所巡り&グルメ日記: 高崎城  (群馬県高崎市 城跡 紅葉 観光名所)」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://rover.seesaa.net/article/9719277.html

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

覆された日本史―俗説・妄説に埋もれた史実を再検証

この記事へのコメント

sadakun_d
2016年07月29日 19:24
竹千代(家光)は徳川将軍を継ぐ身。国松は竹千代に仕える身分」ということを天下に。家康(祖父)に天下をいわれ‘家光は三日三晩 嬉しくて泣きはらした‘・・・・え、7歳で?

ませたガキだなあ
sadakun_d様<素町人
2016年08月01日 08:20
コメントをありがとうございます。

 人間の欲は、生まれてすぐにあらわれると、川柳では言っています。「片乳を つかむが欲の 初めなり」。
 お母さんの乳首を含んでいるとき、あいているもう片方のおっぱいを「これも私のよ、誰にも渡さないわ」とばかりにつかむ赤ちゃんがいるらしい。家光公もその口だったのかもしれません。
(^^;)

この記事へのトラックバック