大石内蔵助は下男への餞別に何を与えたか?

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問題:●伴蒿蹊(ばんこうけい)の「近世畸人伝(きんせいきじんでん)」に記された逸話です。
●浅野内匠頭の死後、大石内蔵助は幕府の役人に城を明け渡します。赤穂を去って京都に赴くとき、昔から仕えていた下男がたずねてきました。自分は年老いて身体も弱ったのでもう赤穂の町から出ることはできません。これが今生の別れになるでしょう。できれば、形見の品をいただきたい。それを大石様と思って余生を過ごすことができます、と言ったそうです。
●大石内蔵助は、もっともだと思ったのですが、引っ越し先へ荷物を送ってしまい、手元にはほとんど何もありません。硯を入れる箱があったので開けてみると、中に金20片ほどが入っていました。大石は「せめてこれでも」と下男にそれをすべて渡しました。
●ではここで問題です。下男はどうしたでしょうか?
[い]ありがたく全部頂戴した
[ろ]形見だからと半分だけ頂戴した
[は]金が欲しいのではないからと丁重に辞退した
[に]金が欲しいのではないと怒り出した
[ほ]金は要らないから箱をくれと願った
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[に]金が欲しいのではないと怒り出した
説明:●この下男は八介というものだそうです。彼の言い分によれば、「これでは形見になりません。自分は身分は卑しいが心は卑しくない」とのことです。さらに「このたびの殿様のことでは、自分たちのような下賎の者でさえ、たいへん悔しい思いをしている。それなのにあなたはおめおめと城を明け渡して逃げ出すわけだ。あなたの形見などもういりません」。そう言って八介は腰を上げたらしい。
●大石内蔵助は彼を呼び止めます。「私が間違っていた。あまりに何も形見とするものがなかったからだ。いま思いついたものがあるから」といって、そこらにあった紙をひろげ、墨をすって絵を描き始めます。堤の上で編み笠をかぶった侍が従者を連れているという絵でした。
●「覚えているだろうか。若いとき江戸に住んでいたころ、お前を連れて吉原へ通った途中の光景だよ。これはきっと形見になるだろう」と渡したそうです。八介は大喜びで、あのときはああだった、こうだったと昔話を始めます。ついには泣き出してしまい、暇乞い(いとまごい)をして帰ったそうです。1年半ほどたって討ち入りの知らせを聞いた八介はどんな感慨を抱いたのでしょうか。
●大石内蔵助が描いた絵は伴蒿蹊が「近世畸人伝」を書いたころまでは、八介の娘婿である城下の医者の家にあったそうです。「近世畸人伝」は正編が寛政2(1790)年ごろ、続編が寛政10(1798)年ごろに完成しているとのこと。討ち入りから90年前後経過していますね。今も絵はあるのでしょうか。もし、出てきたら、大変なお宝かもしれません。
◆参考*1:書籍「伴蒿蹊・撰 アウトサイダー119人 近世畸人伝」初版157~160頁、村上護著、教育社
◇*2HP「大石内蔵助良雄公山科隠棲の地 京都山科 大石神社」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://www.ohishi-jinja.jp/

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